「【”神の国”と”人間の国”の狭間で、アイヌの血を引く少年は、戸惑いつつも生命の尊さを学び、”強き眼差し”で自らの未来を見据えた・・。】」アイヌモシリ NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”神の国”と”人間の国”の狭間で、アイヌの血を引く少年は、戸惑いつつも生命の尊さを学び、”強き眼差し”で自らの未来を見据えた・・。】
■今作の印象的な点
・冒頭、カント少年(下倉幹人)が先生(三浦透子)から、進路を聞かれた時に”ここ(アイヌコタン)以外ならどこでも・・”と答えるシーン。
その後も、少年が自らの出自であるアイヌ文化への違和感を感じているシーンが続く。
- この対応、反応は、アイヌの方に限った事ではないだろうが・・。自らの家が、アイヌの文化工芸品を観光客向けに売る店である事も、一因であろう。
お客さん達が、悪気があるわけではないが、彼の母親に”日本語、上手ですねえ”と話しかけたり、写真を一緒に撮ったり・・。違和感を感じるよなあ・・。-
・そんなカントが、亡き父の友人で、アイヌ文化を誇りに思っているデポ(この方も、眼力が凄い。)と一緒にアイヌの森にキャンプに行くことになり・・。
- デポの森に入る時の”アイヌの森への畏れと深い敬意”を表すが如き、祈りの仕草。
穀類と思われるお供え物らしきものを撒く”チャッチャリ”や、
雨が降ってきて雨宿りしている時に口にする
”雨にも都合があって、降っている・・”
と言う言葉。
何となく、マタギの方々の山の神に対する接し方と似ているなあ・・、と思う。(私の場合、”阿仁マタギ”の方々である。)ー
・デポに”覗いてみろ”と言われた風穴のような、あちらの国と繋がっている、”こちらからは行けないが、あちらからは来れる・・”という洞窟。
そして、デポが密かに飼っていた子熊チビ。嬉しそうにチビに餌を与えるカント。
- 何となく、この子熊の運命が見えてしまう・・。-
・1975年から行われていないというイオマンテの儀式の復活について、話し合うアイヌの方々。
そして、行われたイオマンテの儀式。雪上の血の跡を見つめるカント少年の表情・・。
- 矢張り、意見は分かれるのだなあ・・。今の時代、動物虐待などと、糾弾される危険性もあるし・・。
しかし、私は”アイヌ文化の継承”を考えると、この作品でイオマンテの儀式を写した事を是とする。
マタギの方々が、獲った獲物(熊が狙いだが、近年では猪、鹿が急増しているそうである・・)の心臓を森に捧げ、肉体を無駄なく解体し、等分に分け、大切に食するという話を思い出す・・。ー
<元々、北海道はアイヌの方々の土地であり、名前も”アイヌモシㇼ”であったことは多くの人が知っている事であろう。
そこへ後から乗り込んできた”和人”が、アイヌの方々の文化を否定し、追い詰めて行った歴史も北海道の山々を歩いていた際に、知った事である。
トムラウシ岳、神威岳、カムイエクウチカウシ岳、ホロカメットク岳・・。
アイヌ文化と”和人”文化の融合という大変難しいテーマを、カント少年が成長して行く姿を軸に、描き出した作品。
固有文化の継承の難しさ、先住民族の現代社会での生き方など、イロイロと考えさせられる作品でもある。
<2020年12月29日 刈谷日劇にて鑑賞>