ファースト・カウのレビュー・感想・評価
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アメリカンドリームのアンチテーゼ
西部開拓時代の物語だが、いつの世にも通じる普遍性が感じられるドラマで、観終わった後には色々と考えさせられた。 貧困に喘ぐクッキーとルーは、いつか自分のホテルを持ちたい、いつか中国に戻って事業をしたいという夢を持って商売を始める。しかし、これが彼らの首を絞めることになってしまう。 劇中でルーも言ってたが、何かを始めるということはリスクを背負うものである。確かに彼らは商売をするにあたって、些細な罪を犯してしまったかもしれない。しかし、この世に罪を犯さない人間などいるだろうか?人は生きるために動物や植物の命を奪っている。それは罪にならないのか?これでは貧しい者は一生貧しいままでいろと言わんばかりである。クッキーたちが辿る運命に憐憫の情を禁じ得なかった。 そして、これは貧富の格差が広がる現代社会にも通じるドラマのように思った。今から200年も前の物語であるが、今見ても自身の身に引き寄せて感じられる作品ではないだろうか。 監督、脚本はケリー・ライカート。原作は盟友ジョン・レイモンドで、彼は脚本にも参加している。 これまでライカートの作品は何本か観てきたが、興味深いのは過去作との共通点が幾つか見られたことである。 まず、映画の冒頭は現代から始まる。一匹の犬と女性が登場してくるのだが、これを見て自分は「ウェンディ&ルーシー」が思い出された。また、西部開拓時代という設定には「ミークス・カットオフ」が、二人の男の友情というテーマには「オールド・ジョイ」との相似も感じられた。 物語はいたってシンプルながら、二人の商売が危機的状況に追い込まれていくクダリなど中々スリリングに観ることが出来た。決して派手さはないものの、しっかりと抑揚はつけられていたと思う。 ただ、現代から始まる構成は賛否あろう。ここで物語の結末が明かされてしまっている。その後の展開は決して退屈するようなことはないのだが、どうしても予定調和な感は否めない。このオープニングなければもっと面白く観れたのではないか…そんな気がした。 ライカートの演出は今回もリアリズムに徹している。全体的に丁寧に撮られており、破綻するような箇所もほとんど見つからない。 また、今回は雄大に流れる川や森といった風景が作品に一定の風格を与えている。ライカートは基本的にスタンダードサイズを好んで採用するが、今回もほぼスタンダードの画面である。それでも冒頭の巨大タンカーが流れていくシーン、それに呼応する形で描かれる雌牛の登場シーンなどは、映像的なダイナミズムが十分に感じられた。
途中で終わった?
2024年劇場鑑賞20本目。 現代でたまたま見つけた白骨死体をなぜか一人で女性が掘り出すところからスタート。終盤いつこれにつながるのか、それっぽいカットを挟みながらドキドキしながら観ていたら急に終わりました。なんだこれ。 いや、そこから間を想像できなくもないですけど、面白い映画なら実は違う人でした、というパターンもあるじゃないですか。 ちゃんとミルク盗まないで説明して買ってればもっと安全に儲けられたのでは?と思っただけでした。
分断の中で生産と友情の持つ意味を問う
西部劇というと、地平線がどこまでも続く広大な大地の中で、先住民たちと対峙して馬で闘う白人たちの勇姿を描くシーンを連想したりしますが、この作品は同じ時代を描いていても大分趣が違っていて、太陽の光があまり届かない鬱蒼とした森を徘徊したり、同じグループで移動しながら、空腹のあまり小さな喧嘩が絶えなかったり・・・。時代はさらに遡りますがアメリカ建国当時の先住民の王の娘と英国の侵略者との恋を描いたテレンスマリックの「ニュー・ワールド」と視点は少し似ているかもしれません。先住民は征服と対立の対象ではなく、白人と同じように豊かな階層がいるかと思えば、夢を求めて移動する主人公達のように貧しい階層もいて、存外人種差別の有無という意味でいうとフラットな印象を持ちました。 