逃げた女のレビュー・感想・評価
全36件中、1~20件目を表示
飄々とした魅力でじわじわ惹きつけるサンス・ワールド全開
ホン・サンス監督の映画にはいつも自宅の半歩くらい外を徘徊し続けているようなご近所感がある。舞台がどんな国や地域でも一向にペースを崩すことなく、独特の間合いで”終わらない会話”が繰り広げられていく。その特色は本作でも同じ。しかし会話劇だからと言って、一字一句を聞き逃すまいと耳をそばだてる必要はない。もっと柔らかな気持ちで、本作から徐々に伝わってくるもの、感じ取れるものを味わうべし。そうやって3つの場面、3つの関係性、3つの会話が蓄積されていくことで、心の内側にストーリーの輪郭線や主人公の秘めたる気持ちが徐々に像を結んでいくはずだ。ちなみに3つの場面は雑然と並んでいるようでうっすらと同期性があり、そこはかとなくデジャブ感をかき立てられたりもする。このリアルな夢を見ているような感覚もまたサンス作品らしさ。本作が終わる頃、結局いつも通り、サンスワールドの虜になってしまっている自分に気づくのだった。
Another Ethereal Bit on the Earthly from Hong
Hong's films usually lack traditional movie conflict. Often such is implied through the overall prose of the seemingly uneventful moments on screen. Shots are artfully coincidental. Zooms onto unplanned occurrences in frame, such as a cat's yawn, prove as momentous as the scripted dialogue. Everyday items take reoccurring roles, such as the chime of an auto-lock door which punctuates some scenes.
1時間強の会話の一つひとつを聞き落せない、なかなか油断ならない一作
ホン・サンス監督はあたかも同じようなメロディを組み合わせ、変調させて新たな曲を作り出しているかのように映画を作るんだけど、本作も確かに、これまでどれかの作品で見たような場面、要素にたびたび出くわします。むしろ一連の作品群は連続した世界観でつながっているのでは、と思えてくるほど(例えばクォン・ヘチョの役回りとか)。この言葉を裏返すと、本作だけ鑑賞しても、作品の意図がつかみにくいと感じるかもしれない、ということです。実際のところ作中では大きな事件が起きることはなく、淡々と会話が展開します。その内容も他愛もない、と思えてしまうようなもので、うっかりしているとその意味を見落としそうになります。
ところがこうした穏やかなで他愛無さそうな会話とは裏腹に、なかなか注意深い鑑賞をようする作品です。夫との仲睦まじい関係をことあるごとに強調するガミ(キム・ミニ)だけど、表題の『逃げる女』を踏まえれば、何から逃げているのか非常に気になるところ。彼女が誰を訪ねて、どんな会話をしているのか、意識しながら鑑賞していくと、また別のドラマが見えてくるかもしれません。
それにしてもキム・ミニはホン・サンス監督作品において多様な役柄をこなして、そのたびに女優としての新たな側面が見えてくるところが面白いです。彼女の出演作で特に有名な作品は『お嬢さん』(2016)ですが、サンス監督作品における彼女の演技を横断的に辿ってみるのも面白いかも。
雑談から人生を垣間見る
2021年度キネ旬ベスト11位
ずっと見たかったのですがレンタル屋にもなく中々見れなかった作品です。やっとアマゾンプライムで配信されたので鑑賞出来ました。
近年になってハマりつつあるホン・サンス監督作品です。しかし、ホン・サンス監督作品って感想書く意味あるのかなぁ~って、いつも思ってしまいます。
