のさりの島のレビュー・感想・評価
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好きな映画です
2021年11月ぶりでしたので、また新たな気持ちで観れた。
この時こんな表情されていたんだなとか、会話が途切れたときの空気の重みや温もり。
青年がオレオレ詐欺をしようとしたおばあちゃんとひょんなことから急に始まった共同生活
時間が流れていくにつれ、青年は心が変化し、おばあちゃんは孫と過ごせなかった時間を【将太】として過ごしていく。それはけしてうめられるものではないけど、おばちゃんはすべて受け入れていて、ただただそこにいること、生活をすること描いている。
最後、遺影を戻す時の切なさや悲しさ
青年が海からマリア像を見る姿。
また物語の随所につながりを感じ、天草の商店街や海、家の屋上、たい焼きの回転版の音、ソーダのシュワシュワと言う音、天草の風も感じるような映像がどこか古めかし懐かしさがあって、見る度に不思議な感覚に陥る。
全体的に静かな映画だか、女性が吹くブルースハープの音色が物語のアクセントになり、印象的。
何度か拝見したはずなのに、今回でより「のさりの島」を堪能できたと思う。
街から街へと渡り歩いては番号を入手して、『オレオレ』と電話口でのた...
街から街へと渡り歩いては番号を入手して、『オレオレ』と電話口でのたまう。そんな若者がやってきたのは寂れた商店街。いつものように電話をしたのだが...。
物語の入り方、進む展開、中盤までは結構のめり込んだんだが、映画のテーマが過疎に対する葛藤なのか、街の景色とふれあいなのか、時代と若者達の群像なのか、イマイチまとまらないまま進んでいった。
オレオレ詐欺からの展開だっただけにもうちょっとコメディタッチかなと思っていたが結局はなんだろう? っていう感想しか出なかった。
それでも、街並み、景色、音、音楽、時代、考えさせられるもの、etc。色んな要素が詰まった作品。
面白かったです。
丁寧に頑張って撮っている
冒頭の数秒の画がよいです。これだけでご飯3杯はいけそう。とにかく天草の風景が丁寧に撮られていて、寂れた商店街の景色だけで
心が動く感じ。行ったことないけど懐かしく感じました。あの商店街を訪ねてみたくなりました。日本の地方の現実の一部が上手に切り取られています。
中学の時、大林監督の尾道三部作にはまり、大学の頃に新三部作を観て、大学4年の最後の春休みに、尾道を訪ねました。鑑賞しながら何故かそんなことを思い出しました。
柄本明さんはさすがです。画がきれいなだけに。物語がもう一歩、奥行きが欲しかった。
アマチュア参加の作品としては良いのでは?
本作はプロとアマ(専門学校生)混在で制作するプロジェクトの作品だそうですね。そうか、だから舞台挨拶で監督がこのような作品に出演するプロの演者にメリットがないっておっしゃってたのかな?商業的云々は二の次っぽいですもんね。けど、未来のプロであるアマチュアの方々に、映画界・映像界にもとても有意義ですよね。素晴らしいと思います。
さて、本作。そんな背景があるとは知らずに藤原季節さん目当ての鑑賞です。天草を舞台にした事情がありそうな若い男と高齢の女性とのエピソードを基軸に進んでいきます。天草の地元紹介色が強めというところは致し方ないです。それも含めての企画ですしね。ですが、天草という舞台とテーマをうまく繋いでいるなぁと思いました。
「のさり」とは「自分が求めなくても天の恵みを授かった」という意味のこの地方の漁師言葉だそうです。良いことも悪いことも授かり事。起きたことは受け入れましょうと。そこに「まやかし」というキーワードがうまく絡んできて人間が生きていくための心の平穏を保つためには・・・・って話に昇華させていくストーリーはよくできているなぁって思います。
人間はずるいんだよな。けど、そうでもしなくちゃ天の恵みを乗り越えられないんだろうな。
発生したことで不幸だなぁと思うんじゃなく、なんでこんなことが!って悲しむんじゃなく、それも天の恵みだと受け入れることから始めることで、さまざまな事象に前向きになれるかも知れないなぁ
・・・と思いました。
そういえば、天草出身の仲良し友人のどんなネガティブな状況もスッと受け入れて、前向きに取り組む姿を思い出しました。
WANIMAのタオルが一際映えてた。
これはさすがに長い。中だるみも多くてなかなか集中が続かなかった。ご当地ネタや必要とは思えないエピソードで余計に長く感じてしまった。
オレオレ詐欺をしながら流れる青年と熊本天草で楽器店を営む老女との奇妙な交流。これ冒頭のラジオニュースが伏線になってて電話を受けた時点でおばあちゃんの作戦が始まっていたとしたらなかなかの強者やね。そら青年の手には負えない。実際におばあちゃんのペースにどっぷりハマってしまったしね。
かつては賑わった商店街。でも今ではほとんどの店舗がシャッターを下ろしている。寂れた地方の象徴みたいな景色。そら寂しいよね、おばあちゃん。ひととき、嘘でもいいから誰かと過ごしたくもなるわ。
