潜水艦クルスクの生存者たちのレビュー・感想・評価
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00年に起こった信じがたい事件の顛末とは
エグゼクティブ・プロデューサーとしてリュック・ベッソンがクレジットされている本作だが、少なくともベッソン節は見当たらず、むしろトマス・ヴィンターベア監督らしい見応えのある硬派なドラマに仕上がっている。ただ、2018年制作なので日本公開とは随分と時差が生まれてしまった。そこで描かれる事件のあらましは極めて信じがたいものだ。原子力潜水艦内の魚雷の管理ひとつとっても無様であるし、艦内が非常事態に陥った後はあらゆる面で”ロシアのメンツ”が先に立ち、乗組員の救出は一向に進展しないどころか、遺された家族たちへの説明も十分にはなされない。これは2000年に起こった実話を基にした映画だが、ロシアが引き起こした事故であることを考えると、やはり現代の状況とどうしても重ね合わせずにいられない点が多く、観ていて怒りがこみ上げる。事態を注視する英国海軍の責任者にコリン・ファース。本作に多角的な視点をもたらしている。
久しぶりのヒット
昭和で時々観た船内事故ドキュメントを思い出す。どの海難事故映画を観ても毎回、手に汗握る。今の日本もだけども 災害時にはやはり政治家と現場のアツレキとゆーか、矛盾とか訳わからんルールに基づいて、とかのイラッとくる場面がある。ラストまで気が抜けない目が離せない。これはシネマスコープで観るべき映画ですね。
実話をもとにした話だけど、内部はフィクション。このパターンはあまり好きではないのですが・・・
沈没したロシア潜水艦。その乗組員の苦闘、残された家族の悲哀、そして救難に係る軍人達の苦悩を描く物語。
ソ連崩壊後の極貧に瀕していたロシアで実際に発生した、潜水艦遭難事件をモチーフにした物語。
「潜水艦映画に外れなし」の格言(?)通り、極めて私好みの作品で、良作だと感じました。
密閉された潜水艦。迫りくる海水、減り続ける酸素。死の恐怖に怯えながらも生き延びる為に奮闘する乗組員達。
潜水艦内部の話はフィクションなんでしょうが、小話をして場を和ませたり、死を覚悟して部下に話しかけ軍歌を歌うシーン等は、リアリティと感動を感じることが出来ます。
この作品の特長は、生還を待ちわびる家族、そして救助に取り組む人々を描いていることなのでしょう。
特に残された家族達の不安と憤りと動揺は、過剰な描写はなく淡々と描かれていることに、寧ろ迫力と緊迫感を感じます。
そして、救助に取り組む人々も、変に悪者にせず、各々の立場で最善を尽くそうとしていることに好感が持てました。
地味ですが一見の価値がある秀作。私的評価は4.5にしました。
いくつもの怠慢のツケを払わされたのは罪のない兵士
ソビエトが崩壊してあらゆる軍備が保守されず朽ちていったロシア軍。ICBMですら「腐った爆竹」(ちゃんと飛ぶか、そして核弾頭が爆発するかも怪しい)と形容されていた。
その象徴的な出来事が潜水艦クルスクの沈没で、その史実をそのまま映画にしたのが本作。
話の背骨はもちろん主人公ミハイルが潜水艦でどのように行動し、死んでいったかなのだが、その生き様に厚みを持たせる話(親友の結婚式)や死後の遺族の反応も描かれている。
迫り来る死を前に戦った彼の行動の前では、陸の上での平和なひと時(たとえ給料が払われなくても)は遠い姿のように見える。それがビスタとシネスコの切り替えという演出にもなっている。
死を目前にして、それでもメッセージを残そうとする試みは、日本では御巣鷹山に墜落した日航機123便の話が有名だ。ダッチロールのなか、恐怖に震える手で残されたいくつもの手紙は、それまでの人生、そして家族に伝えたかった数多の言葉をのみ込み、メモ紙1枚に収まる文字数でしたためられていた。
そこに書かれたこともさることながら、そこに「書ききれなかったこと」を痛烈に感じさせるその手紙を、クルスクの乗組員たちも残した。
映画の中で描かれている彼らは、調査資料から浮かび上がってきた行動履歴から肉付けされた「想像」だ。しかし「書ききれなかった」彼らの素顔を想像で肉付けするのは、彼らの実像に少しでも近付く、残っていない彼らの最後の瞬間を少しでも知って、それを後世に残すという試みだ。
見るものに伝わっていれば成功だし、単なるエンターテイメントとして消化されるなら失敗だ。
今作ではそれは成功したと思いたい。
この悲劇は数々の怠惰と分不相応な見栄によって引き起こされた、と映画では語っている。そのうちの一つでもまともに対応されていれば、事態はもっとましな結末を迎えていたはずだ。
しかしこのような悲劇を「失敗」の一言で抹消する国も存在する。
ロシアは、この事故で何かを学んだのだろうか?
