「【偽らざる気持ち、家族とは】」望み ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【偽らざる気持ち、家族とは】
実は、よく咀嚼しないとレビューを書くのが大変な作品だった(因みに原作は読んだことはありません)。
理由は、少年犯罪という僕のちょっと苦手なテーマであること、
更に、まあ、ありがち…という感じのメディア、一般の人や母親の反応の演出にも実はイライラしてしまったからだ。
一度は、こういう感情に埋没しそうになって、レビューもやめそうになった。
以下ネタバレあり
↓
気になるセリフがあった。
雅の
「お母さんには言えないけど、お兄ちゃんが犯人じゃない方が良い」
つまり、犯人であるより、もう一方の死んでる方であることを望むというのだ。
父も息子は犯人ではないと、葛藤を抱えながらも思い込もうとしているが、実は、その気持ちがよぎったことは確かだ。
人様の命を殺めているより、死んでくれている方がマシ。
家族であるから、責任を感じて、そう思うのだろうか。
世間体、これからの生活、こうしたものをひっくるめて、身内から犯人が出てしまうことは家族をどん底に突き落とすから、そう思うのか。
恐らく全てだろう。
ただ、何かが欠如しているように思う。
犯罪者の家族が、別の暴力に晒されてしまうのは、想像に難くない。
ネットの世界では尚更だ。
世間にこれを防ぐ有効な出立ては見当たらない。
僕の友人の住む、とある田舎では、コロナ患者が出たことで、家族の住む家が投石にあったり、落書きされたりした家があったそうだ。
人々の暴力は恐ろしい、
そして、規士の死。
180度変わる世の中の規士家族への対応。
規士の死が炙り出したのは、これだけだったのだろうか。
家族の再出発。
しかし、母親の反応はどうだったのか。
息子がたとえ犯人であろうと、生きていて欲しい。
死を決して望みなどしない。
それこそが母としての「望み」なのだ。
お腹を痛めた母親としては至極当たり前のことのように思える。
しかし、雑誌記者との会話
「お母さんのインタビューは必要なくなりました。なぜなら、規士さんが犯人であれば良いと思っていたから…」
雑誌記者は告白する。
母親は、
「私もあの時は確かにそう思っていたけれど、その後のことを考えたら…」
この作品は、この最後の会話のために仕組まれていたのではないだろうか。
雑誌記者が望んでいたのは、世間の望んでいることとイコールだ。
つまり、僕達の生きる世界は、よりセンセーショナルである方を望むのだ。
母親の気持ちの変化はどうだろうか。
実は、生きていることを望みながらも、心の奥に隠していたのか。
世間体のことを考えて、斟酌した結果なのだろうか。
いずれにしても、やるせなさというか、無力感が残る。
なぜなら、規士が仮に犯人である可能性があった場合でも、そんなことをする理由があったのか、では、理由は何なのかを問う姿が欠如していたからだ。
よりセンセーショナルな方を望む僕達の世界。
それに翻弄されて、自分の「望み」が何か分からなくなってしまう家族。
もし、犯人がどうか分からなくても、なぜ、そのような事をしてしまったのか、理由を聞いたり、考えたり、理解しなくて良いか。
家族であればこそ、それを拠り所にするのが本来の姿ではないのか。
あなただったら、どうか。
規士の死は、実は、いろんなものを曖昧なままに僕達に突きつけているのだ。
この家族は何も明らかになっていない段階で、たとえ僅かでも規士の死を望んでしまった後ろめたさを心に抱えながら、それを隠して、これからも生きていくのだ。
※ この作品は、なんか特定の人の演技が突出していたせいか、チグハグ感は絶対あったと、素人ながら思う。
だから、ちょいマイナス。