劇場版 きのう何食べた?のレビュー・感想・評価
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内野聖陽の演技力に驚きつつ、自然と世界観に入り込め、主人公らと将来、そして今を生きる大切さのようなものを考えられる作品。
ドラマ版も原作マンガも読んでいなく、いきなり映画からついていけるのかという心配もありましたが、事前にうっすらと「BL系の作品」というのを聞いていたため、それだけで情報は十分でした。
「劇場版」ではありますが、スタッフやキャストは良い意味で「平常心」で、きっとドラマ版も似た雰囲気なのだと思われます。
まず、西島秀俊が演じるシロさんは、普段と全く変わらずでしたが、内野聖陽が演じるケンジには、思わず「えっ」と呟きました。なぜなら私の中での内野聖陽は、「臨場」での警視庁刑事部鑑識課・倉石でイメージが固まっていたため、あまりのギャップに当初は驚きました。
ただ、むしろ、こっちの方が実際に近いのでは、と思うくらいにハマっていて、自然と笑いを誘えるケンジというキャラクターになりきっていました。
山本耕史と磯村勇斗も良い味を出していて、劇場版からの新キャラクターの松村北斗も自然体ながら上手く世界観に溶け込んでいます。
通常の恋愛系映画はゴールがおおよそ決まっていますが、同性の恋愛なので明確なゴールは見えにくく、むしろその方が地に足のついた物語になっているように感じました。
そのため、主人公らと一緒に、「将来」、そして「今」を生きるために大切なことを考え、気付かされるような作品になっていると思います。
これもまた自分探しの旅
タイトルだけを知っていたことで見てしまったが、自分の無知さ加減に腹が立った。
しかしそれはそれ。
チケットを買って座席に着いた気持で見続けることにした。
さて、
この作品はマイノリティの心情をいくつかの題材を挙げながら表現している。
筧史郎役の西島秀俊さんは、BLというものに対しNGを出しているのが垣間見れることが少しおかしかった。
それに対し内野聖陽さんの演技はよくやったと言いたい。
BL
彼らに対する意見よりも、彼らが自分たちをどのように表現したいのかという観点でこの物語は描かれている。
つまり、自分たちは何者であるかということだ。
マイノリティの中にある純粋さ 本心の探求 壊れることへの恐怖
そこには明確な現実がある。
まず登場したのは両親だった。
二人の理解と嫌悪
これはこの先避けては通れない。
次は、マイノリティであるが故のレッテル
そのことを路上生活者の裁判によって表現している。
そして結婚と妊娠出産
BLを選択するということは、結婚は出来ても出産はできないことになる。
養子を取ることも今の法律ではできない。
自分の子供に名前を付ける喜び
それができない寂しさ。
そしてケンジの母のセリフ 「その人は、ずっと一緒にいてくれる?」
父の孤独死は、もしかしたら明日の自分自身なのかもしれない。
美容室の新人と彼女との別れは、男女だからこそできるあっさりしたものであり、またすぐに誰かを選ぶことも可能だ。
しかし、
マイノリティ同士が意気投合したとしても、一旦別れればまた次の誰かと出会える可能性は少ない。
そこに彼らが忍ぶように生きている一面があるのだろう。
普通であって普通ではないこのマイノリティ
従来普通だったことが普通ではなくなってしまう怖さ 他人の眼と将来
新人タブチくんは「人の自由は奪えない」とあっさりというが、「次」はないという概念は消えることはないのだろう。
さて、、
この作品は漫画の劇場版ということだが、タイトルはいったい何を意味するのだろうか?
映画からそのタイトルを匂わせるものを感じ取ることはできなかった。
ただ、食事のシーンが多く、食事の時に交される会話
何気ないことや、相手から感じる些細な違和感
つまり、お互いの日常とその中で感じたこと、そしてそれを感じた相手の思いを汲み取ろうとする感覚
きのう何食べた?とは、24時間で起きたことをお互いに話すきっかけを作る言葉なのかもしれない。
肉団子 おふくろの味
その味を受け継いでも、それを教える子供はいない。
母のセリフ「これからはあなたと、あなたの家族を一番大事にしてね」
少なくとも、筧史郎はみんなに応援されている土台がある。
矢吹ケンジにも応援してくれる家族がいる。
彼らはマイノリティを前面に出しながらも、心は常に揺れ動いているのかもしれない。
花見で見かけたトミナガカヨコの家族 生まれた悟朗 一般的な家族の幸せ
少し山の中まで行った場所でひっそりと花見を楽しむ史郎とケンジ
最後に「俺たち年取ったな~」というセリフは、様々な視点と葛藤があって、それでもこの居場所を今は選択している自分たちがいることを明言したのだろう。
BL × BL × 親子 × 料理 × 本心
結局はこれも一つの自分探しの旅であり、意識的にせよ無意識であるにせよすべての人が行っていることであり、実はこの世界では「自分探し」というゲームしか行われていないという極論を垣間見た気がした。
母という存在
彼らがどう足掻いてもなれないこの存在からの愛の言葉
知るべきなのは正論ではなく、自分が選択した道から何かを掴み取ってそれをどう捉えるかに過ぎない。
それが自分であればそれでいいし、そうではないと思ったらまた別のものを掴めばいい。
誰もが自分は正しいと思って生きている。
だから何でもあり。
それが自分だというものを見つければいいだけ。
母の話した家族とは、自分を信じた結果であり、唯一無二の存在だ。
それを大切に生きることこそ自分を大切にすることなのだろう。
年をとりながら、自分の信じたことがより確信になれば、そんな嬉しいことはないのかもしれない。
相性の良さ、引き立て合う組み合わせ
意外と大画面での視聴が向いている作品で、日本の美しさをパッケージしている。
京都、青森県産の林檎、和食、桜、etc.