実話に基づく
実話に基づく。映画としての出来はいいと思います。ちょっとした豪華キャスト。
名優マックス・フォン・シドーが悪い奴で出てきます。
ルクセンブルク映画で、ロシア人兵士とその家族の話だが、セリフは全部英語だった。
画面のアスペクト比が途中で変わるのはどういう意味なのかな。潜水艦の中の迫力あるシーンはワイドにしたってことなのかな。あまり意味ないと思う。
なんだかずっと息苦しい
この事故の事を知らず、映画を観てからいろいろ調べてみた。
内部でのやりとりなどは脚色されているにしても、外の様子は概ね劇中で描かれているとおりだった。
先日『親愛なる同志たちへ』も観たが、共産主義・社会主義から体制は変わろうとも、本質的な部分は、ソ連時代と20年前も現在と大差ないように感じた。
劇中、何度も「このクソジジイ」と思ったが、マックス・フォン・シドーだったか。
これが遺作となったようだけど、とはいえクソジジイに変わりはない。
報道陣や関係者のいるところで、あんな発言が出来るものだ。
ロシア国防省が撮影協力を拒否したのも分かる気がする。
生きる希望は捨てない、しかし救助が上手くいかない。中にいる自分達にはどうする事も出来ないもどかしさと焦り、苛立ち、死への恐怖。ハラハラというより、中の乗組員たちと一緒に息苦しさのようなものを感じながら観ていた気がする。
ビンターベア監督としては『アナザーラウンド』よりも前に製作された作品だけど、このタイミングでの公開は偶然なのか、今の情勢を見てなのか、どっちなんだろう。
ロシアとの類似性
約20年前の事故ですが、はっきりと記憶してます。まさか背景にこんなことがあったとは。全く知りませんでした。そもそも、海軍の演習だったはずがロシアの面子だけの為に見殺しにされるなんて。
長官は、彼らは覚悟をして職務を全うしているみたいなことを言っていましたが、逆に国の上層部はどうなんだ?と思います。自分達の身内だったら直ぐに救助したのではないでしょうか?(そもそも身内を危険な職務にはつかせませんが)
上層部は、自分達の保身の為に、海軍である彼らの愛国心を利用しているだけなのだと思います。
私の思う愛国心とは、自分の家族、友人、仲間や近所の公園で遊んだ記憶、慣れ親しんだお店、観てきた風景、食べてきた食べ物を愛おしく思う気持ちです。海軍である彼らが潜水艦の中で話していたことは、家族、仲間、想い出の全てを愛しむ会話でした。愛国心とは、決して、一部の権力者を愛することではありません。
これはロシアで起こった事故ですが、自浄能力がない日本も似たような感じだなと思います。高級官僚は相変わらず利権作りと保身に余念がありませんし、コロナ予備費11兆円が使途不明でも、マスコミは騒いでいません。原発事故を起こしても誰も責任を取らないでいます。
本作を通して、私はロシアと日本との類似性を感じてしまいました。ラストで子供達は権力への批判精神を発揮しましたが、果たして日本人に批判精神が残されているかが疑問です。
バレンツ海の底に
2000年、北極海にて事故で沈んだロシアの原子力潜水艦、クルスクでの出来事を描いた作品。
かなり観たかったのですが、遠くの劇場でしかやってなかったので鑑賞を諦めかけていた所、この度ヒューマントラスト渋谷さんにて上映開始‼ありがとうございます‼
序盤は家族との一コマや友人の結婚式の描写等、幸せな姿が観せられていく。
