「その答えは映画に映し出されているでしょう」なぜ君は総理大臣になれないのか りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
その答えは映画に映し出されているでしょう
監督の大島新と、被写体の国会議員・小川淳也とは、大島の妻を通じて知り合った。
妻が小川と同級生同士だった。
2003年のこと、まだ総務省の官僚だった小川は、官僚主義に疑問を感じ、政治を変えようとして、国会議員選挙に出馬する。
地盤なし、看板なし、カバンなし・・・それでも国会議員になりたい・なるべき、という信念からだった。
それを面白いと感じた大島がカメラを回し始めることにした・・・
といったところから始まるドキュメンタリーで、17年間にわたっての撮影・取材。
民主党から立候補した小川であったが、選挙区には自民党の有力候補者がおり、2003年は敗退。
2005年の選挙でも、選挙区戦でも敗れるが、比例区での初当選、いわゆる復活当選である・・・
と、映画前半は、小川のまっすぐ感があり、見ていて清々しい感じがする。
しかし・・・である。
2009年、民主党の圧勝、政権交代以降、その清々しさは薄らいでいく。
まっすぐさは変わらない(と本人は言う)のだが、東日本大震災以降、政権運営の拙さが露呈した民主党のなかにあって、組織の論理に巻き込まれざるを得なくなってくると、カメラも通常の議員活動を撮ることなく、ひたすらに選挙戦の様子しか写さなくなってくる。
額に汗し、苦悩に顔がゆがむ小川・・・
小川という「ひとを撮る」ドキュメンタリーの背景たる、日本の政治、その中でも組織体組織、組織対個人の政治体制が大きくなってきて、「ことを撮る」ドキュメンタリーに近づいてしまう。
そのことが、この映画のドキュメンタリーとしての面白さを減じているかもしれません。
被写体としての小川自身もどんどん輝きを失い、ことしに入ってからのオンラインミーティングにおいて、監督から「それでも君は総理大臣になりたいか」と訊かれ、即答できずにへどもど弁明めいたことを口にしてしまう。
人間らしいといえば人間らしいのだが、そこに『なぜ君は総理大臣になれないのか』の答えもあるような気がします。