そんな中、格好良い俳優達によって男同士のラヴラヴが美しく描かれている。
今作の史朗(西島秀俊)&賢二(内野聖陽)、航(磯村勇斗)&大策(山本耕史)のツーペアは、それぞれお似合いで良い組み合わせである。
BLについてはちょっと置いといて、男のコンビで思い浮かぶのは、『キン肉マン』の2000万パワーズことモンゴルマン&バッファローマン、『COMPLEX』の吉川晃司&布袋寅泰、『北斗の拳』のケンシロウ&レイ、『ビー・バップ・ハイスクール』のトオル&ヒロシ、『あぶない刑事』のタカ&ユージ、『ドリフターズ』の加トちゃん&ケンちゃんがパッと出てくる。
中年のBL映画で印象深いのは『ブロークバック・マウンテン』のヒース・レジャー&ジェイク・ギレンホール。
美青年のBL作品は沢山有って、腐女子に人気なのは承知だが、中年のBL作品も意外にも需要が有ることに驚いている。
今作の惜しいところは、食べるシーンの多さに比例してトイレに関することにも言及しないと綺麗事過ぎるし、主役の二人の愛の営みが全く描かれないというのも物足りない。
ドラマも原作漫画も知らないので、今作のみの評価であるが、成功した(美味しそうな)料理と、愛のある(楽しそうな)会話に焦点を当てていて、イメージ&好感度が、少なくとも私はまんまとUPしたことは事実である。
京都は序盤だけ(笑)
3回に分けて昨夜ようやく観終わりました。
ドラマクィーン(笑)のシロさんとケンジの日常を描いた、コメディタッチの作品です。
ジルベールもさることながら、ケンジの働く美容室に入社した今時の若い兄ちゃんや、オープンマインドになりきれないシロさんの両親らに軽くイラつきを覚えますが、この作品の登場人物はそんな彼らに対しても寛大に接します。彼らを見習って大らかな気持ちで観ましょう😇
京都旅行端折り過ぎ!とか、シロさんの実家の台所広すぎだろ!とか、ツッコミたいポイントは勿論ありますが、この作品に感銘を受けた点はシロさんとケンジがお互いの感情をぶつけ合う場面。一般的な映画であれば、感傷的なBGMを流すでしょうが、本作では一切ありません。ふたりの対話のみで魅せてくれます。燃え上がる役者魂を見ました👀✨
とはいえいわゆる邦画あるあるな場面(肩を掴んで感情的に声を荒げる等)が複数見られたのが、少し残念でした。
家族で観られる映画だと思います。視聴後色々意見を交換するのもアリだと思いますよ🐜
少しだけ考えさせられる内容でオススメです🤔
「綺麗だ、って言える人がいるっていいな。」
本作はラストで史朗が桜を見ながら思わず口にしたこの言葉にすべてが集約されてる気がする。
異性だろうが同性だろうが自分がその時その時に感じたことを共有しあえる人がそばにいてくれるということがいかに尊いことか。
一見何気ないストーリー。何か大きな出来事が起きるわけでもなく、見る人によっては無理やり映画にしたと感じるかも。しかし本作は見終わった後にいろいろ考えさせられる。この何気ないという内容こそが重要だった気がする。
弁護士の史朗は賢二との食事の時間を大切にしていた。けして職場での飲み会には行かない。依頼も外食を余儀なくさせる案件は避けてきた。
家族が日々の食事を共にすることの大切さ。テーブルをはさんで近い距離で同じものを食べ、美味しいと言い合ったり、会話が自然と生まれる時間を共にすることは人間関係においては結構大切だ。共働きの二人はそんな何気ない時間を大切にしていた。だからこそお互いの些細な変化もすぐに感じ取れてしまう。本編ではそこからちょっとした物語が生まれたりもする。
共に同じ時間、同じ空間を分かち合うそんな二人の関係だからこそ、相手がもしいなくなってしまったらと互いが大げさにうろたえるさまをおもしろ可笑しく描いているが、確かに彼らのように大切な家族がいる者としてはけして笑えることでもないなと思わされたりする。