類い希なる付加価値を生み出すアイデアや技術をもっているにもかかわらず、生産手段を持っていないため、その生産手段を持ち主に正当な対価を払わずに借用して、利益をあげること。そのこと自体は「盗み」に該当するように見えますが、実はその境界は曖昧で白黒はっきりつけられない部分があるように思います。NYタイムズがOPEN AIを訴えたのもそれですし、米国政府が、ファーウエイなどの中国製通信機器を締め出したのも同じ理屈のように思います。結果としてOPEN AIもファーウエイも世界に新たな付加価値を生み出しているのは事実だったと思うのですが、その過程で生産手段の所有者に正当な対価が払われていない場合又は所有者の存立を危険にさらすような場合どうするのかという問題です。 この作品では、どちらかというと新たな価値を生み出そうとしている側に同情的で、共和党も民主党も含め米国全体が中国との対峙姿勢を強める中で、中国人を主人公の一人にもってきて、「パリの流行なんて関係ない。ひたすら働いて生み出すだけだ」という趣旨の台詞を語らせ、夢をもつ白人との静かな友情や交流・感情の動きをきめ細やかにかつ丁寧に描いているように思いました。 今年は米国大統領選挙。「アメリカの最大の敵はアメリカ」だそうです。分断の世の中で生産と友情の意味を問うているとでも言いましょうか。まさにインダペンデントムービーの面目躍如という感じがします。 ちなみに、設定は異なりますが、私は、やはり恵まれない環境にある男二人の純粋な友情を描いたジーンハックマンとアルパチーノのロードムービー「スケア・クロウ」を思い出しました。
人のいとなみ
カメラの位置がビシッと決まっているようで、カメラが切り替わっても人物を追わず、背景がさっぱり動かない。なので本物の自然を見ているようで、静かさが際立っていた。
開拓時代のアメリカ?が舞台だが、正直地理的位置関係がさっぱりわからない。サンフランシスコなど馴染みある地名もあるのでアメリカ西部だろうか。位置関係がわからないのは舞台の開拓地周辺の村も同じで、どのぐらい遠いのかよくわからない。
主人公は、最初狩猟チームの1員ですが、その時限りの雇われコックのようで、立場が弱く、粗野なメンバーにいじめられています。そんな主人公が最後に大怪我を負っても中国人のことを気にかけていたのは、初めて彼が感じた友情だったからかもしれません。
ただし、全体的に退屈!!!家で見たらダメな作品なので、映画館でゆったりと見ましょう。
眠くなる
ささやかな夢とちょっとした危険と成功はしかし、はかなく、だれにも知られずに消えていく。育んだ友情は永遠。名もなき人たちの遠い記憶。 窓からみる景色やカメラワークが特徴的でたぶん小津安二郎がどうとかそんな感じなんだと思う(無知)窓枠の使い方がいい 時間はたっぷりとあるとばかりにひとつのシーンが長め。森に踏み込み、川を流れる。 やがて絶滅寸前まで乱獲され尽くすビーバー。居場所を追いやられていく先住民。全てはこれからの歴史。今につながっていく。 ルーと同じアジア系の私は乳糖不耐症。 説明は全然ないので解説してもらったら理解が深まりそう。 牛に懐かれちゃってかわいい 赤ちゃんがベビーヨーダみたいだった
盗んだミルク
とにかくスローな時間が流れる映画という印象。
ただゆったりはしていても長閑で牧歌的というわけではない。
登場人物は皆粗野だし、どこか頭が足りない。
地中から白骨化した遺体が二体も掘り出されるという幕開けに何やら不穏な空気を感じさせられる。
時代はどうやら開拓時代で、料理人のクッキーはビーバーの毛皮を獲るための猟の最中に、ロシア人に追われる中国系の移民であるキング・ルーを匿う。
そこから二人の友情が始まるのだが、ある夜二人はその土地の有力者である仲買商の所有する牝牛からミルクを盗んでしまう。
料理の得意なクッキーはそのミルクでドーナツを作るのだが、キング・ルーはこれは商売になるのではないかと思いつく。
二人ともそれぞれに叶えたいアメリカンドリームがあり、そのためには金が必要なのだ。