案山子も能面も誰かにとっては生きている。客のいない楽器店にだってブルースハープの注文は入るし、閑散とした商店街も夜になれば明かりが灯り数少ない誰かの足元を照らす。青年はおばあちゃんにとってそういう存在だったのかも。
藤原季節ほんまにいいな~。素朴な感じなのにどこか胡散臭さもあってこれからも注目ですね。
【“まやかしでも、人には必要な時がある・・。” 不寛容な思想が広がる現代を”のさり”の精神を心の片隅に持って生きていきたいと思わせてくれた、ファンタジー色を纏った印象深い作品。】
ー ”のさり”とは・・。佳い事でも、そうでない事でも、自分の今ある境遇は、天からの授かりものとして否定せずに受け入れるという、天草地方の優しさの原点ともいえる言葉。(フライヤーより)ー
◆感想
・オレオレ詐欺の受け子の男(藤原季節)は、九州各地区で、オレオレ詐欺をしながら、天草に辿り着く。早速、町一番のアーケード街”天草銀天街”の端っこで、電話を片っ端からかける。
その中で、電話に出たのは老婆(原知佐子)だった。
男は殆どの店のシャッターが下りたアーケード街をアプリを使って行って見ると、そこは小さな楽器店だった。
男は”孫のしょうたから頼まれた者だよ・・”と言って金をせびろうとするが、老婆は耳を貸さず親切に男を風呂に入れ、美味しそうな料理を振舞う。
”何やってんだ、俺”と呟きつつ、男は美味そうに料理と酒を口にし、眠ってしまう。
ー この導入部分から、藤原季節さんと、故、原知佐子との面白き演技合戦に引き込まれる。お二人とも素敵な俳優さんである。原さんに合掌する・・。ー
・男は、翌朝も老婆の指示で洗濯モノを取り込んだり、2階の物置の整理をしたり・・。老婆はコッソリ、男の財布とスマホを隠す。男は最初探し回るが、そのうちに気にもしなくなる・・。そして、地元のラジオ番組のパーソナリティ清ら(杉原亜実)たちとも、交流を深めていく。
ー 清らの友人ゆかり(中田茉奈実)から、”スマホで遣り取りしようよ”と言われて、ニコリと”スマホ無いんですよ”と言う男。オレオレ詐欺の入れ子からの電話が鬱陶しい事もあっただろうが、自由になった気分だったのだろう。ー
・寂びれたアーケード街の片隅で、毎晩ブルースハープを吹く女。彼女のハーモニカの音がこの映画では、効果的に使われている。
彼女は、昼はドルフィン・ウォッチングの受付をしている。
ー 今作の魅力は数々あるが、ブルースハープの音色と、大都会から来る人々と、天草の人々の時間の流れの違いの描き方も、上手い。ー
・地元のラジオ番組のパーソナリティ清らたちは、且つての天草銀天街の賑わいを記録した映像を探す。だが、東京オリンピック閉会式の夜に大火に襲われた天草では、ナカナカ当時の記録が見つからない。
ー そんな中で、しょうたを名乗る男が、老婆の家の物置を整理している時に見つけた古いアルバムに貼ってあった写真。それでも、男は、老婆に普通に接する・・。老婆も・・。
二人が、本当の孫と祖母に見えてくる・・。ー
・清らは、ある日男を誘って海辺に行く。そして、男に聞く。”貴方は本当は何処の人なの・・”
男は”何が本当か、分からなくなったんだ・・。”と答える。
ー のさりの優しき精神に男が引き込まれている様が、良く分かるシーンである。ー
<都会から来たオレオレ詐欺の男は、ゆるやかに流れる天草の時に身を委ねるうちに、天草の人々の優しさに絆されていったのだろう。
勿論、その筆頭は孫が死んでいる事を知りながら、
ー ラストシーン、老婆が伏せてあった孫の写真を元に戻し、位牌に対し祈る姿・・。ー
男の嘘を、優しく受け入れ、優しき対応をした老婆である事は、間違いない・・。
そして、天草の人々の優しさも・・。
男は、老婆の家を出て、ある漁港で漁師が海辺に立つマリア像を見ながら、言った言葉
”まやかしでも、人には必要な時がある・・”と声を掛けられる。
彼は、真っ当な道に戻る事は出来たのだろうか。
きっと、真っ当な道を歩んでいくと、私は信じたい。>
<2021年7月25日 刈谷日劇にて鑑賞
・山本監督の舞台挨拶と、将来監督を目指す大学4年間をこの映画製作に捧げた青年の話も大変面白かった。
・そして、映画製作に如何に労力と時間がかかるかを改めて教えて頂いた。
・オリジナル脚本で勝負する、山本監督の明るいトークの中で閃く聡明さも、印象的であった。>
心の寂しさを満たすもの
熊本県天草の寂れた商店街にある楽器店にオレオレ詐欺の若い男が来た。老女の艶子は、その男を孫の将太として扱った。艶子のあたたかい対応で、いつの間にか一緒に生活し、孫の将太としての対応をしていった詐欺師の話。
孫じゃないとわかっててご飯食べさせたり、用事を頼んだりするから、認知症なのかと思ってたら、そうじゃ無かった。
心の寂しさを嘘でも良いから埋めるとこうなるのかな、って思った。
騙したのは誰か。
空気感は最高。設定は魅力的。キャストもハマってます。時間感覚、大好き。ウソくささも胡散臭さもない展開とオチ。画は丁寧。人っ子一人の姿もないアーケードとか郷愁感、滲みまくり。
この何も起きない具合とか素晴らしく大好き。
ところがですよ。何か足りねー!
