劇場公開日 2020年6月13日

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「日本の政治土壌全体の問題を浮き彫りに」なぜ君は総理大臣になれないのか 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5日本の政治土壌全体の問題を浮き彫りに

2020年6月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

 政治家小川淳也のドキュメンタリー映画である。政治家のドキュメンタリーなのに何故か泣ける。「息子は政治家に向いていないと思うが、もし日本を変えられる政治家がいるとすれば、それは息子ではないかと思う」という父親の言葉には、息子を信じ、息子を尊敬し、そして息子を心配する親心が溢れている。

 以前ビートたけしが、脳にもスタミナというものがあるとテレビで言っていた。どういう文脈かは忘れてしまったが、同じテーマをずっと考え続けられる人とそうでない人がいるというふうに受け取って納得したことは覚えている。
 最近のニュースを見ていると、まさに脳のスタミナがないというか、考え続けるよりも安易な大義名分にすがる人が多いように思える。その代表は安倍晋三だ。国会中継を見る人が少ないのからなのか、総理大臣としての答弁に、思慮が殆ど感じられない。多分問題を深く考えることが苦手なのだろう。
 映画が始まってまもなくの大島監督との会話の中での小川議員の「精神生活は8割が我慢で1割が忍耐、残りの1割は辛抱」という言葉は、政治家としてやりたいことの前に党利党略のために時間と労力を費やさねばならない現状に忸怩たる思いを抱いている小川淳也の本音の吐露である。
 そして安倍総理については、国民のことは何も考えていないし、多分、特にやりたいこともないのだろうと一刀両断にする。憲法を変えたいのかもしれないが、それは国民生活には無関係のことだ。国民のためになにかやるという気持ちがない。同じように小池百合子も切って捨てる。その主張は正論だと思う。日本にこんな政治家がいるとは思わなかった。

 現在の日本は政党政治だから政党に属している議員と属していない議員の扱いに差がある。これは本当は憲法違反だと思う。政党に属していようがいまいが、選挙で選ばれた国会議員として平等の扱いを受けなければおかしい。国民の税金を政党助成金として政党には配布するが、無所属の議員には配布しない。比例代表制にも重複できない。ならばひとりでも政党を名乗ればいいかというと、国会議員5人以上などの要件があるから無理だ。政党が優先される政治体制が、政策立案よりも党利党略を優先させる土壌となっている。
 加えて国会は多数決だから、主義主張を通すためには選挙で政党としての勢力を増していく必要がある。数の力というやつだ。だから選挙に勝つことが最優先され、次第に選挙に勝つための政治ということにシフトしていく。
 有権者が政治家の実績や主義主張を判断して投票するならそれでもいい。しかし判断のためには、その政治家が有権者のために何をしてくれたか、何をしてくれようとしているのかという情報が必要だ。そしてマスコミはその情報を殆ど出さない。今はインターネットで実際にその政治家が何をしたのかを調べることができるし、有権者も自分で情報を集めて判断する傾向にあるが、まだまだ少数派である。
 有権者の大多数は候補者との個人的なつながりや、街角で握手してくれたとか、所属する組織が応援しているからなどで投票先を決める。または見た目や印象で決める。だから候補者は有権者と握手して回る。所謂ドブ板選挙だ。小川淳也はこのドブ板選挙が苦手である。しかし現状の社会のありようがそうなのだから、やらざるを得ない。家族を総動員して選挙区を回る。本当は得意の統計資料を揃え、国が次にやるべきことは何かを考える時間のほうがよほど大切なことはわかっている。しかし日本のしがらみ政治がそうさせない。

 小川淳也のもどかしさが画面一杯に伝わってきて、こちらも胸がいっぱいになる。「なぜ君は総理大臣になれないのか」というタイトルは、小川淳也という政治家個人ではなく、日本の政治土壌全体の問題を浮き彫りにしている。本来、有権者は現実を諦めることなく、志を高くして理想の政治家を求め続けなければならない。当方などは日本の有権者に匙を投げているが、小川淳也は諦めていない。人間はもっと賢くなれるはずだと信じている。
 国民を信じている政治家と侮っている政治家がいて、残念ながら後者が優位なのが日本のお寒い政治事情だ。7月5日投票の都知事選で小池が再選されてそれを証明するだろう。もし小池以外の候補者が新都知事になるようなら、東京都の有権者も捨てたものではないが、そんなことにはならないだろうな。

耶馬英彦