「少し通じ難いところがあった」キング・オブ・シーヴズ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
少し通じ難いところがあった
タイトルの直訳は「泥棒の王様」で、華麗に盗みを決める洒落た老人たちの話かと思っていたが、所謂泥棒アクションとは一線を画していて、互いの欲のせめぎ合いと、主導権の取り合いが演劇のように展開する作品だった。
本作品を観て思い出した小説がある。SF作家星新一ショート・ショート「成熟」という作品だ。3人の男が強盗に成功し、隠れ家で一人ずつ順番に見張りに立つが、残りの二人が見張りの男を殺してしまおうと、順番に密約を交わす話である。全員が残り二人を殺すことになり、自分は残りの二人から殺されることになる。それに気づいて・・・という話だ。興味のある方は「ひとにぎりの未来」という文庫に入っているのでお読みください。
星新一の小説はショート・ショートだから単純な構成だが、本作品は7人の泥棒たちがそれぞれの思惑と信じる信じないの駆け引きを繰り広げる。強気な老人と弱気な老人がいるが、弱気な人間が必ずしも負けるとは限らない。強欲さにかけてはどちらも負けていないのだ。タイトルを「Greed」(「強欲」)としたほうがよかった気がする。
イギリスは民主主義の先進国ではあるが、監視社会でもある。というか、監視カメラ社会といったほうがいいかもしれない。ダニエル・クレイグ主演の映画「007」のどれかのバージョンで、ジェームズ・ボンドがロンドンを逃げる様子を監視カメラを次々に繋いで捉え続けているシーンがあった。
本作品も舞台はロンドンである。当然犯罪者は監視カメラを意識する。本作品の老人たちも少しは意識するのだが、網羅しきれるほどではない。というか、網羅できないほど多くの監視カメラが存在する。かつてのスコットランドヤードとは違って、現在のロンドン警察は監視カメラなしでは何の操作もできない。凶悪犯罪の検挙率が低いことでおなじみの警視庁と同じだ。再犯率は日本と同じくらい高いから、監視カメラと犯罪者リストから多くの犯罪容疑者を絞り込むことができる。
再犯率が高いなら死刑を増やせば再犯率は低くなるのに、世界的に死刑廃止の動きがあるのはなんとも不思議だと考える人もいるだろう。その考えだと万引き以上の犯罪をすべて死刑にすればこの世から犯罪者は激減するということになる。その議論も一理はあるのだが、冤罪が生じた場合は取り返しがつかない。それに、捕まらなければいいという犯罪者特有の考え方が改まるわけでもない。
本作品の老人たちは全員が再犯者だ。スコットランドヤードにデータがしっかり残されている。変装なしで街を歩けば足取りが割れる。デジタル社会に乗り遅れたアナログの犯罪者の集団が本作品の老人たちである。悲しい話だ。
しかしそんなデジタル社会の現状を知ってか知らずか、強欲の老人たちは各自の哲学を披露することに余念がない。他人に自分を理解させようとするのは甘えている人間か、強引にリーダーシップを取ろうとする人間だ。老人たちは見事にそのふたつに当てはまる。そしてそのふたつの間で振り子のように揺れながら、互いの人間関係のバランスを微妙に維持していく。本作品はそのあたりが見どころなのだが、名優マイケル・ケインの演技力をもってしても、当方のように字幕で鑑賞する日本の観客には少し通じ難いところがあった。