「天才の妹を守るお姉さんたちの葛藤と努力の日々」僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46 nisiさんの映画レビュー(感想・評価)
天才の妹を守るお姉さんたちの葛藤と努力の日々
欅が終わっても平手の映画か?と批判された映画だと聞きましたが、平手友梨奈は主人公ではなく、天才の妹を守るお姉さんたちの映画でした。
私が欅坂に興味を持ったのは平手友梨奈の映画「響」を観た後でした。
ネットで調べてみると出てくるゴシップまがいの記事の数々。
過去の映像から彼女たちの実像を探る日々が続きました。
このたびのドキュメンタリーの高橋栄樹監督も私と同じ去年の3月から彼女たちのことを調べはじめたとパンフレットに書かれています。
たぶん私と同じような疑問を映画のテーマに据えていったのだと思います。
私のその疑問とは
「平手友梨奈は何を考えているのだろうか?」
「バックダンサーと揶揄された周りのメンバーの心境は?」です。
平手に度々のオファーをしたがインタビュー了解を得られず主人公不在のままのような映画を作ることにした高橋監督。
私は「桐島、部活辞めるってよ」を思い出しました。
監督もまた過去の膨大な映像から平手の人物像を探ったのでしょう。
私にとって印象的な平手友梨奈は「KEYABINGO blue-ray BOX」の「サイレントマジョリティー センター争奪」でいとうあさこ氏と絡むメイキング映像です。
あんなに笑う女の子を今まで見たことがありません。この時、彼女は15歳。この子が後にボロボロになっていくとは誰が想像したことでしょう。
今回のドキュメンタリーで理由の一つの答えが示されたように思います。(発煙筒事件や紅白事件が詳しく語られなかったので平手さんが勝手に崩れていったように描かれているのは残念ですが。)
欅坂が結成されて平手が14歳だった時、他のメンバーのほとんどはすでに高校生。妹のように可愛がっていた平手が崩れていくのを見てお姉さんたちは何を想ったのでしょう?
お姉さんの守屋茜は「平手の後ろだったからバックダンサーと言われても支えて踊れた」と語っています。怖がりだった小池美波は悩んだ挙句にセンターの責任を担うことを決めました。妹のような平手に全てを託して支えるお姉さんと託された重圧にしだいに潰れていく繊細な妹。「二人セゾンのころまではまだコミニュケーションがとれていたんですけど」と語る菅井キャプテン。
お姉さんたちに私がしっかりしなきゃという意識が目覚めるのは当然でしょう。自分が目立つためではなく妹をより支えられるように。
そういう家族愛体質に合わないメンバーがいたり支えるべき妹が居なくなってグループからの自立を考えるメンバーがいることは当然ですが、ドキュメンタリーでは割愛されています。
天才の妹がいなくなってグループの改名を告げる菅井キャプテンの心境を思うと涙がこみ上げてきました。閉館中のパルコの屋上で集合写真を撮影したグループのドキュメンタリー映画のラストシーンが同じパルコの屋上に立つ菅井キャプテンの姿だったことは素晴らしい締め括りでした。
ダンス指導のTAKAHIRO先生に「大人の責任ってなんだと思いますか?」と監督が質問するのが観終わった後も引っかかりました。大人たちが彼女をここまで追い込んだことは間違いないと思います。しかし普通の高校生には絶対にできない経験を与えたのも大人たち。チャンスを与えてどう動くかは彼女たち次第。渋谷の街で横一列に並ぶ彼女らの髪が突風で乱れる映像が印象的でした。けやかけの土田さんが「アイドルは精神的にも大変だから自分に娘がいたら絶対にアイドルにさせたくない」というようなことを雑誌インタビューで答えていたのを思い出しました。