「サア サア サアどうでござんすわいなア」シネマ歌舞伎 鰯賣戀曳網 Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
サア サア サアどうでござんすわいなア
短い戯曲なので、80分も何をやるのだろうと思ったら、冒頭15分は玉三郎のインタビューと、上演の歴史などの本作の背景の解説だった。
三島のこと、そして、本作の三島作品にしては特異なハッピーエンドについて語られる。
久しく上演が途絶えていたものの、ハッピーエンドが喜ばれるのか、平成元年より玉三郎と勘三郎のコンビで復活し、何度も上演されてきたという。
この映像は、2009年の「歌舞伎座さよなら公演」のものらしいが、勘三郎の突然の死去のため、シネマ歌舞伎で残しておいて良かったと、玉三郎はしみじみ語る。
意外にも、相手役がどう演じていたかは、こういう映像で初めて確認できるらしい。
自分はテキストを読んで、予習して観に行った。
そのため、当たり前ながら痛感したのは、どう演じるか、どう語るか、どう笑わせるかというのは、役者次第ということだった。
主役2人だけでなく、脇を固める役者も、みなパーフェクトに見えた。
浄瑠璃(太夫と三味線)が入るのだが、これまた面白く、もっと聴いていたい気がした。
しかし、上記と矛盾するようだが、この公演は、自分の予想の範疇を超えるものではなかった。
役者の責任ではない。
ストーリーの平明さも含めて、三島のテキストは親切すぎて、また感覚が現代的で分かり易す過ぎるのだ。
テキストにニュアンスも含めて書いてあるので、玉三郎と勘三郎の創意工夫の余地が乏しく、何が起きるか分からないスリリングなところがなかった。
上演が途絶えていた理由も分かる気がする。並の役者では、テキストよりも面白くならないのだ。勘三郎だからこそ、何度でも観客を笑わせることができるのではないか。
とはいえ、役者とは常に、テキストで定められた“縛り”と、自分自身の“工夫”の狭間で苦闘する存在なのだろう。
それが、素人目にも顕在化したのが本作品だった。