クッキーの作るドーナツは瞬く間に評判になるが、その名声が仲買商の耳にも入ってしまう。
ドーナツの味を気に入った仲買商はクッキーに特別な菓子作りを依頼し、二人を自宅に招待する。
果たしてこれはチャンスなのか、それともピンチなのか。
人は何かを成し遂げるためにリスクを犯さなければならない時もある。
しかし人から物を盗むのは絶対に犯してはいけないリスクだ。
悪事を働けばいつかはその報いを受けることになる。
慎重になるクッキーに対してキング・ルーは調子に乗ってやり続けるべきだと主張する。
結果、二人の行為は仲買商にバレてしまい窮地に立たされることになる。
二人は逃げる途中にバラバラになってしまうが、最後までお互いを気遣い続ける。
美しい友情物語とも取れるが、ただ単に危機感が足りないだけとも取れる。
終盤になってようやく冒頭の白骨化した遺体の存在を思い出して、そういうことかと納得させられた。
観終わった後に色々と考えさせられる作品ではあった。
決してマイノリティに強くフォーカスを当てた作品ではないが、これもアメリカのひとつの姿なのだなと思った。
二人は最後まで何者にもなれなかったかもしれない。
しかしそれでも最後まで二人が友人であり続けたことには何か大きな意味があるのかもしれない。
サーターアンダギーだね
ケリー·ライカート監督と長年タッグを組んでいる脚本のジョナサン・レイモンド の描き下ろし小説『The Half-Life』が原作。 この映画の予告編をみてから、サーターアンダーギーが食べたくなってしかたありませんでした。2度ばかし買って食べました。お陰で血糖値とHbA1cが上がってしまいました。トホホ。 アメリカ西部開拓時代。オレゴン州が舞台。 ボストンのパン屋で修行した経験をもつクッキーがロシアの盗賊に追われて真っ裸のキング·ルーを助けるとこから芽生える友情劇。でも、私はクッキーの一番の友達は雌牛(カウ)だと思った。カウ·ファースト。あの過酷な時代に二人はサバイバルには欠かせないコンビだったと思うけど。 仲買人が雌牛を連隊長に見せるときにふたりともノコノコついて来ちゃって、クッキーは雌牛の頭のほうに行っちゃう。懐いている雌牛にペロペロされてバレそうに。 お人好しでちょっとオツムが足りない感じのクッキーを演じたジョン·マガロ。気弱で優しいところが危うさと紙一重だった。キング·ルーは頭の回転が早くて大胆ですばしっこいリーダー格。 この時代に本当に中国人移民がいたのかねぇ? いかにもサーターアンダーギーっぽいドーナツ。そんなに難しいわけではない。小麦粉はどこから拝借?どんぐりの粉? 油は?ちょっと気になった。 ニワトリは飼ってたから卵は使えたと思ったよ。 おそらく、チャイナタウンの店でおまけにくれるフォーチュンクッキーがヒントで、中国人とのコンビの話にしたのかな? ちょっと子供っぽい二人。大人をだますと、必ずしっぺ返しを食らいますよっていう道徳的な寓話とも言えなくない。 カルフォルニアのホテルで商売をしてさらに大儲けする予定だった。 オオカミがいた。 あの雌牛はそもそもオオカミの格好の餌食だよなぁ。 なんかお伽ばなしみたいだった。 仲買人役のトピー·ジョーンズとキラーズオブザフラワームーンのネイティブ・アメリカンのリリー・グラッドストーンが夫婦役でした。彼女はほとんどお人形みたいに立ってるだけだったのが残念。 最初のシーンと最後のシーンの2体の並びを覚えておいてください。首の角度も。
生存競争における暴力表現の排除