本作を同性愛者の映画と聞いて生理的嫌悪感を持つ人がいるのは理解できる。本作は一般受けを狙ってか性的なシーンは一切排除し、むしろその点を逆手にとってギャグとしてパターン化してるところが笑えた。
劇中で史朗の母親が息子のパートナーである賢二と対面した後に倒れてしまう。息子のことは理解してるつもりだったし、賢二に対しても好感を持てた。自分には同性愛者への偏見などないと思っていた、しかし体が受け付けなかった。同性愛を受け入れられる人、受け入れられない人がいる、どちらが悪というわけではなく、どうしようもないことなんだろう。
特に古い世代の人にとっては自分たちの家族観とあまりにかけ離れた新たな家族のカタチを受け入れるにはまだまだ心と体が追い付いてないのかもしれない。母親は息子が自分たち同様に女性と結婚して子供をもうけて、いわゆるごく普通の家庭を築くものだと思っていたに違いない。
今時代は過渡期に来ている。今までのいわゆる常識から、それにとらわれない新しい常識の時代へと、古い時代の人はそんな変化に急にはついていけない。
以前、森喜朗が女性蔑視発言で五輪組織委員会会長を下ろされた騒動があった。彼は女性を見下す時代を生きてきた人間であり、彼にとっては当たり前のことを言ったつもりなのだろう。だから発言の何が悪かったのか全く理解できない。女性の社会的地位が向上している今の時代の流れに意識が追いついてないのだ。
時代の変わり目、過渡期にはこのように戸惑う人間は多いはず。ただ、こういう人間は時代の流れに取り残されていずれ淘汰されていくだろうし、淘汰されるべきなのだ。特に政治家などは。
政治家は個々の国民の声に耳を傾けなければならない。その声を聴き、政策、法案につなげる。G7の中で同性婚を認めてないのは日本だけだ。同性婚を認めたら子が生まれなくなり、区は滅んでしまうとほざいていた東京の区議会議員がいたが、効果的な少子化対策もせずに、出生率最低をたたき出した政党の人間の発言としては本末転倒だ。
男か女か、雄か雌か、この違いは同じカードの裏表みたいなもんだと思う。もとはおんなじ、染色体の関係でどちらかに産み分けられる。自然界では繫殖を機に性別が変わる生物もいる。そんなことを思えば性差なんてとるに足りないことだ。生物学的には雄と雌が交尾して子孫を増やすのが一般的だが、同性同士が家族を作ってはいけないなどとどうしていえるのか。自分たちの古臭い家族観に固執して国民の声に耳を傾けない政治家は淘汰されるべきだろう。
フランスなどでは異性同性カップルに分け隔てなく育児補助金を出していて、そんな政策が少子化V字回復に貢献している。こういった個々人に寄り添う柔軟な政策が暮らしよい社会の形成につながれば人口増に転じるのは歴然だ。頭の固い連中が牛耳る日本では少子化による人口減はもはや避けられない。
ただ日本でも地域によっては同性パートナーズシップ制度など同性婚を実質認めようとする動きが出てきている。史朗と賢二が今後子供をもうけるのかはわからない。でも彼らのもとで育つ子供はきっと幸せだろうなと思う。
ラストで思わず口に出た史朗の言葉。当たり前のことを当たり前に感じた思いが自然に出たんだろう。そんな当たり前の思いが同性愛者であるということだけで踏みにじられる社会であってはならない。
劇場にて鑑賞。再投稿。
ほっこりした
一応自宅にテレビはありますが、テレビ番組をほとんど観なくなって約20年。話題のドラマを観ることもありませんでしたが、ちょうど配信があったので鑑賞しました。同性のカップルや男性のお家ご飯が、時代を表していて良かったです。こんなドラマだったら、またテレビを観てもいいかな?と思えました。内野さんがガラッとイメージを変えたのもgoodです。
「きのう何食べた?」はTVシリーズを見ていなかったのでオンデマンド...