対照的に、その後は魚雷の暴発によりクルスクに大惨事が。
まずは、本筋じゃないけど、各所の海でよく行われている軍事演習について。
牽制の意味があるのはわかるけど、劇中に出てきた「探知をされないように・・・」といった言葉が示す通り、技術面での闘いはこの時点で実は行われているんですね。なんだかハッとさせられた。
そして、潜水艦の浸水という、想像するだけでも絶望的な気分になる展開へ。
そんな状況でも、冷静に皆をまとめ鼓舞するミハイルの姿。そしてユーモアを忘れず無理してでも笑いあう船員たち。限りなき生への渇望にはグッと来させられた。
上層部は酷いものですね。助ける技術は無いが、西側に救出を依頼するということは、軍事機密が漏れるということでもある。それが都合が悪いのはわかるけど…船員の命や家族のことを考えると。。
あと、今更ではあるが、いつの時代も「NATOの強硬姿勢が~」とか言ってるんですね。まぁこれもほんの20数年前の出来事だしね。
とにかく、命よりも国の体裁を守るって姿勢は変わらずですね。船員たちはどれほど苦しんだのだろうか。近年にも、インドネシアで潜水艦の哀しい悲劇がありましたが、本当にどんな気持ちだったのかな・・・。
派手な作品では無いけど、もがき苦しむ末端の兵達や、斜め方向に必死なお偉いさん方、そして残された家族の苦悩がよく描かれた作品だった。
強いて言うならば、上層部の会見の場面。本作の目玉シーンとも言えると思うが、プレスのフラッシュが強すぎて集中して観られなかったのがかなり残念だったかも。
そしてエンディングロールがすごーく長かったような。気のせい?
全篇に沈鬱とした空気
史実で結末を知っているので、観るかどうか迷いました。結局映画館へ。
乗組員に給料が支払われず、当時から大統領だったプーチンはソチの保養地にいて、事故の連絡を受けてもモスクワに戻らなかった。ロシア海軍には救出する能力が無いにもかかわらず、西側の救援の申し出を断わる。
観賞した多くの人が、ロシアが今やってることと結びつけて考えたと思います。私もそうでした。ウクライナにいるロシア兵にもまともな給料が支払われておらず、現地で掠奪が行われているという報道があります。プーチンは面子のために、自国民を見殺しにするような人物です。周りの説得で侵略を止めることなどないでしょう。
映画としては、よくできていますが、初めから終わりまで、暗い空気感が漂い、後味が悪いけど、今だから観ておくべき映画だと思います。
ロシアの軍隊おそロシア
潜水艦映画って、結構好きで、結構観ているつもりだけど、これはこれまでの映画とは異なり、「戦闘」が描かれない潜水艦映画で、これはこれで良かったように思います。
兵器とか道具って、維持することをやらないと、いざと言うときに使えない。
救助潜水艇が使えないって、お粗末すぎる…。
今のウクライナ侵攻が、ロシアの思い通りにならないのは、こういうところなんだろうな…と実感。
緻密さがないんだろうな…。
そして、これはロシアに限らないんだろうけど、面子というか、そういうものが邪魔をして他国に救援を要請できないんだろうな…。
ただ、最後の乗組員の表情を見る限り、水で窒息というより、酸素不足で窒息だったのかな…と思った。後者の方が、楽に死ねたのかな…と思うと、せめてもの救いを感じたけど、実際は違うんだろうな…。