登場人物の感情を精密に描くことで高い評価を得ている米インディペンド系作家ケリー・ライカートの作品がついに日本上陸!との惹句でジム・ジャームッシュなんかが「真の傑作」なんてコメントを寄せているものだから騙されて観た。1820年代西部開拓時代のオレゴン州でアメリカン・ドリームを求めてやってきたイタリア系と中国系移民二人の友情物語である。まず川を上ってくる大型の動力船が下手からフレームインして上手まで進んでいく(かろうじてフレームアウトはしない)長い長いFIXのファーストカットがライカート監督の名刺代わりなのだろう、このシーンを唖然と見ながら「あなたはこの映画を観る資格があるかどうか」を試されている感じがした。世界の映画人たちが絶賛しポン・ジュノが「とてつもなく、うらやましい」と言うのもさもありなん、こんなカットはどれほどの巨匠であっても商業映画では決してゆるされないからだ。西部劇と言えばカウボーイがつきものだけれど、これは今から200年前の西部に未だ牛がいなかった時代でその設定がちょっと目新しくて「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」を遡ること100年前。この地に初めてやってきた牛が原住民とうまいことやってる仲買人の富の象徴となっており、その乳を盗んでドーナツを作って売ることでわずかな金を手に入れるために命の危険にさらされる哀れな男たちの物語は「真夜中のカーボーイ」から「スケアクロウ」そして「傷だらけの天使」までをも想起させ、ちょっと身につまされるというかキュンとさせられる。青年は荒野を目指すのだ。
クッキーだけどドーナツ
カウは出てくるけどカウボーイは出てこないアメリカ西部開拓時代の裏話的作品。冒頭のシーン通り、まさに昔話が掘り出されるというのがうまい。 牛に声をかけながら乳を搾るほどの心優しいクッキーと、未開拓の地でイッパツ当てたろかな人種的マイノリティの野心家リーとの静かな友情が、ブロークバックなマウンテンへ向かうのかと思いきやそんなことはなく(とも言い切れないが)、また、裕福な商人の男たちは酒に浸るのではなくあま〜いドーナツをうまうまと頬張るという、ハズし感があった。激しいシーンはほとんどなく終始たんたんと展開するので、暗めの画面と相まってこっちも少し寝静まりたくなった。 製作は2020年で、キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのリリー・グラッドストーンが出てる作品としてやはり掘り出したという感じ? 劇中のドーナツを見ていたら、子供時代にお袋がホットケーキミックスで揚げてくれた焦げ気味でカチカチの手作りドーナツの記憶も蘇った。牛乳入ってたのだろうか(個人的感傷)。
男と男の友情
小麦と水を練っただけのパンに飽きたホテルとパン屋を夢見る男と、ロシア人に追われる中国人との間で芽生える友情の話 盗んだミルク🐮でドーナツ(サンダアーギ?)が売れるのだが、ミルクを盗んでいる時にみつかり… あのまま二人肩を寄せて死んだのか…ドーナツを買えなかった男に殺られたのか…
人には友情
西部開拓時代のオレゴン州が舞台。 ドラマチックな物語がある訳でもない。 スリリングな展開がある訳でもない。 魅力的な人物も出てこないし、俳優に魅了されることもない。 雄大な景色も見られない。 ノスタルジーも詩情も感じられない。 知的好奇心をくすぐられる訳でもない。 友情はあったかな。 うーん。何がいいんだろう。 みんな、CGでなんでもありのアトラクションムービーに飽きちゃったんだろうな。
これぞ『真・オレゴンから愛』(笑)。『真夜中のカウボーイ』テイストのグルメチート西部劇。
「なろう」系でも、異世界で「現代の知識で料理つくってチートする」話ってのは山ほどある。この映画の場合は、ボストンの文明世界の知識でつくった料理で、辺境で無双するってわけですね。 良い映画なんだろうけど、出だしはとにかくもう、退屈で退屈で(笑)。 両横に座ってる兄ちゃん二人も、不肖わたくしめも、交互に舟をこぎまくってました。 パンフによれば、こういう長回しと物語性の希薄さを特徴とする映画を「スローシネマ」と呼んで、00年代以降は批評的な評価が高まっているらしいってことですが。 僕には、単にじりじりするだけって感じで。すいません、せっかちなもんで。 それが不思議なことに、ふたりがドーナツ屋を開業してからは、ウソのようにスリルとサスペンスが増して、がぜん面白く観られるようになった。 