劇場公開日 2020年6月13日

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「政治家というよりもむしろ、有権者側が絶望的に貧弱な状況にある事実を浮き彫りにした作品」なぜ君は総理大臣になれないのか yuiさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5政治家というよりもむしろ、有権者側が絶望的に貧弱な状況にある事実を浮き彫りにした作品

2020年10月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

恥ずかしながら本作を知るまで小川淳也という政治家についてほとんど理解していませんでした。彼が初めて立候補してから17年にも及ぶ膨大な取材を続けてきた大島新監督のお名前も同様。作品の中で小川代議士の二人の子供達は幼児から大人の女性に成長し、大島監督の髪に白髪が交じっていきます。作品が完成するまでの時間の重みに圧倒されました。

小川代議士は官僚として総務省に勤務してきた経験と、日本を変えたいという使命感によって、地盤も資金もない中、地元高松から立候補。民主党議員として政治家人生を歩み始めます。彼の政治的信念は揺らがない一方で、彼の所属する党の屋台骨は常に不安定で、彼は民進党、希望の党と所属先を転々とせざるを得なくなります(いかに自民党が強固な政党かを間接的に思い知らされる)。

彼は政治的信念のためには解党も辞さない、という覚悟を示しており、この点では、意外に豪腕政治家、小沢一郎は似通ったところがあります。しかし彼自身が劇中で述べるように、理想の国家像を愚直に追い続ける一方で、「したたかさ」の面で弱さもあり、どの党に所属しても、なかなか要職に就くことができません。

彼が「総理大臣になれない」のは、国政であれ地方であれ、彼のような理想家をあまり必要としない政治風土が大きく影響しています。思ったような政策提言もできず、かといって政治活動を続けるためには選挙に勝たないと意味がない。そのため彼ほどの理想家であっても、選挙ともなれば選挙カーで名前の連呼、たすきを付けて自転車に乗るパフォーマンスに頼らざるを得ず、有権者には「要するに、どこにでもいる当選したがりの政治家」としか認識されません。さらに政党の分裂など、彼が直接関わっていない事情により政党を乗り換えざるを得なくなっても、それは有権者には「変節」とも映ってしまいます。

恐らく意図的に、上映時間の大半は、彼が政治の理想を語るところではなく、何とか選挙に当選しようと四苦八苦する状況を描くことに費やされます。一見すると彼が当初の目的を見失って議席にしがみついているように映るのですが、最終盤、彼が決して理想を手放したわけでも、日本を変えるための努力も惜しんでいないことが十分に理解できる、ある映像が映し出されます。彼は総理大臣にはなれないかも知れませんが、彼のような政治家が存在し続けるだけでも、日本の政治に一抹の希望が見出せるように思いました。

だがもう一つ、本作が容赦なく映し出しているのは、政治家側ではなく、むしろ有権者側の絶望的に貧弱な状況です。小川代議士の集会に集い、彼に厳しい意見を投げかけたり、手弁当で選挙ボランティアに参加するといった人々のほとんどは、小川代議士の家族などのわずかな例外を除き、かなり高齢の方々です。もちろん、高齢になっても政治的な問題意識を持ち続けることが悪い、と言いたいわけではありません。しかしこれほど熱心に日本の問題を説いている小川代議士に対して、彼と同世代やそれより若年の有権者がほとんど振り向かないのは一体どういうことなんだろうか、と困惑してしまいました。

劇中で、若い世代の人々が、ビラを渡そうとする手を無視し、無表情で歩き去る姿がまさに現状を雄弁に物語っています。大島監督は、むしろこうした有権者側の現状を描き出そうとしたのではないか、とも思いました。

yui