最後に、将軍?の握手を断った子供、そういう人が、今、ロシアにいることを祈るばかりです。
【現況下のロシアを統べる愚かしき男の行為故か、物凄く心に沁みた作品。独裁国家は平気で嘘を付き、犠牲になるのは下級軍人及び無辜なる民衆である。人間は何時になったら”戦争を止める”学びを始めるのか・・。】
ー 2000年に発生し、乗員118名全員が死亡した潜水艦クルスクの事故の映画化。因みに、この時の大統領はプーチンである。
愚かしき男は、今作同様、アメリカ、イギリス、ノルウェー各国海軍の救助支援を拒否した。
だが、船尾に有った第九区画にいた29名は、暫く存命していたメモが、その後発見された。
プーチンは、その非常時に保養地に行っていたそうである・・。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・最初は原潜クルスクの司令官ミハイル(マティアス・スーナーツル)等が米語を話している事に違和感を感じたが、そんな思いは直ぐに吹っ飛び、物語に没入した。
・船員の結婚式から始まり、海軍魂を誇示する海兵たち。
ー お金が足りなくて、ミハイルが腕時計を出す。後半に効いてくる。ー
・軍事演習に出たクルクスは、魚雷の暴発により、先頭部分は大破。最後尾に海兵たちは逃げ込むが、徐々に酸素は薄くなり、海水に晒されているため、衰弱していく。
- ミハイルが意を決して、酸素を創り出す装置のカートリッジを水中、取りに行くシーンは迫力十分である。-
・一方残されたミハイルの妻(レア・セドゥ)達残された家族は、軍の高官たちが真の情報を流さなかったり、嘘を言う事に激高する。
軍の高官が言う言葉は”船がぶつかった事故”から挙句の果ては、NATOの強硬姿勢が遠因である”とまで、言う。
- 何処でも同じ。今のウクライナでも同じ。脳内で、激しく激高したシーンである。-
・英国海軍の准将(コリン・ファース)も旧知のロシアの高官(彼だけが辛うじて、理性を持っているように見えたが・・。)に連絡し、直ぐにでも救助に行くと伝えるが、その高官は罷免され、年老いた大統領の傀儡に過ぎない男が、全権を握り、准将の申し出を断る。
- ”あのなあ、まだミハイル達は生きているんだよ!必死にな!”お前らの面子なんか、どうでも良いんだよ!”怒りが更に沸騰する。ー
<ロシアの海軍のトップが国辱・・を言い訳にしている間に、貴重な23人の命は失われる。
葬儀の際に、レア・セドゥ演じるミハイルの妻が、衰弱した中、ミハイルが遺した言葉を涙を流しながら、読み上げる。
ミハイルの息子は年老いた大統領の傀儡に過ぎない高官を、葬儀の間中、凄い目で睨みつけ、彼の差し伸べた手に、手を出さない。次の子も。その次の子も・・。
そして、総てが終わった後、理性の欠片の残る海軍関係者の男が、セドゥとミハイルの息子の所にやって来て、”さっきは、偉かったな・・”と言って父の腕時計を差し出す。
現況下、ロシアがイロイロと理由を付けて、ウクライナへ進行しているニュースが連日流される。
その最前線で闘ってる兵士たちの家族は、何を思っているのだろうか・・。
国家統制が進み過ぎると、国は独裁国家となり、制御不可能になる事は、3000年前から人類が経験してきた事である。
今作は、もはや映画ではない。現代社会で起きていること、そのものなのである。>
突然の2回爆発に驚いて劇中、声を出してしまった!