物語のペースがあがったわけでは必ずしもないのだが、体感的に「飽き」が感じられなくなった。 やっぱり「犯罪」ってのは、映画を面白くする最高のスパイスなんだな、 ということを否が応でも痛感させられる。 逆にいえば、天災とか怪物でも出てこないかぎり、「犯罪」とか「浮気」とか「裏切り」とか、とにかく何でもいいから「後ろめたいこと」がないと、なかなか「サスペンス」ってのは生まれないものなんだなと。 行われていることは、猛烈にのんびりとしたドメスティックな犯罪(乳泥棒)であり、正直トム・ソーヤや『大草原の小さな家』のローラだってやりかねないようなショボいネタなのだが、ここに「お金」が絡んで、「プライド」が絡んで、さらにはフロンティアならではの「私刑」の概念が絡んでくるので、十二分にサスペンスは醸成される。 バレたら、おそらく殺される。 そのネタが、ドーナツづくり。 事の軽重の釣り合わない感覚が、独特の歪みを産む。 最底辺の流れ者には充分な知恵があって、 もっとも偉そうにしてる仲買人は薄のろ。 ここのバランスの悪さも、サスペンスに奇妙な味わいを付加する。 官憲をあざ笑っている魅惑の怪盗も、ときには捕まって処刑される。 悪を成敗してまわる華麗な必殺仕事人も、往々にして最期は犬死する。 たとえやっていることが乳泥棒に過ぎず、つくっているものはただのドーナツで、得ている対価がたかだか銀貨10枚ぽっきりだとしても、彼らの行為はやはり危ない綱渡りだ。 まして、ふたりはしょせんしがない流れ者。最下層の放浪民だ。 彼らの命など、牛や犬よりも軽い。 ラストがどうなるかにはここでは言及しないけど、 これだけうまく冒頭に貼ったあからさまな伏線を、 きれいに活用して締めてみせた映画は、久しぶりに観た。 僕などはすれっからしだからか「どうせ裏をかいてくる」とばかり思って観ていたので、「ああ、そういう使い方をするつもりで、あんな出だしのシーン用意してたのか!!」と、思いがけないくらいに鮮やかな幕切れを迎えたことに、とにかく感心しきりでした。 ― ― ― この映画のジャンルは何かと訊かれれば、一応は「西部劇」ということになるのだろうが、そこには荒くれ者どうしの私闘も出てこなければ、銃を撃ち合っての決闘も出てこない。 出てくるのは、物々交換で成立する原始的な経済と、あらゆる民族のるつぼと化したなんでもありの「辺境(フロンティア)」のごった煮感(中国人や黒人、ハワイアンに加えて原住民とも共存している)、そして、才ある者だけが相手を出し抜けるような生き馬の目を抜く世界観。そこでわらしべ長者のように成り上がろうとするふたりの無謀な闘い。 ノリとしては、たとえばラノベでいえば『狼と香辛料』や『本好きの下剋上』のような、「西部劇の皮をかぶった経済/経営サスペンス」ともいえるだろう。 あるいは、冒頭で述べたとおり、『異世界食堂』や『とんでもスキルで異世界放浪メシ』や『老後に備えて異世界で8万枚の金貨を貯めます』のような、「西部劇の皮をかぶったグルメチートもの」とも位置付けられる。お菓子に特化したラノベアニメだと『おかしな転生』ってのもあったな。 まあふつうに考えると、ケーキに「牛乳」が必須だというのが「誰にも知られていない」というのは、ちょっと信じがたい部分もあるし、「卵」や「バター」がなくともおいしいドーナツは果たしてつくれるものなのかなど、いろいろ疑問もあるのだが、「最初の牛(ファースト・カウ)」と「いままでにない料理で一攫千金」と「それをつくるために犯罪行為が必須」の三つを組み合わせてみせたアイディア自体は秀逸だと思う。 とくにアメリカ人にとっては、単純に「白人が銃をもって先住民を駆逐しながら、西へ西へと領土を拡大した」という歴史観を超えて、そういう時期より「少し前」のコロンビア川流域を舞台に、人種の異なる移民たちがぎりぎりのところで共存し、「ソフトゴールド(=ビーバーの毛皮)」をベースに交易の共同体を築き上げていたという舞台設定そのものが、ひどく新鮮かつ重大に映るのだろう。 