「きのう何食べた?」はTVシリーズを見ていなかったのでオンデマンドで予習して観に行きました。便利になったものですね。一緒に行った友人は小日向さんがTVシリーズからことにお気に入りで、冒頭から声をたてて笑っていたのですが、コロナ禍で閑散としていた映画館が久しぶりに満席近く笑い声が溢れていて、映画の中だけでなく映画館にも幸せな空気が流れていました。
内容としては社会の厳しさや不安、疑いなどのネガティブな心理が表現されるシーンも多かったはずなのに、そんな人間模様からすらじわじわと温かさが感じられるのは作品と、作り上げた方々の力でしょうか。優しい人達の美味しい物を食べる表情にはこちらも頬が緩みました。
料理が美味しそう
2023年12月7日
劇場版 #きのう何食べた? (2021年)鑑賞
年齢を重ねたゲイ・カップルの日常を、彼らが直面するゲイゆえのほろ苦い現実を織り交ぜつつ、手際よく作られる料理のとともに綴る
#チャンカワイ が友情出演となっていた。誰の友達なのかと思ってしまうし、そこまでビッグか?
テレビシリーズにハマってから観たのでより面白かった
つい最近たまたま深夜にシーズン2を見てハマってしまい、シーズン1から全て見て、劇場版を集大成にしたから最高に良かった。劇場版特有の特別感や事件性があるわけでもなく、テレビと同じトーンで流れていく見やすさが更によかったし、いつもリピートしたい映画。
ハマった。面白い。
内野さんがとにかくすごくいい。
受け付けない人もいるみたいだけどそれだけ演技が自然だから?
Season1のドラマも一気見しました。特に指輪買おうかとシロさんに言われた時の顔なんかコント見てるみたいに笑ってしまいました。映画の内容じゃなくスミマセン。
西島さんの微笑みもかわいく感じるし、休日に何も考えずに見れるし、美味しそうなご飯見れるし、笑えてのほほんと見れる映画&ドラマです。
ドラマチックさが薄くても充分満足
過去の作品で、シロさんとケンジが同性愛者であることのドラマは大体終わっている。そういった意味ではもう描くことはないのだが、その中でもわずかに残る未来について、ドラマチックさはなくとも面白く観ることができた。
そんなわけで、わざわざ映画で何を?とも思うが、映画版の醍醐味は、序盤の少しだけだとしても京都ヘ行ったこと。そして、シロさんは到底作りそうもない高級気味の料理だ。
いつも料理をしているので映画になると料理がゴージャスになるのか。
テレビドラマの映画版だと「爆破」というのがお決まりなところもあるけれど、この作品に爆破はないもんな。
すでに書いたように映画としてのパンチもドラマチックさも薄い作品だったけれど、ゲイバレすることを嫌がっているせいでどことなくケンジと距離感があったシロさんが、ゲイバレバチコイではないにしても過剰に嫌がることなく二人で京都旅行ヘ行っている姿は良かったね。そして笑えた。
まあ、この作品が好きだからこの映画も観ているわけで、そういった人にとっては充分満足できる良作だったと思う。
以前レンタルで見たものを先日の地上波でもう一度。いい作品。原作・...
以前レンタルで見たものを先日の地上波でもう一度。いい作品。原作・ドラマいずれも見ていますが、映画も含め全作品に共通している穏やかであたたかみのある時間と空間がなんとも心地よいです。主演のお二人がキャラと世界観をよく理解されていて、脇の俳優陣もすばらしい。
ありふれた日常にちくりとささるとげ、いい年した大人達が傷ついたり傷つかないよう配慮したり。大人だから、大人だけど。そして男同士だけど。そういうのいいから、目の前の人を大事に思う気持ちを大切に。そんな気分にさせてくれる良作。音楽も映像もよく、脚本家の繊細な言葉を西島秀俊さん内野聖陽さんが豊かに表現されています。
ちょっと老いを感じてきたシロさんとケンジ。 誰もが訪れる人生での出...
ちょっと老いを感じてきたシロさんとケンジ。
誰もが訪れる人生での出来事に不安を感じつつ、思いやって生活する二人に温かな気持ちになります。
小さな幸せを大切にして生活している二人がとても素敵。
原作、ドラマ共に好きですが、映画版も良かったです。
私にはしんどかったです
北斗くんがかわいい他は割りと辛かったです…
いい話なんだけど、、劇場で見なくて良かった映画だと感じた。
テレビで見られて良かった。
あとからじわじわくる
現実のしんどさを感じてしまいました
ドラマ未見。あかん、ダメだ、受け付けない。釜内野なんて見たくない(...
ドラマ未見。あかん、ダメだ、受け付けない。釜内野なんて見たくない(笑)話の中身も特になし。
シーズン2、見ることはないでしょう(笑)
TVO
理解しなければならない
西島秀俊扮する筧史郎は、内野聖陽扮する矢吹賢二を京都旅行に誘った。ふたりはシロさん、ケンジと呼び合うゲイ仲だった。しかしケンジはゲイバレするのを嫌うシロさんに違和感を持った。
最近こういうゲイ関係の映画が増えたよね。それもあのゴツい内野聖陽がね。親もショックを受けるよね。でもこういうのが人気マンガらしいからさ。理解しなければならないのかな。山本耕史まで入ってきちゃってさ。まいっちゃうよね。
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