潜水艦映画にハズレはありません。
本作はUボートや眼下の敵、レッドオクトーバーを追え!、クリムゾン・タイトさては、原子力潜水艦浮上せずに匹敵する位、作品が出来ています。
レビューでも触れましたが、潜水艦が沈没する原因だった魚雷爆発(台詞の途中で爆発)や物語終盤に船員が酸素発生器取扱い不注意で爆発するなど、突然起こるので、そのタイミングがあまりにも絶妙なのか、驚いて声に出してしまったので、周囲に対して申し訳なかったり、恥ずかしかったりしました。
映画はノンフィクション(潜水艦内のドラマは推測)ですが、『原子力潜水艦浮上せず』をちょっと思い出します。『浮上せず』は被災した乗員を救う為に救護者が人柱となって助ける内容ですが、『クルクス』は政府が機密保持を優先し被災者を亡き者とする内容、前者は人道的であり、後者は非人道的と相反します。そこが面白いし、脳裏に焼き付くのです。
物語終盤、潜水艦乗組員の葬儀で救出作戦責任者のマックス・フォン・シドー(カラス神父!亡くなったと聞きましたが?)が亡くなった乗組員の家族(主人公の息子)に握手を求めるも、子供に拒否されるシーンがありますが、このシーンがこの映画で言いたい事が全て詰まっていると思った。
国家なんてそんなもん⁈
ロシア海軍の定期的な軍事演習で起こった魚雷爆発事故に対する救援のまずさと、軍事機密漏洩と威信から他国からの救援の援護を拒否する国家、それによりみすみす父、夫、息子などを失う海兵の家族。こんなアホな判断をする国はロシアだけだったらいいけどね。
同じコリン・ファースの「オペレーション・ミンスミート」は、むしろ事実の方が面白かったんじゃないかと思うくらい映画的アレンジがされていたが、こちらはおそらく事実を伝えようとしたのではないか。とは言っても潜水艦内で誰が何をし何と言い何が起こっていたかは発見されたメモから膨らませたものであるわけだが。話は真正面から描いていても、潜水艦の内外でスクリーンの幅が変わったりといった演出はある。
マティアス・スーナールツはじめ潜水艦の海兵役はハードな撮影だったのでは。「もみの木〜 もみの木〜」のメロディは海兵の歌だったとは知らんかったわ。
『偽りなき者』に通じる様々な立場の人が滲ませる苦悩が印象的、ベッソン風味が欠片もない実に分厚い人間ドラマ
冒頭にドンとリュック・ベッソンプレゼンツと出ますが、どこにもベッソン臭がない作品。搭載した魚雷の異常を知った乗組員が爆発を回避するために魚雷の先行発射を進言するも上官が即座に却下したことで北極海の海底に沈んだクルスク。焦燥に駆られながらも静かに救助を待つ乗組員、設備の老朽化と整備不良で救助活動が思うようにいかないロシア海軍。軍事演習の様子を注視している中で異変を察知する英国海軍、沈没したという事実しか知らされないことに怒りを露わにする乗組員の家族達。様々な立場の人々が何とか事態を収拾しようと試みるものの、そこに立ち塞がるのは軍事機密と国家の威信を守ることに固執するロシア海軍上層部。この辺りの描写はまさに今ロシアによるウクライナ侵略の報道の背景にあるものと全く同じ者。幾重にも重なるドラマに様々な心情をガッツリ滲ませる作風は『偽りなき者』のそれに酷似していて、冒頭にある軽快なやりとりが回収される終幕に号泣させられました。
マックス・フォン・シドーが出ているのであれっ?と思いましたが、実は2016年製作で海外での一般公開は2018年のもの。それを敢えてこの時期に配給したキノシネマに惜しみない拍手を送りたいです。
ちなみにメタリカのある曲が流れるシーンがあるのですが、その曲も何気に終盤の伏線になっています。ラーズ・ウルリッヒへの謝辞がエンドロールにあったのも見逃しませんでした。
上映館が少なく観に行きづらいですが、今まさに観るべき作品です。
奥行きのある作品
ロシアはゴルバチョフによる改革で全体主義から民主主義へと移行したかに見えたが、実際はそうでもなかったことは、エリツィン大統領とその後継者であるプーチンの政治で明らかになった。エリツィンのチェチェン侵攻からプーチンのクリミア併合、ウクライナ侵攻と、ロシアは世界から総スカンを食らう政治を延々と続けている。