とりわけ、ハワイアンまでがオレゴンに移民してきていたことや、インデアンともそれなりに友好的に商売上のやり取りしていることは、僕にとっても非常に新鮮に感じられた。銀貨や金貨と同等の「貨幣」として「貝殻」が一般的に流通しているシーンとか、これまでの西部劇だとあんまり見たことなかったからね(小生、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は未見です)。 それと、もうひとつ本作には重要なポイントがある。 本作は絵に描いたような「バディもの」――いわゆる「ブロマンス」でもある。 主人公のふたりは、ボストンから来たパン屋のクッキーと、中国系移民のキング・ルー。 片方が実直で少しのろまな気の良い男で、もう片方は目端のきいた犯罪者気質の上昇志向の強い男という取り合わせも、片方がアメリカ人で、もう片方が中国人という取り合わせも、いかにもブロマンスらしい。 出逢ったときのキング・ルーが「裸」とか、大の大人が二人で深夜にドーナツの種をいちゃいちゃつくってるとか、樹上からキング・ルーに見守られながらクッキーは突起物をギュウギュウ搾って白濁を噴出させているとか、考えれば考えるほど、いろいろと意図的に「そんな感じのシーン」が挿入されていることに気付く。 「あの夜」のシーンにしたって、「白濁搾り」に夢中になりすぎてクッキーは仲間の警告になかなか気づけないわけだから、あれはふたりの擬似的な関係性に深入りしすぎて、部屋に踏み込まれるのに気づかない間男のアナロジーのようなものともいえる。 と書きながら今気づいたけど、そもそもの設定として、二人の男が他人の飼っている乳牛のところに毎晩通い詰めて乳を搾るというのは、完全に「間男」の所業なんだよね。 本作における「乳牛」というのは、女っ気のほとんどない未開のフロンティアにおける「女性性」の象徴であり、その女性(牝牛)と一緒に浮気する二人組は、その実、お互いどうしをよほど意識しあっているというホモソーシャルな構図。で、ホモソーシャルな構図というのは、ふとしたきっかけでホモセクシャルな構図へとスライドすることだって、往々にしてありうるわけだ。 『ブロークバック・マウンテン』のようなマジものの同性愛映画ではないが、『真夜中のカーボーイ』や『傷だらけの天使』に近い程度の「隠し味としてのホモセクシャリズム」は(ドーナツにかけるはちみつとシナモンのように)そこはかとなく「甘く」漂ってくる。 そういや、この映画ではキング・ルーがしきりにカルフォルニアでホテルを手に入れる夢を語るのだが、『真夜中のカーボーイ』で二人が目指していたのはフロリダ州のマイアミだった。一攫千金を求めて最もピーキーな街で犯罪まがいの方法で金を手に入れようとするも、結局は……という流れにおいて、二つの映画は本当によく似ている。 だいたい、あの「運命の夜」の後にしたところで、なんでお前たちそのまんま南に逃げないんだよっていう(笑)。お互いを思いやる気持ちってやつが優先された? まさに、これぞ真の「オレゴンから愛」、だよね(そういえばあれも「東洋系移民」の物語だった)。 で、しかも、あのラストだから。あの並びだから。 そりゃ、どうしても「ウホッ」感はあるよなあ。 日本でリメイクするなら、濱田岳と青木崇高あたりでやれそうな、そんな雰囲気でした(笑)。 ― ― ― 総じて、異様なまでにスローテンポの映画であることはさておき、お話はきちんと組み立てられていたようには思う。 ただ、話の展開として気になるところもある。 とくに、なんでキング・ルーは、もともとずいぶんと強い警戒心の持ち主だったのに、途中からむしろ敵を甘く見るような増長した考えを持つようになっちゃったんだろう? そこには少し、作り手のご都合主義の部分もあるような気がして、しっくりこないものがあった。ああいうタイプの人間は、簡単に敵を軽んじたりするようなへまはしないと思うんだけどね。あと「あの夜」にやらかすのが、クッキーではなくキング・ルーのほうだというのも、なんとなく「頭で考えた」展開のような気がする。 