正直言って普段映画見ない人にとっては、彼の作品なんて大半が意味不明の筈ですよ。たまに特殊な感性の人が引っかかるくらいだと思います。
でも、シネフィルにはファンが多そうなので、本当は感想を書くよりもホン・サンス好きの人と、映画を見た後に(彼の映画の様に)何処かで向かい合いながら会話するのが一番良い様な気もします。
例えば「タイトルは何故“逃げた女”にしたんだろうね?」とか、恐らく主役のことなんだろうけど、他の登場人物にも当てはまりそうだし、とにかく彼の殆どの映画構成は会話劇というのか、ただ人と会って喋り、次のシーンではまた別の人と会って喋りの連続で繋がっていて、その内容には一切の説明台詞は無く、雑談的会話の内容から相手との関係性や仕事や生活状況等々全てを推察しながら状況を把握して行く構成になっていて、観客は只々登場人物をスクリーン越しに覗き見しているだけの存在なので、彼の作品にハマる人とかファンと言ってる人の大半は覗き趣味や人間観察好きばかりなのかも知れません(笑)
しかし彼の映画の登場人物の共通点として何処か孤独を感じさせる人間ばかりが登場している割には、皆よく喋るんだよなぁ~(苦笑)
他の作品やキャラクターの共通点として、監督自身の階層的な職業であったり知己のようでもあり、結構知的な内容の会話も多く、私の身の回りにはああいう階層の知人はいないし、あんな会話をする人もいないよなぁ~って感じです(苦笑)
上記で彼の映画をネタに鑑賞後に彼の映画の中の雑談ように会話するのが良いとは書きましたが、そこでふと思ったのですが果たして今の私に映画の中の様な会話が果たして出来るのだろうかと…
よく考えると私は家では老母と二人暮らし、仕事も夜間で一人作業、趣味は映画や読書、週一の趣味のレッスンでは挨拶程度の会話だけという生活が何年も続き、会話らしい会話なんてしたことないのに気付き、ひょっとしたら今人と向き合ってもこの映画の様な“会話”なんて全く出来なくなっている様な気がします。もう何年も誰とも長い会話など全くしていないので、同年代のオヤジによくいる失語症の様になっていないか不安です。
そこで、私には彼の映画の様な会話をする相手すらいないのだと、彼の映画を見終わると登場人物の不安や孤独と比べ私はどうなのか?と、そんな事を感じさせてくれるのが(私の個人的な)彼の映画の特徴のようです。
追記.
映画の感想はダラダラ書いているじゃないか。この感想の様に喋ればいいじゃないか。と言われる人もいるかも知れませんが、この感想だって決してスラスラ書いている訳ではありませんので(爆)
何気ない女子トークだけってことはないでしょーよ。
はて、何を観せられているのか?
そして、おそらくガミのことなんだろう
けど、何から逃げたのか?
直感から文脈を組み立ててみることに。
ガミは離婚してないのかもしれない。
「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」
が理由で。先輩や知り合いと話をすることで、
その決断を正当化したいと思ったのでは。
ヨンスンにあまりにも男っ気がない、
あるいは同居人との関係を疑う始末。
お盛んなスヨンには元気をもらい、
むしろ背中を押される。
ウジンとは想定外だけど、押された背中は、
かつての彼氏、チョン先生に向いた。
喫煙所で食ってかかる様子や戻って再び
映画を観るガミが愛おしい。
あと、三人それぞれのシーンの中で現れる
男性たちが興味深い。泥棒ネコ呼ばわりする
野良猫に餌をあげることに注意する男性、
一度の関係が断ち切れず逆ギレ状態の男性、
面倒くさい鼻持ちならない男性(チョン先生)。これを見てると、女性同士の穏やかな
シーンに男性が割り込むことでざわつく
対比がコミカルにも思えた。
とにかく、りんごが食べたくなってきた。
恵まれているけどもやもやする女の人生
ホン・サンス監督作品は「それから」に続いて2作目の鑑賞。
主人公のガミは、その後、家に帰ったのでしょうか。それともそのままどこかへ「逃げた」のでしょうか。
