「平手とグループの共依存関係とファン不信を示唆する「勝ちにいく」という言葉。そして渋谷を見下ろす不安定なインタビュー映像が印象的」僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46 taro653さんの映画レビュー(感想・評価)
平手とグループの共依存関係とファン不信を示唆する「勝ちにいく」という言葉。そして渋谷を見下ろす不安定なインタビュー映像が印象的
「内部の者たちも、ファンと同じでどうしてこうなったかはわからないのだ」という結論を伝える映画になっていた。初期を除くと平手のインタビューが取れていない。グループをあげての劇場公開映画に、エースの近年の言葉がひとつもないというのは異様だが、それも実態を物語っているのかもと思った。
もうひとつ伝えようとしていたのは、「平手はメンバーとの関係を悪化させて決別したのではない」ということ。タイトルに「嘘と真実」とあるが、前述の平手とのディスコミュニケーションを隠していたこと(まあ感づいてい人がほとんどだろうが)を「嘘」とするなら、この平手のグループへの愛が「真実」にあたるものだと思われ、繰り返し描かれる。そこに反発したくなるファンもいそうだが、ある側面では事実であるように映った。グループ脱退発表の言葉はやや突き放した感じもあったが、映像を見る限りは平手がグループを嫌いになったわけではないのだろうなと感じた。
ただ、それはメンバーを混乱させる理由にもなっていたようにも思う。平手とグループ、グループと平手は共依存のような状態にあったのではないか。平手はグループへの偏愛から離脱できず(大人がそれを許さなかったともいえそうだが)、グループも多少は辟易しつつも、平手を支えられるのは、理解してあげられるのは、自分たちだけだと思ってしまったのかもしれない。
ライブにおいて、メンバーは「勝ちにいく」といった言葉をよく使い、ファンという支持者に囲まれているにもかかわらず、その現場は常に緊張感に満ちていたようにも見えた。そうしたファンとの関係性が、平手とグループの絆を強め、硬化させていたような気もする。平手の変容に握手会での事件が影響しているという話を聞いたこともあるが、欅坂とファンの関係は他のグループとは違ったものがあったのかもしれない。熱狂とはつくづく恐ろしい。
その依存関係は結局誰も打ち壊せない。言葉の端々には平手を客観的にジャッジし、挑もうとするかのような言葉が混ざる小池や小林といったメンバーも現れるのだが、その姿勢は一貫せず直後に平手をたたえる言葉が継がれる。それは関係者やファンの目を気にしたからと見る向きもあろうが、それだけだったとは思えない。
最後に小林が平手の脱退に対し「私の意見は他の人と違うのでここでは言えない」といった意味の言葉を残したが、グループに必要だったのはおそらく、衝突を恐れず、その思いを公に発信することだったように感じた。(それをしなかった小林は、ラストシングルの冒頭で「ねぇ、ちょっと静かに」「自分の話じゃなく他人の話聞いて」というセリフを読む。メッセージを受取る側への不信を伝えるかのような言葉を小林に読ませるのは、なんとも示唆的だ)
ああいったグループでは、意見のぶつかり合いは日常茶飯事で、特に成長の過程でいくらでも起こるものではないかと思う。だが、結成直後から成功し失敗の許されない状況に立たされた欅坂では、そういった思いを飲み込み、滞りなく活動していくことこそが優先すべきことであるという空気ができてしまっていたようにも見えた。メンバーたちは極めて短期間でプロに徹することを求められ、それがグループにもたらした歪みは小さくなかっただろう。
キャプテン・菅井のインタビュー(だったと思う)は、デビュー曲のMVの撮影場所に建てられた高層ビルの上層階で行われている。ストリートカルチャーで知られる渋谷の街が不必要に見下ろされる場所でのインタビュー映像がどこか不安定なものに映ったのは、私が高所恐怖症だからだろうか。映像は5年を経て、欅坂が到達した場所を意味するものであるように思った。
なお本作は、ドキュメンタリーというよりは活動を通じ紡ぎあげてきたストーリーの延長線上にあるもので、「劇場版・欅坂46」「欅坂46 THE MOVIE」といった趣きである。振付師のTAKAHIRO氏以外の大人にはカメラが向けられていない。人格が変わったといってもよいほどのエースの変容という重いテーマが核の作品である以上、その対処に関わった大人がカメラの前で何かを語るべきだったのではないか。もしそうした切り口を加えることができていれば、グループアイドルというものの本質に迫る、より重厚な作品になったようにも感じた。
あとひとつ。これからのアイドルグループには、しっかりしたカウンセラーをつけないとダメだと思った。