その後の展開においても、二人のとる行動は僕からするとかなり意外だったし、ちょっとバカなんじゃないかと思ってしまった。あと、こうしないと終われないみたいな作り手サイドの「作為」もある気がして。そもそもクッキーの側がいきなりああなるのは、昔のメロドラマか韓流ドラマみたいで若干引いた……。キング・ルーの移動経路にも、よくわからないところがある。ずいぶんとあのあと河口方面に南下しているような気がしたのだが、なんで急に振り出しまで戻ってこられてるんだろう。 序盤のゆったりした展開が僕の感覚に合わなかったのと、終盤の展開が不自然に感じてしまったのがあって、★評価は低めにつけてしまったが、良い映画は良い映画だと思う。 あと、映画のパンフで牛の眼のところが通しで「型抜き」になっていて、冊子に「孔」が空いているのには驚いた。もしかしてドーナツともかけてる?(映画のドーナツは孔空いてないけどw)いろいろと面白いことを思いつくもんだねえ。 (追記) ★なんとなく「乳牛は乳を出すもの」と思って観ていたけど、後からよく考えてみると、乳牛とはいえ、仔牛を産んだ母牛しか乳は出さないので、この牛はどこか都会で出産した後、オレゴンまで連れてこられたということになる。それと、乳牛は出産後300日くらいしか乳は出さないので、継続的に乳を出させるためには、人工授精がないこの時代では、どちらにせよ種付け用の雄牛が早晩必要になる。 (ちなみに、産ませた仔牛も、乳の出なくなった母牛もすべて、結局は食肉へと回されるわけで、乳牛の一生はある意味、食肉牛以上に搾取され使い潰される悲惨で尊厳を欠くものである。) ★終盤に出てくる例の青年は、たしかに「ドーナツを食べられなかった青年」ではあるのだが、最初に牛のひもを引いているのがこの青年であり、牛の見えるところに住んでいる小屋がある以上、彼こそがこの牛の世話係だったと考えるべきだろう。 なので、夜な夜な乳を奪われていたことで、仲買人から猛烈な叱責を受けただろうことは容易に想像がつくし、ラストシーン近くで小屋が荒れ果てていることを考えると、もしかしたらそのあと首にされてしまったのかもしれない。 なので、終盤に彼が見せる行動は、まさに当然といえば当然、ということになる。 ★本作のもう一つの主役は、オレゴンの美しい秋の森の風景描写だといえるだろうが、奥行きの感じられない閉塞感のある森の様子に「なんとなくギュスターヴ・クールベの狩猟画みたいだな」と思っていたら、パンフで監督がクールベ絵画に影響を受けたことについて言及しており、おおやっぱりか、と。牛とうっそうとした森の取り合わせは、パウルス・ポッテルやカミーユ・コローの絵画をも思わせる。
アメリカン・ドリームの夢破れ・・・‼️
森や草木、悠久なる河川、青空や雲、その美しい自然描写にまず心奪われる、一応この作品は西部劇です‼️映像的にはピーター・フォンダ監督の「さすらいのカウボーイ」を思い出しました‼️料理人のクッキーと中国人移民のキング・ルーが、牛のミルクを盗み、ドーナツを作って一攫千金を狙うが・・・‼️アメリカン・ドリームの夢破れる二人の友情が胸打つ静かなる秀作‼️前半は二人の友情の育みを丁寧に描き、後半はミルク泥棒がバレるかものハラハラドキドキと、必死に追跡を逃れる逃避行が描かれる‼️冒頭、現代の女性が土の中から発見する並んでる二つの白骨死体と、クッキーとキング・ルーの二人が休憩所で並んで横になるラストカットが連動していて見事ですね‼️
のんびり泥棒
A24らしい雰囲気は好きだけど、中盤まで"失敗したかな?”と思うくらいゆーったり。
開拓時代の市場の様子や、当時のドーナツは穴がない事など知れて興味深いけれど、すごくゆーったり。
絶対やっちゃいけない調子のこき方をしたフクロウの鳴きマネのシーンは、クッキーうしろーうしろー的なハラハラもあり、その辺りからは展開があって面白かった。
っていうか、聞こえるか練習してないんかい。
最後は始まりとリンクして、ちょっと切なくもあって良かった。
開拓時代の米国オレゴン州。 シカゴでベーカリー修行の経験がある料理...