おしゃれな外車に乗って、いいお肉を持参して訪ねてきたところを見ると、今の生活は決して悪くなく、経済的に恵まれているであろう主人公のガミ。でも、リップサービスなのか、それぞれの女友達のお宅で「私もこんなところに住みたい」と漏らす。パートの仕事はしているけれど、身が入らない。先輩たちは独身で大変だけれど、自分の力で人生を切り開いている。一方、ガミは自分で人生を決められないもどかしさがあるように見えます。
夫と仲はいいようだけど、「5年間毎日一緒」「妻の友人のことをよく言わない」ところを見ると、束縛の強い夫に息苦しさを感じているのかもしれません。
この映画では、小さな動物たちがズームアップされます。
牛や野良猫のエピソードでは、地球上で人だけが「えらい」のか、本来、人と動物は対等なのではないかという示唆が含まれていると思います。ベジタリアンになりたくても、人間のエゴでお肉を食べてしまうというエピソードも、経験があるのでよくわかります。
また、マウンティングする鶏の話は、優位を誇示したがる人間の男性を示唆しているのでしょう。
ガミは今の安穏とした生活から「逃げた」のか、それとも自分の力で人生を開拓することから「逃げた」のか。最後は観客に丸投げされるので、いろいろな想像が膨らみます。「え~これで終わっちゃうの~」と言いたいところですが、ほかの作品も観てみたくなる不思議な中毒性がありました。
ガミは何から逃げたのか?
ダンナさんの出張中に2人の先輩と、同級生を訪ね歩くガミ。
懐かしく思い楽しむつもりで会いにきたのか、観ているうちに色んな憶測を浮かべる。結婚して5年間、一度も離れたことがない、と話すガミ。この言葉自体が本当なのか疑いを持ってしまう。実はあまり仲が良くなくて寂しい思いをしているのに、それを隠して見栄を張り、相手の生活を探ろうとしているのでは?とも思った。それとも本当に言葉通りで、少し鬱陶しさを感じていて,逃げたかったのか?
最初の先輩の家で部屋を見せてくれないと拗ねていたが、そんなことで拗ねてどうする?見せられない部屋くらいあってもおかしくないでしょー。それに、飼い猫ではない猫にご飯をあげるのは、日本だったら苦情は確かにきますよね。韓国はそのあたりどうなんでしょう?ご飯をあげてるなら飼ってしまえばいいのに、と猫好きの私は思ってしまいました。
何から逃げて、主人公の心の動き、その後彼女がどうするのか,何もかもがはっきり描かれていない作品、観る人に考えさせる作品。
ちょっと難しい。
ホン・サンスっぽい。小津のような、日常の冗長とも言える会話。でも...
ホン・サンスっぽい。小津のような、日常の冗長とも言える会話。でもセリフは辛辣。同じ内容が、違う語り手によって、違うニュアンスで反復される。
窓の外が美しい。
難解な会話劇
5年の結婚生活の間、夫と一度も離れたことのなかったガミ。そんなガミが夫の出張中に3人の女友達と会った。1人目はバツイチで面倒見のいい先輩のヨンスン、2人目が独身生活を謳歌する先輩のスヨン、3人目が旧友で元彼と結婚したウジン。ガミは行く先々で「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫の言葉を繰り返していたという話。
会話劇なので、その会話に共感出来るかどうかで評価は変わりそう。ガミはこれから何か変わるのだろうか?結論は出ていない。
タイトルの、逃げた女、とは誰の事を言ってるのかわからない。投げやりで観客に判断を任せるという無責任な作品に感じた。
出演者で興味を持った人も居ないし個人的には面白くなかった。
【女は、旧友と会う度に”5年間、夫とはいつも一緒に居る。彼は離れない事に愛を感じている”と必ず言った・・。今作は、観る側に様々な事を類推させる映画である。】
ー ガミ(キム・ミニ)は、先輩のヨンスン(ソ・ヨンファ)、同じく先輩のスヨン(ソン・ソンミ)、ウジン(キム・セビョク)の家を、5年間一緒だった夫の出張中に”髪を短く切って”訪れ、何気ない会話をし、一緒に食事をする。
カメラは、そんな彼女たちの姿を長廻しで、映し出している。ー
◆今作への、勝手な憶測
・ガミは、夫との生活に嫌気が差していたのではないか?
