「信仰することの恐ろしさ」ミッドサマー ディレクターズカット版 碓氷さんの映画レビュー(感想・評価)
信仰することの恐ろしさ
どうせ観るならディレクターズカット版から観ようと思ってましたが、コロナ禍で劇場へ向かうことが難しくなり、MOVIX昭島でたまたま開催されていた「爆音映画祭」にて鑑賞。
なるほど。これは映画館で観た方が良い作品。
冒頭のタペストリーがデニーの未来を想起させるもの、ということや前半のホルガ村で描かれていた少女の恋愛物語もいずれ起こることであるというのは察することが出来たのですが、作品の至る所で描かれる(初めはデニーのアメリカでの部屋に掲げられていた熊と少女の絵画?)「熊」がクリスチャンを意味することに気がつくのはクライマックスの熊を解体し、革部分をクリスチャンに被せ神殿を放火するシーンとなってからでした。気がつくのが遅い……!!
ホラーに特別耐性あるわけでありませんが、怖いという感情はほぼ抱きませんでした。ただ、至る箇所での「音」が非常に不快(例えばジョシュがマークの顔の皮を被った村人に殴られるシーンが顕著)でそこが狙いだったのでは?と鑑賞後の現在は思います。
ほぼ音が大きくてその不気味な不快さが怖かった感覚なので自宅での鑑賞はさほど怖くないかもしれません。
前半クライマックスのアッテストゥパンのグロシーンが若干きつい程度?
村に連れてこられた生贄(ペレ、イングマール共に「90年に一度の夏至祭を一緒に楽しもう」といった目的で連れてきているわけでないと思われるので敢えてこのように記載します)はダニーを除き、殺されて然るべき存在でした。精神的に不安定な恋人を蔑ろにし論文の題目をパクるクリスチャン、撮影を禁じられている聖典をスマホで撮影するジョシュ、勤勉ではなく(ここは殺される動機としてはないでしょうが、余りにスカスカな脳に私は登場人物で最も苛立ちました笑。後に解説で彼の役割は「The fool=愚者」とあったので思わず笑ってしまいました笑)村人の大事な木に小便をかけたマーク、アッテストゥパンという文明社会に生きている身では理解し難いとはいえ、他文化に畏敬の念を表すどころか侮蔑したサイモン・コニー。
クリスチャンはダニーから指名を受けたので恐らくマヤと浮気したことへの復讐(普通ならここまで…と思いますが、ドラッグの濫用で判断力が鈍っていたのかも、と思います)ですが、後の5人はただ「連れてこられた」とはいえ村人にとっては「殺す理由がある人間」となります。信仰はなかなか重いものでそれを穢されることは許されざることですから。
これがもし、何もしていないのに生贄として殺されていたらま~後味悪いですが、この作品においては殺される側にそれなりの理由がある(あくまで村人目線からなら)ので気分が悪くなりません。
一点疑問なのは何故サイモンが一番残虐な殺され方をした?という点です。
コニーは恐らく水死でマークとジョシュの確かな死因は不明ですが、サイモンの殺され方はなかなか残虐(肺がピクピク動いていたのでまだ生きていた?)よほど異常呼ばわりしたことが気に障ったのでしょうか。
↑の点が気になるのと前述したように自宅鑑賞する際はさほど(グロシーンを除き)怖くないのかな~と思い★4つ。
それにしてもクリスチャンがマヤとの性交から逃げ出した時、フルチンで飛び出ていくのには笑いました(笑)