粛清裁判のレビュー・感想・評価
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【”扇動される群衆”今作は、スターリンの独裁体制構築と後の大粛清に繋がる恐ろしいデッチ上げ裁判を映し出した、ラストに流れるテロップに戦慄するドキュメンタリー映画である。】
ー 冒頭から、8人のロシアの有識者達が西側諸国と結託して、クーデターを企てた疑い通称”産業党裁判”で、“見せしめ裁判”にかけられる様が描かれる。
だが、不自然な事に1名を除いて弁護士を立てずに、罪を認め、夫々の弁明をしていく。そして口々に自分達の誤りを認め、ソ連の国体の素晴らしさを口にするのである。
裁判の間には、群衆たちが旗を掲げ当時のフランス大統領ポアンカレを激しく糾弾するデモや”銃殺を要求する”と掲げた横断幕が映されるのである。
そして、判決が言い渡される。
多くの者が、全財産没収、銃殺を言い渡される。
【が、ここでセルゲイ・ロズニツァ監督によるテロップが流れるのである。”産業党は無かった”と。全ては、スターリンによるデッチアゲ裁判であり、後年、処刑された者を含めて、全員の名誉が回復された事と、この裁判の裁判長を務めたヴィシンスキーソ連最高裁裁判官がニューヨークで自殺した事が、テロップで流れるのである。】
今作は、権力者によってでっち上げられた裁判の恐ろしさを、セルゲイ・ロズニツァ監督が、冷徹な目で後世に残したドキュメンタリー映画なのである。>
<2021年1月 伏見ミリオン座にて鑑賞>
<2025年1月 別媒体にて再鑑賞>
ウソ
スターリンはこのようにして何百万人も粛清したらしい
1930年、8人の有識者がクーデターを企てたと疑われ裁判にかけられた。産業党裁判として起訴され全員反省していたのに多くが銃殺刑になった。
裁判の展開と群衆のデモを交互に映す演出で進み結論が見えてるような裁判が続く。
産業党がソ連の社会主義国家を転覆させようとしていると言う事で裁かれるが、事実はスターリンによる見せしめ裁判で無実の罪を着せられた被告人たちの気の毒な裁判の記録だった。
裁判所に多くの傍聴人を入れ、検察と判事がスターリンの意向に沿った発言をし裁判が続く。
スターリンの労働者のための社会主義に熱狂する群衆の映像が当時のソ連の状況を反映されてて、いかに権力側が民衆を欺き、群衆を扇動し、独裁政権を強化していったかを描い作品。
これは国葬と違って入り込めた。
被告があんなに反省しててもでっち上げで銃殺とは・・・スターリン恐るべし、だった。
権力という名の魔物が成せる劇場
国家に睨まれた者の末路
群衆ドキュメンタリー映画第二弾
ソ連の歴史に詳しくないので登場人物がまったくわからなかったけれど、鑑賞後にはソ連の勉強したくなる作品でした。
「東京裁判」のように自国の歴史とかだとすんなり頭に入ってくるのだが、なんせほぼ知識なしで鑑賞したため字幕をよんでるのに必死で内容あまり着いていけなかった。
それでも被告人たちがどうにかこうにか助かりたいがために罪を認めたり、国に尽くすと誓ったりして必死さが印象的だった。
裁判って基本的に被告人は罪を認めないものだと思っていたので、やけに素直だなとか往生際の悪い奴だな、なんて考えていたのだけれど。
どうやら彼らはでっち上げられた罪で裁かれていたようですね。スターリン等の政策による民衆の怒りの矛先を背負わされただけの被害者だったようです。
そう考えて彼らを見ると、いかに生き延びるため国家に媚びるねばならないかが伝わってくる。
浅い知識の私には表層しか読み取れなったけれど興味深い作品でした。
最後の字幕で被告人や関係者の末路が紹介されるのだが、なんとも恐ろしい結末でなんとも言えない気持ちになった。
