「「なかったこと」にされてしまうことが不安」僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46 yaさんの映画レビュー(感想・評価)
「なかったこと」にされてしまうことが不安
時系列の操作と引き算の重ね方が巧みで、ひとつの作品としての強度が高い映画だと思います。
そしてその強度ゆえに、描かれなかったことが「なかったこと」にされてしまうことが不安でこのレビューを書きました。
ライブシーンは非常に素晴らしかったです。
メンバーの息づかいや歌っている声など、通常のライブ円盤では絞られるような音がはっきり聞こえることでより臨場感が増していました。
「ガラスを割れ!」「黒い羊」「誰がその鐘を鳴らすのか?」など、欅坂46のライブの世界に強烈に引き込まれました。
一方で、5年間を2時間半にまとめるためとはいえ、「『天才』と、その周囲の苦悩・成長」として、観た人がわかった気分を得やすい切り取り方をしている印象が強いです。
メンバーが楽しかった思い出としてしばしば挙げるライブ「欅共和国2017」や、メンバーだけで一つの宿に泊まって料理やBBQをしプールの中で皆ではしゃぎながら不協和音を踊った「KEYAKI HOUSE」の様子は1秒も出てきません。
卒業・脱退メンバーはともかく、現役のメンバーのインタビューもかなり限られた方々のことばに限られています。
ひらがなけやきの存在は影も形もありません。
ただのファンからみえていた部分だけでも、あまりにも多くの出来事が削られ、恣意的な切り貼りがされています。
「実在しない存在」や「死んだ人」が中心に据えられた作品であれば、その存在が周辺の人物のことばによって描かれることは多々あります。
ですが、平手さんは今現在を生きている生身の人です。
平手さんのインタビューを撮ることができなかった以上、とれる選択肢は多くなかったと思います。
それでも、生きている人を扱うなら、せめて握手会の殺人未遂事件と怪我については触れる必要があったと思います。
(公式にアナウンスがあっただけでも、2018幕張のガラスを割れ!での落下事故以降、完治が難しい怪我を抱えていますし、2019年全国ツアーも怪我が原因で休んでいます)
監督はドキュメンタリー映画であってもカメラがいることによる被写体への影響は免れないこと、「客観的な真実」などありえないという旨のことをおっしゃっていますし、それには完全に同意します。
それでも、作品の強度を高めるためであれば、実際に存在する人たちそれぞれの「事実」も積極的に削ったこの作品が、欅坂46の正史として語られる可能性があるのはやるせない気持ちになります。
個人的には、欅坂46の振付師のTAKAHIRO氏がこの映画の試写をみた際の「時の流れに散らばった、ガラス瓶の破片をいくつか覗いたようでした。」ということばを覚えていたいな、と思います。