ー ”5年間、夫とはいつも一緒に居る。彼は離れない事に愛を感じている。”
繰り返される言葉に含まれた意味。ー
・そこで、夫の出張中に普段とは違う自分(髪を切る)で、旧友たちの家に行って、他愛もないお喋りをし、食事をしたのではないか?
そして、久しぶりに会った彼女達が、どの様な生活をしているのかを、自分の夫との生活と比較しながら観ていたのではないか。
・離婚経験者だが、パートナーと楽し気に暮らすヨンスン(と猫)。
・お気楽な独身生活を楽しんでいる、料理下手のスヨン。
ー 彼女は、酔った日に若い詩人と寝てしまい、付きまとわれているが、それを楽しんでいる風情である。ー
・過去に、ガミとの間に男絡みで明らかに何かがあったウジン。
ー ”貴女には、謝らなければ・・。”というウジン。再後半に登場する、”文化人”の煙草の男。ー
<ガミはウジンが経営するミニシアターで、海辺を写した絵画のような映画を観て、一度は席を立ち、外に出るが、踵を返して再びミニシアターの緋色の椅子に座り、彼女の心象風景の様な、波が打ち寄せるアーティスティックな映画を観ている。
彼女は、映画を観た後、真っすぐに家に戻ったのであろうか・・。
観る側に、様々な解釈をさせる映画である。>
<2021年8月1日 刈谷日劇にて鑑賞>
何が起こるわけでもないけど、ずっと観てられる映画。
淡々と進んでいく女性たちの会話。それぞれの生活を覗き見している感じで面白い。
それぞれの住む家(職場)か、それぞれの心の中や日常の人間関係を表しているよう。
ガミはどんなお家に住んでいるのかな。
身辺雑記映画
ハリウッド映画の身過ぎで、このような劇的な出来事が起こらない映画は久しぶりだ。会話と役者の表情だけで成り立っている映画。しかし、私達の日常生活はこんな風に日々送られている。このような映画もあっても良いと思っています。でも、ちょっと退屈でした。
すごいと思った
111本目。
最初の3人の会話のシーンで、女性の日常会話ってこんな感じと思った瞬間に日常を感じる。
その後の流れもドラマ的な所もあるけど、最初の流れからリアルな日常に思えてしまう。
でも最後に彼女の本心が見え、あの終わり方は観てるこっちも、そっちの世界に行ってしまったかと思わせる。
緩い実験映画なのかも。
この監督は初見なので少し戸惑った。
日常的な会話とちょっとした事件、でも話の流れとは関係ない。そもそも話なんか無いのかもしれない。
逃げた女は誰だったんだろう?
ガミ自身なのかな?