思うに、ロシアの官僚主義は日本のそれによく似ている。事なかれ主義と責任回避が蔓延して、誰も責任を取らない。自分で決定すると責任を取らなければならないから、上司の命令を待つ。上司は上司で、その上からの命令を待つから、結局は大統領の命令ですべてが決まる。イエスマンしかいないわけだ。それに加えて日本の官僚は、既得権益の死守と利権拡大と天下り先の開発には余念がない。ロシアも同じかもしれない。
あまり報道されないが、厚労省がワクチン接種の横並びに固執した結果、ワクチンの使用期限が切れてしまった。地方自治体の首長たちが早く接種させろと訴えたにもかかわらず、厚労省の役人は批判を恐れて訴えを却下したのだ。世田谷区の保坂区長が怒っていた。
その後、使用期限が切れたことが明らかになると、期限が切れても大丈夫だと強弁している。賞味期限切れの食材を使った飲食店は営業停止になるのに、厚労省のミスは許されるらしい。試しに厚労省を営業停止にしたらどうか。日本の衛生保健行政はずっと円滑に進むかもしれない。
本作品でも、ロシア軍の官僚主義が救助を妨げる。軍人は基本的に命令には絶対服従だから、官僚や政治家が素早い決断をすればいいのだが、イエスマンばかりだと、誰も決定しない。そこで大統領の決断を仰ぐことになる。
人命が大切なのか。それとも軍人は国のために死ぬ覚悟をしているから、国家の威信を優先させるのか。二者択一のように思えるが、実はそうではない。軍人も人間だ。人命に違いはない。つまり本当の二者択一は、国家なのか、国民なのかである。
国民が主権の国を民主主義国、国家が主権の国を国家主義国と呼ぶ。ロシアは明らかに国家主義である。ファシズムだ。何のことはない、プーチンのロシアはナチスそのものなのである。
理科の授業で、水を張ったビーカーにろうそくを立てて火を付け、上からフラスコを被せる実験をした人もいるだろう。火が消えるとどうなるかを憶えている人がいれば、本作品の出来事に納得すると思う。
軍人も人間だから、命の危機に際しては生き延びようとする。本作品では緊迫した状況で、生き延びるための様々な努力が描かれる。訓練どおりにはいかないし、貧乏なロシア軍は給料もろくに払えないから、訓練も足りていない。にもかかわらず北極海で演習をする。愚の骨頂だ。軍人たちをほぼ使い捨てに等しい扱いをしている。この頃から、プーチンには合理的な思考が欠如していた訳だ。
本作品で描かれる潜水艦内部のストーリーは創作だが、息を呑むシーンの連続である。特に潜水して道具を取りに行くシーンは、観ているこちらも息が苦しくなった。潜水艦内部の様子を描く一方で、陸で帰りを待つレア・セドゥをはじめとする軍人たちの家族の物語もちゃんと用意されている。
命令を待つだけのロシア軍の官僚、命令に従うだけの軍人たち、給料もなくて苦しい生活を送る家族、そして民間人にも容赦のない諜報組織。事故を取り巻く人間たちの様子が立体的に描かれている。奥行きのある作品だと思う。
現況とダブるロシアの構造的問題
実際に起こった事故を描いているが、今日のウクライナでのロシアの不首尾とダブり、見ていて哀しくなる。冷戦後のロシアの潜水艦は、水兵の給料も届かず、装備は老朽化していたようだ。事故が起こったのはプーチンが初めて大統領になった直後である。邦題は誤解を招くが、実は最終的には全滅している。事故発生からしばらく生きていたのが23人で、軍の装備不足の上に、上層部の機密保持とメンツで対応を遅らせ、手遅れになる。
今日のウクライナ危機とダブルのは、事故は他国船との衝突だとウソの会見をしたり、現場に判断させず、上層部がムダな時間を使っているところなどである。さらに、映画には出てこないが、ソチで休暇を取っていたプーチンには、事故があったが適切に対応しているという報告がされ、プーチンは休暇を続けていたらしいのである。今と変わらぬように思われ、犠牲になった人々に何とも言えない気持ちになる。
この映画はもちろんロシアではなく、ルクセンブルク制作となっているが、どうもベルギーのワロン地域政府の助成や、フランスの港やルーマニアでのロケで撮られているようである。
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