「命に向き合う」僕は猟師になった ふうさんの映画レビュー(感想・評価)
命に向き合う
ネコを飼っています。
かわいくてかわいくて仕方ないです。
ニャンとなけば撫でて、
ニャンとなけばご飯をあげて、
ブラシをして、トイレを掃除して。
なんでもやってあげたくなります。
でも思います。
1匹のネコをこれだけかわいがってるのに、
牛やら豚やら鶏やらを、ガツガツ食べているの、
なんか変じゃない?
牛やら豚やら鶏やらも一緒に暮らしたら
とても食べられない。
私の知らないところで、誰かが殺してくれるから、
何も感じず食べることができる。
命の問題でもあり、人間の労働問題(格差問題)でもある。
だけどそんな矛盾は隅に押しやって、
毎日を何食わぬ顔をして生きている。
でもきっと心はこっそり傷ついている。
だからその矛盾をなかったことにしないで、
きちんと向き合っている主人公の生き方には憧れる。
憧れるのにできないのはなぜだろう?
大変そうだから?
リスクが大きいから?
あまりにも世間と違うから?
「ある精肉店の話」という映画を見たときも似たようなことを思った。
自分で殺してない肉は食べてはいけないと思った。
でもころっと忘れて食べた。
ワイズマンの「肉」という映画は真逆で、
まるで自動車工場のようにシステマティックに
食肉がさばかれていく。
ここでも労働問題が勃発していた。
結局、命の序列を勝手に付けているということだ。
それも野生動物や映画の主人公のように
自分の力で狩りをするのではなく、
文明という力や資本という力で、
序列が決まる。
それは自分の命も脅かされているということだから、
やっぱり不健全なことなんだと思う。
だけどきっとまた忘れて日常に戻ってしまう。
押しやった矛盾にこっそり傷つきながら。
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