5年間ずっと一緒なら嫌にもなるよな。
観てる人がタイトルと登場人物の会話のなかから何かあるんじゃなかろうか?と疑い、妄想、思索するように仕掛けられたローインパクトな実験映画かも、、と思った。
Fフェリーニの後期やDリンチ見たくエグいと見どころが有ってそこそこたのしめるんだけど、日常でやるとこんな感じかなぁ、、と思った。
実験に付き合う余裕がある方向け。
1日中でも観ていられる独特な優しいテンポが心地よい77分
結婚してから夫と1日も離れて過ごしたことがないというガミが夫の出張中に3人の女友達に会いに行くのを淡々と眺める作品。パッと見であっと思ったのは主役であるガミを演じるキム・ミニの佇まい。全く何の前情報も入れていなかったので映画が始まるまで気づきませんでしたが、これは彼女のパートナーでもあるホン・サンス監督作だったんですね。数年前に観た『クレアのカメラ』でも不思議な雰囲気を纏った主人公を演じていましたが本作でもかつての松嶋菜々子に似た風貌でトボトボと友人宅を渡り歩く半透明のような存在感は健在。確信を突くようなセリフは何もなく、ただ他愛のない話をしている間にどうでもいい来客が割り込んでくる日常をボーッと眺めているような77分間。普通ならカットを割りそうなところでゆっくりズームで被写体に寄っていくところがユニークで、それが独特なテンポを生み出しています。舞台がカンヌだった『クレアのカメラ』に対してこちらはソウル郊外の街角。街の雰囲気は全く違うのに作品中にゆったりと流れるかのような時間は同じ余韻を感じさせるもの。何かを直接訴えかけるのではなくて、映っている映像の向こう側に何かがあるわけですが別にそれが何か解らなくても構わない、そんな居心地の良さが感じられる作品で、終幕ではガミの心情に寄り添っているかのような錯覚すら覚える1日中でも観ていられるような優しい作品でした。
猫はどうなった?
どうもこの手の映画は理解に苦しむ。
猫のことで隣人が苦情に来たとき、いよいよ事件が起こるのか?と思いきや何も無し。
ストーカーらしき男が現れても何も無し。
タイトルの「逃げた女」ったガミのこと?
別に逃げてるようには見えません、旦那の留守中に旧友に会いに来ただけでしょ。
なんだろうこの映画。
静かに、ただ静かに人間の心情がうごめいている
ホン・サンス監督作品ってきっと初めての鑑賞です。
最初からびっくりです。終始ワンカメとズームのみの映像。そしてただただ会話が繰り広げられる。いきなり置いてけぼりにされそうででした。
なんでこんな撮り方してるのか?、、、あくまで僕の主観ですが、、、変わらぬ映像構成だからこそ、明瞭に伝わるものがあったのでは?と思います。
定点カメラのように条件を固定するからこそ見えてくる会話内容、表情や仕草の些細な変化があるんだと思います。それらを通して「目に見えない心情」を映し出したかったのではないかなぁ?って思ってます。
主人公ガミの感情が揺さぶられている様が伝わってくるんです。彼女の違いや違和感を拾えるのです。そしてその違いというものがガミの心情やその背後にある人生、生活みたいなものを映し出そうとしているのではないだろうか・・・・と思いました。
そのような演出で際立つ会話シーン。なんの変哲もない会話です。よくあるシーンですが、つめこまれている情報量がとんでもなく多いです。
ガミが先輩や旧友を訪ねて会話する。相対する人が変われば口調も表情も仕草も変わる、嘘も言う、奇妙にも同じ報告をする、、、なぜそうするのか?それを言うのか?に想いを巡らせれば、人となり、性格、人間関係やその経緯を語るに足るのではないかと思うのです。「あいつには言えるけど、こいつには言えない」みたいなモノかな?
すごく興味深い演出のアプローチであり、見事な脚本ではないか?と思いますし、演者の力量があってこそ説得力ある映像になったんだと思います。
作り手の意図を十分汲み取れているかどうか?は横に置いといて、僕はガミの今とこれまでをイメージ・・・いや妄想か?・・・できました。きっと、ガミはこのような理由でこんな事をしているんだろう。そんなに好きではない旦那との結婚生活がもとで、、、みたいに。
題名もめちゃくちゃしっくりきてます。うん、確かにって!
きっと見る人によってガミの人物像は変わるんじゃないかな?観る人自身の経験が違いますから。だから、本作観た他の人とあーでもない、こーでもないと話ができたら楽しいのかもしれません。
感じる「建前」と「本音」感。
観終わった後に頭の中で冒頭からのシーンが脳内リピートしてました。あれってどういうつもりだったんだろ?って。
こんな心情、人間関係の描き方あるんですね。秀作です。
全36件中、1~20件目を表示