開拓時代の米国オレゴン州。
シカゴでベーカリー修行の経験がある料理人クッキー(ジョン・マガロ)。
「ソフトゴールド」と呼ばれるビーバーの毛皮の狩猟を行う3人組に加わった。
ある日、ロシア移民たちに追われている素っ裸の中国人移民キング・ルー(オリオン・リー)と出逢う。
仲間に隠してルーを逃してやったクッキーは、人々が集う砦に到着。
約束の銀貨一袋を得たところ、先に砦に到着していたルーと再会し、ルーの小屋で暮らすことにした。
そんなとき、砦の有力者である英国人の仲買人(トビー・ジョーンズ)のもとに一頭の乳牛がやって来る。
ルーとクッキーはその乳牛からミルクを盗んでドーナツをつくり、野天の市場で売ることを思い立つ。
それは、アメリカンドリームともいえるものであったが・・・
といった物語で、冒頭、現代の米国オレゴン州の川岸近くで、犬を連れた女性が二体の白骨を発見するところからはじまり、先の物語へと展開します。
なので、並ぶように埋もれた二体の白骨がクッキーとルーだということは、すぐに気がつくわけで、物語の面白さを愉しもうという向きには甚だツマラナイということになるでしょう。
実際、映画としてはリアリズム重視で、夜間シーンはおろか昼間のシーンも明るくなく(なにせ樹木が鬱蒼と茂っている)、目を凝らしても何が映っているのかがわからないシーンも多く、輪をかけて悪いことに、日本語字幕の白さが際立って、陰影ある画面をさらに判別しづらくしています。
また、物語もクッキーとルーが再会するまでのエピソードが意外と盛り上がらず、下手するとウトウトする可能性も(わたしはウトウトしなかったけど)。
で、映画が面白くなるのはミルク泥棒が始まってから。
幾度も映し出されるミルク泥棒のシーンは、映画の愉楽のひとつが「繰り返し」「反復」にあることを再認識します。
でね、この映画、「男たちの友情」という紋切型で紹介されていますが、ま、これを友情というなら友情。
成り行きといえば成り行き。
ケリー・ライカート監督は、ミニマムな物語の中に「アメリカの本質」のようなものを常に描いており、本作でもそれは色濃く出てきていました。
特に感じたのは、彼らがミルク泥棒をはじめるきっかけで、
「事業をはじめるには、奇跡に恵まれるか、借金をするか。奇跡は来ないだろうし、誰も金を貸してくれない。残るは、犯罪に手を染めるかだけだ」と。
なるほど。
また、仲買人と彼が招いた軍人とのやり取りも興味深く、軍人には先住民の族長も随行していたりもする。
この先住民との関係ももう少し掘り下げてみてほしかった気もするが。
なお、西部開拓時代を描いたケリー・ライカート監督作品では、出演者の豪華さ(に比して内容の地味さも魅力)と先住民との関係を描いた『ミークス・カットオフ』を上に取ります。
本作がいまひとつだった方にも、本作に感心した方にもお勧めします(配信あり)。
<追記>
「男たちの友情」を描いた(といわれる)ライカート監督の旧作『オールド・ジョイ』は未見。
この後、鑑賞したいと思います。
アメリカンドリームを掴めない人も多い
西部開拓時代のオレゴン州で、アメリカンドリームを求めて未開の地へ移住した料理人クッキーと中国人移民キング・ルーは意気投合し、他人の乳牛から無断で乳搾りをしてミルクを盗み、ドーナツをつくって売ることを思いつき、商売は繁盛していた。しかし、ある夜、乳搾りしてた時、見張り役のルーが木から落ち、その音で乳牛の持ち主に気付かれてしまい、逃亡する話。 西部開拓時代、先住民族もいて、自然も残ってて、なかなか仕事も無く、生きていくためにミルクを盗むという事をしてしまったが、アメリカンドリームを掴めた人はごく少数で、大多数の人たちは大変だったんだろうと思った。 川を含め、風景は綺麗だった。 それと、リリー・グラッドストーンを観れたのは良かった。
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