延々字幕を読まされる苦痛
ソクーロフほどはインパクトはなかったが面白かった
シナリオ通りの裁判
最後の最後に驚かされる。そして思う。この裁判は何だったのか。
作品としてもそう思わせるのが狙いのひとつであっただろうと思うが、これがフィクションではなくドキュメンタリーであるところが凄い。ソ連は恐ろしい国だ。そしてスターリンの独裁ぶりは空前絶後である。
裁判は舞台だ。被告人たちと裁判官、検察官が登場人物である。本当の裁判は舞台裏で秘密裏に行なわれている。そこでは、存在しなかった産業党なる秘密結社が反政府活動を繰り広げたという台本が配られ、逮捕され収監された人々はそれぞれ何らかの役割を持ってそれに加担したことにされる。被告人を演じさせられるのだ。
確かに彼らが反政府的な言論を繰り広げていたのは事実だ。しかしそれだけでいきなり逮捕され、クーデターを計画していたことにされ、そして裁判で反省と命乞いの発言をするように命じられるのは理不尽極まりない。にもかかわらず、逮捕された誰もがこの理不尽に無条件に従って、架空の被告人を演じている。
裏でどのような恫喝や脅迫や拷問や取引があったのかは明らかにされない。しかし大学の教授など教養のある識者たちが従わざるを得ないような状況であったことは間違いない。ソ連という国に、権力に対する恐怖感が充満していたということだ。
裁判では五カ年計画、ボルシェビキ、プロレタリア、大衆、ブルジョアといった言葉が飛び交う。ロシア革命で使われた概念である。これらの言葉は民衆を操るためにも使われる。
権力者が権力を維持するためには、国家の敵を想定する必要がある。ソ連では帝国主義者たちであり、破壊分子である。いなければでっち上げればいい。そこで独裁者スターリンは産業党なる秘密結社を想定し、加担した人物を想定する。裁判にするためには実在の人物でなければならない。日頃から反政府的な言動を繰り返す人々はこれにうってつけだ。かくしてシナリオ通りの裁判が幕を上げる。
無知な民衆はまんまと独裁者の芝居を現実と思い込み、プロレタリアの敵、帝国主義の破壊分子たちに死の報いを要求して、デモ行進をする。この様子を見てスターリンはさぞかし満足したに違いない。検察官は民衆に迎合するかのように革命の大義名分を勇ましく並べ立て、被告人たちを糾弾し、全員に銃殺刑を求刑する。聴衆は拍手喝采だ。
そして判決。裁判長は検察官に負けず劣らず勢い込んで判決文を読み上げる。気負いすぎて咳き込むほどだ。銃殺刑を含む重い判決文の読み上げが終了した途端、それに歓喜する聴衆たち。スターリンの奸計に嵌められた彼らにとって、いままさに正義が行なわれたのだと感激していたに違いない。他人の死刑を歓喜するという精神性は、観客の立場から見ると狂っているとしか思えないが、それがソ連という国なのだ。
求刑の際に喝采を浴びた検察官の末路が銃殺刑だったことが最後に紹介されていて、それにまた驚く。裁判長の横でずっとタバコを吸っていた男の正体は何だったのだろう。傍聴席でもタバコを吸う人がいて、裁判の間ずっと誰かの咳が聞こえていた。そういう時代だったのだ。
いまは裁判中にタバコを吸う裁判官はいないと思うが、権力者が架空の敵を想定して国民を操る事例は未だにある。代表的なのはブッシュ大統領(息子)によるイラク攻撃だ。ありもしないWMD(大量破壊兵器)をあると言い張って、イラクの民間人を何十万人も殺した。権力者による殺人だ。
本作品で紹介された権力者による陰謀はひとつの典型で、世界各地で同じようなことが起きていると考えるのが自然である。決して特殊な事例ではないのだ。
人間怖い
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