「あらためて突きつけられる平手友梨奈の存在感の大きさ」僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46 Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
あらためて突きつけられる平手友梨奈の存在感の大きさ
高橋栄樹監督による2020年製作の日本映画。配給:東宝映像事業部。
こう、あらためて幾つかの曲の映像を並べられると、平手がセンターにいる時とそうで無い時の違いの大きさに愕然とさせられた。何人かが、平手不存の為にセンターを務め、一生懸命踊るのだが、表情やダンスの質など、表現力が全く平手に及ばず、彼女がいかに突出していた存在かが明示されてしまう。
そう、アイドルグループには全く興味のなかった自分が、欅坂46の曲を見たり聞いたり、更にライブ映像を追いかける様になったのは平手友梨奈の存在があってこそ。いかにも平手に当て書きされた様に思われる秋元康の歌詞の数々も魅力的だった。平手の存在が消えかけていた秋元の創作欲を再度かきかけた様にも思えた。作曲家バグベアを始め、秋元が発掘した様なナスカによる前衛的芸術的に思える様な曲も、大好きであった。自分にとって、平手擁する欅坂46は、アーティスティックな作品を連続して提供してくれる稀有なアイドルグループであった。
紅白歌合戦も、平手のラストコンサートの映像もともに見ているのだが、裏側の映像は初めて見た。紅白のみならず、ラストコンサートでも平手は抱き抱えられる様な限界的状態だったのだ。あの1人だけで歌って踊る「角を曲がる」の前、彼女は舞台裏では息も絶え絶えの状態だったとは。彼女は憑依された状態で歌い踊るという噂を聞いていたが、それを裏付ける様な映像であった。彼女は膨大なエネルギーを使って、自分を憑依というか、トランス状態に追い込んで、あの目あの表情あの動きを生み出している様に思えてしまった。命を削って、突出した表現をしている。そしてこれでは、破綻が必然的に来るだろうなとも。
映画では平手はどこまでも謎の存在である。何故、コンサート本番で突然出れなくなってしまうのか、何故表現できない曲ということでいきなり収録に来ないのか、何故一人舞台で走り出し落ちてしまい、大怪我をするのか?彼女はコンサートの演出にも関与していた様だが、それにも一切触れていない。平手に関して多くのメンバーにインタビューを実施しているが、彼女自身には何も語らせていない。そこのところは、かなり物足りなくは感じた。
映像からは、噂されていた平手への対抗意識や反撥は殆ど見えなかった。それよりも、天才平手がいなくては、とても客の求めるものを見せられないという、絶望感に打ちのめされているメンバーの面々の姿。指導者たちはメンバーに悔しくないかと焚き付けるが、メンバー達が一番平手の凄さを分かっていて、自分達だけでは、とても無理だと。菅井由香が言っていた様に、自分達はバックダンサーの様な存在という言葉に、平手無し有りの映像を並べて見せられて、大きな説得力を感じてしまった。欅坂46は平手友梨奈あってのグループ、あらためてそのことを、映画で見せつけられた気がした。
企画秋元康、製作今野義雄、大田圭二、秋元伸介、安齋尚志、エグゼクティブプロデューサー上田太地、企画協力石原真、磯野久美子、プロデューサー澁澤匡哉、上野裕平、竹下孝、協力プロデューサー江原慎太郎、撮影上池惟孝、編集伊藤潤一、音楽大坪弘人制作担当瀬戸俊介。
欅坂46
石森虹花、上村莉菜、尾関梨香、小池美波、小林由依、齋藤冬優花、佐藤詩織、菅井友香
土生瑞穂、原田葵、守屋茜、渡辺梨加、渡邉理佐、井上梨名、関有美子、武元唯衣、田村保乃、藤吉夏鈴、松田里奈、松平璃子、森田ひかる、山崎天、遠藤光莉、大園玲、大沼晶、幸阪茉里乃、増本綺良、守屋麗奈。
今泉佑唯、織田奈那、志田愛佳、鈴本美愉、長沢菜々香、長濱ねる、平手友梨奈、米谷奈々未。