将太と婆ちゃんの人格描写よね、足りないのって。やり過ぎれば全てをぶち壊すけど、2人の内面描写を演技そのものか、別物で象徴するとか、映像で表現するとか。
婆ちゃんは全てを見透していた、的な描写はありますが、将太の方は明らかに不足な気がしました。将太の方が婆ちゃんに騙されてるんですけどね。そこが伝わり難いってのは惜しいです。
いずれにしても、欧州的な空気感が良かったのと、ブルースハープの音楽は最高にイカしてました。
コレは結構、好き。
自分の今ある境遇はすべて天からの授かりものである。
退屈だった。流れ仕事のオレオレ詐欺師が何の警戒もなく居着いてしまうことに違和感が拭えない。のらりくらりのおばあちゃんだって、独り住まい?(詐欺師、まずそこ確認しよう)、楽器店経営?(ブルースハープのためだろうけど、文具屋とかオモチャ屋のほうが現実味がある)、近所付き合いは?(野中の一軒家じゃないんだから他人が入り込んだのわかるだろ)、コミュニティFMのパーソナリティさんよ、地域の同世代なんだから余所者って気づけ、地元のこともっと知れ、って気になってストーリーがすんなり入ってこない。
似た設定の、林遣都・市原悦子の『しょぼん玉』のほうが、犯罪者と匿う者のリアリティがあった。
おまけに、上映中に近くでスマホをいじる奴、男1人、女1人。何度もいじってた男の方は上映後注意されていた。シカトしてたけど。つまらなくてもスマホはだめだよね。(←これ、映画館側の問題でもあります。)
追記:あとで調べたら、昭和39の本渡市大火は実際にあったようで。ならその復興の苦労をもっと重ね合わせたら良かったのに。海上のマリア像も伝説(それこそ"のさり")を絡めて、しっかりと夕陽をバックにした映像で。
あとね、レビューが両極に分かれるものは、たいてい、高評価が宣伝、低評価が実際金を払って観たやつです。その証拠に、レビュー数を見てくださいな。これだけ、もしくは数レビュー。この映画のためにアカウント作ってるのバレバレです。映画好きでもない人にお願いしてるのバレバレなんです。なんか、冷めますそういうの。
人情にじわりと沁みました。
現実のいろんなことをそれぞれの想いでそれぞれの形で乗り越えながら優しさや切なさに触れていく様子は心に沁みるものがありました。
天草の風がそっとヨシヨシと頭を撫で優しく許してくれるような人情味溢れる素敵な映画でした。たくさんの"のさり"を見つけられたら幸せな気持ちになります。
まやかしあやかし回り道
熊本県天草に船でやって来た放浪するオレオレ詐欺師が、銀天街の楽器屋にやって来て巻き起こる話。
シャッター商店街の楽器屋にオレオレ詐欺を仕掛け、後輩に金を受け取りに行かせると言ったのに、孫と間違われて風呂に入れられ夕食べさせられて。
冒頭のさりの説明がされるし早々にばあちゃんは実は…がみてとれて、その状況下主人公がそこでの生活を泳いでいく。
街の昔の画像や映像の上映会開催の為の奔走になぞって、田舎街が故の人と人の繋がりみたいなものをみせていくけれど…大して中味がなくて30分位でまとめられそう。
早々にオチちゃっているし、地元の方々向けの作品という感じですね。
心で観る
過疎化してる地域を、無理やり盛り上げたり集客に躍起になるような不自然さがない。
煽っていない。
とても静かだけど、何が本当の豊かさなのかが、じんわりと心に染み入る。
たくさんの人に観ていただけたらいいなーって思いました。
ぜひ!
心がじんわり温まる
この映画は、山本監督が構想からフィルムにするまで10年の歳月をかけてこの世に誕生した。どこからやって来たのか、本名も素性も一切明かされる事ない、オレオレ詐欺をする為に
天草の地を訪れた青年が主人公だ。
音と映像で語られる天草の歴史。
過去と現在が交差しながら紡がれていくまるで御伽噺の様だ。「のさり」とは天草の方言なのだが、シーンの1つ1つに表現されている
「のさっている」人の交流の豊かさ、懐の深さに知らず知らず目頭が熱くなった。
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