「14歳のモンスター」僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46 U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
14歳のモンスター
こんなにドラマティックなドキュメンタリーがあるのだろうか?だけど、それでもいい。
騙されてもいいと思ってる。
彼女はカリスマだった。
最前列で刀を振り上げる独裁者でも良かった。
ついて来れない奴は切り捨てる非情なトップランナーでも良かった。
だけど、彼女は優しすぎた。
優しすぎて幼すぎて、彼女達が大好きだった。
そして彼女達も優しすぎた。
そして、そんな彼女や彼女達でなかったのなら、俺は出会ってなかったろうとも思う。
感受性の化物を追い込んだのは誰だ?
その感受性を研ぎ澄ませたのは誰だ?
大人の責任を問いかけるシーンがあった。
でも、責められるか?
目の前で猛烈な勢いで成長していく才能を止められるか?大人の予想を超えていく可能性を止められるか?表現者としての純度が高ければ高い程、それがどれ程の大罪であるのか本能が理解してる。
冒頭、彼女達の1人は言う。
「手を繋いで崖っぷちに立ってるようだ」と。
彼女の在り方次第だったのだろう。
だけど、彼女達は彼女の抜けた穴を必死に埋めようともがく。足りない、出来ないと知りつつも立ち向かう。
彼女の背中が大きすぎて彼女達は気づかない。
そんな彼女が満身創痍で戦い続けたのは彼女達がいたからだ。彼女が認めた才能の宝庫が彼女達だったからだ。彼女達は形の無い刃にズタズタにされながらも、徐々にその才能を開花させていく。
本編では語られなかったが、東京ドームのライブの時だったろうか?「アンビバレント」の楽曲中に彼女達の1人が「東京ドーム、いくぞお!」と客を煽る。
お決まりの煽り文句であったとは思うのだけど、それは彼女の耳には、違う言葉にも聞こえたのだろう。
彼女は曲中の誰かではなく彼女として嬉しそうに笑ってた。それを機に彼女のギアが1つ上がったようにも見えた。
これが彼女の欲したものだ。
「見て!私の仲間はこんなにも強い。私の仲間は最高で最強なんだ!」
だけど彼女が才能を発揮すればするほど、彼女達は霞んでいく。
「違う!私を見て欲しいんじゃない!私達を見て欲しいんだ!」
その絶叫は何千万の熱狂に掻き消される。
声を枯らして、涙を流して叫べども叫べどもその声は誰にも届かない。
彼女達の誰か1人でも、打ちひしがれしゃがみ込む彼女の胸倉を掴んで「馬鹿にすんな!全力で走れ!今は無理でも絶対に追いついてやる!」とぶん殴れれば良かった。
だけど…それが必要だと分かっていても、不可能だと思わせる程の才能にあてられ続けていたのかもしれない。彼女は全力でどこまでも走れる体力と脚を備えたスプリンターだ。
それがどおいう事なのか、彼女達が1番良く分かってる。
彼女は彼女達と袂を分かつ。
自らの半身を自らの手で引き千切ろうとする程の葛藤と痛みではなかったのかと思う。
彼女達は立っていた崖っぷちが崩れ落ちた喪失感に愕然としたのだろうと思う。
別れに際し、彼女は彼女達1人1人に抱きついて「もう一緒にはできないの」と呟いた。
奇妙な絵面だった。
別れを決断した側が、別れを告げる側にすがりついて離れたくないと懇願してるかのように見えた。
そして彼女達は決別する。
彼女と、今までの彼女達と決別する。
それはきっと、いつまでも彼女と手を繋ぎ笑いあえる為なのだと思う。
彼女達の1人は言う。
「これからの私達に期待していてください」と。
それは彼女にも向けた言葉にも聞こえた。
彼女達の1人は戯けて笑う。
鼻の頭にチームカラーである緑のペンキをちょんと付けて。その笑顔はどこか誇らしげだった。
5年の活動に幕を閉じ、欅坂46は伝説となるのだろう。
俺の中の真実はそれでいいと思う。
映像作品としての構成は素晴らしかった。
冒頭の菅井さんのインタビューからすでに目頭が熱くなる。
挿入される欅坂の楽曲は、そのまま平手さんの成長と葛藤を表現してるようだった。いつも聞いてる楽曲の裏の顔を見たような気がする。
その時々に欅坂に楽曲を与えたのが秋元Pなら、彼は悪魔的な天才だ。
「サイレントマジョリティー」でさえ偶然ではないように思う。ここに至るドラマの筋書きを予測してたかのようだ。
5年間に及ぶ膨大な記録映像。
初めて目にするライブシーンもあった。
印象に残るのは、アドリブで走り出した「ガラスを割れ」だ。アイドルと総称される人種が放つ気ではなかった。渇望と怒りと気迫を伴う破壊を、全身全霊で叫んでるようだった。
そして、あどけなく笑う平手さんの姿と、笑わなくなった平手さんと。「黒い羊」で泣き崩れた平手友梨奈をただ1人、佇んで見つめる鈴本さんの姿だった。
ファンを自称するならば見逃してはいけない作品だと思う。
俺は常々思ってた。
平手友梨奈のファンでも欅坂46のファンでもない。欅坂46にいる平手友梨奈のファンなのだ、と。
でもオンラインライブで傷だらけになりながらアイデンティティを訴えるかのような「誰がその鐘を鳴らすのか」を聞いて変化したように思う。
平手友梨奈という劇薬を喰らい続け、その毒に殺されるのではなく、その毒を血液に変えて立ち上がった者達が何を残そうとするのかを見てみたい。
「黒い羊」で小林さんに託された花束には、そおいう意味もあったのかもしれないと思う。
「角を曲がる」は、おそらく2度と耳にする事はないだろう。あの時の平手友梨奈でないと歌えないのではないかと思う…。
いいだろ、別に?
アイドルにアイドルらしからぬ妄想を抱いたとしても。