劇場公開日 2020年10月17日

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「洞穴の向こうに、死んだ人の住んでいる国があるんだってよ。」アイヌモシリ 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0洞穴の向こうに、死んだ人の住んでいる国があるんだってよ。

2020年10月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

阿寒湖近くのアイヌの村。アイヌの伝統儀式イオマンテの実施の是非に揺れている。突き詰めれば、生きていく術として観光をとるのか、アイヌのアイデンティティをとるのか、の話し合いだ。現実としてマイノリティであるアイヌは、独自で生きていくことは無理で、他文化(つまり、明治の初頭から大量流入してきた本土の文化伝統)を受け入れざるを得ないのが現状だ。だから、アイヌでありながら、葬式では般若心経を唱えるし、みんなが話す言語は日本語なのだ。
じゃあ、彼らは日本人なのか?彼ら自身は自分を日本人だと思っているのか?というジレンマが生まれる。たとえば、遠くから来た観光客には「日本語お上手ですね」と言われれば、そつのない笑顔で「勉強したんで」と返してしまう。それって、まるで端からあなたたちは日本人ではないと否定されているようなものじゃないか。だから彼らが、自分たちの存在に迷うように見えるのは当然のことだと思えた。

個人的見解として、純血のアイヌと、純血の琉球民族は純度の濃い縄文人だと思っている。そして現在の日本人は、先住民である縄文人と渡来人である弥生人が数千年かけて交わってきた混血であると思っている。だから、たいてい誰にでも縄文人の血はわずかであろうが流れている。つまりアイヌは他人ではないのだ(逆を言えば朝鮮人も他人ではないのだけど)。それを、あたかも、古来別々の民族のような視線で彼らを見ることを、僕は嫌う。血の濃さが違うとしても隣人なのだ。
だからこそ言いたいのは、アイヌの伝統をとやかく外野が言うべきではない、ということ。(またついでに立場をかえれば、捕鯨についてもだけど)。野蛮であるという物差しばかりで、イオマンテの儀式の崇高さに気付かない現代人。彼らが長い年月をかけて守ってきたアニミズムの精神を理解しようとさえしない。その延長には自然の中に根付いた神話があり、「洞穴の伝説」もまたその一つなのだ。幹人は、自然と伝統を知ることで、畏れることを知った。死んだ熊と同じ澄んだ目を通して。その心を持つことで父に「再会」できた。そして、見守る母の傍らで、疲れ果てて眠りについた。
少なくとも、安らいだその姿を見て、彼がひとつ大人に近づいたように見えたのは、僕の贔屓目だけではないはずだ。

栗太郎