劇場公開日 2020年8月7日

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「そのきっぱりとした生き方は肯定されていいのではないか」ジョーンの秘密 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0そのきっぱりとした生き方は肯定されていいのではないか

2020年8月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 戦争に関する映画や芝居は倦むことなく制作され続けるし、飽きることなく鑑賞される。大林宣彦監督の遺作となった「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」も少し風変わりではあるが、戦争映画であることは間違いない。今年(2020年)の7月に新宿のサザンシアターTAKASHIMAYAで上演したこまつ座の芝居「人間合格」もある意味で戦争の話だった。
 戦争映画や戦争舞台が上映され上演され続けるのは、熱しやすく冷めやすい人類がかつての悲劇を忘れてまたぞろ戦争を始めてしまうのではないかという危惧があるからだ。だから芸術家たちは人類が戦争を忘れないために戦争映画を作り、戦争の絵を書き、戦争の曲を作る。常に反戦運動をし続けなければならないほど、人類というものは愚かなのである。

 本作品も戦争映画のひとつと言っていいと思う。ジュディ・デンチが演じた年老いた方のジョーンの台詞「あの頃は戦争、戦争の連続だった」というのは第二次大戦当時のイギリス人の本音だろう。だからなんとしても核戦争の勃発を阻止したかった。科学者であった彼女には、核兵器がどれほどの被害を生じさせるか予測がついていたはずだ。
 広島に落とされた原爆リトルボーイに使われた核物質はウラン235である。長崎はファットマンと名付けられた爆弾で、こちらにはウラン238を原料に生成されるプルトニウムが使われている。威力はファットマンの方がやや上である。
 本作品には、核を分裂させて中性子を出させるのに遠心力を使うことをジョーンが提案するシーンが出てくるが、実際に遠心力によって陽子を光速に近いスピードにまで加速させて原子にぶつけて核を分裂させる実験が、後の原爆開発に直結している。ちなみに用語として出てくる同位体はアイソトープ(同位元素)と呼ばれ、同じ元素で中性子の数が異なるものを言う。水素と重水素などが同位体である。中には不安定な同位元素もあり、崩壊して放射線を発するものがある。これが放射性同位元素(ラジオアイソトープ)である。
 原子核(Nuclear)が分裂すると大きな熱と放射線を出す。分裂が次々に起こることをNCR(Nuclear Chain Reaction=核の連鎖反応)と呼び、より大きなエネルギーと放射線を放出する。これが原爆の基本的なメカニズムだ。これらの言葉を知っていると研究所のシーンがより深く理解できると思う。ちなみにコロナ禍の対策として進められているPCR検査はPolymerase Chain Reaction(ポリメラーゼ連鎖反応)である。

 原爆は途方もない威力を持っているだけに、その制御も相当に難しい。核分裂はいつ暴走するかわからない。世界各地の原子力発電所にある59基のうち稼働しているのが10基に満たないことからも、制御の困難さが伺える。超小型原子力エンジンを搭載した鉄腕アトムは存在しようがないのである。
 若き日のジョーンが心配したのはヒロシマ、ナガサキの繰り返しだ。1945年当時、独立から200年も経っていない若い国であるアメリカがこれほど大きな大量破壊兵器を持ってしまったことは、世界の軍事力の極端な不均衡に直結する。極端な不均衡は再び侵略戦争を招き、人類に大きな被害を齎すに違いない。ジョーンはそう考えたのだ。
 ジョーンの決断には賛否があるだろうが、核兵器が大量破壊兵器であることは誰も否定できないし、それを使うことが非人道的であることも世界中で解っていると思う。小型の核兵器なら憲法上、所有しても差し支えないと堂々と言い放った暗愚の宰相もいたが、原発が常にチャイナシンドロームの危険性を孕んでいるのと同じで、核兵器を所有すればその核兵器によって膨大な犠牲者が出る危険性が常にあることは理論的に当然である。憲法上は如何なる核兵器も持ってはならないのは子供にも解る。
 世界は核兵器に満ちている。ジョーンの息子は母親に愛国心がないと言い、母親は私こそ愛国者だと言い返すが、愛国者が核兵器を使用するということをふたりとも解っていないようだ。イスラム国も元はと言えばアメリカが弾圧した愛国者なのである。イスラエルとアラブの紛争も愛国者同士の争いだ。
 人類はいい加減、国家という共同幻想の呪縛から自由になったらどうなのだろうか。たまたまその国に生まれたからと言って、その国を祖国と呼んで愛さねばならない理由はどこにもない。国家間の利害の対立は愛国者同士の利害の対立だ。愛国心などという狭量な精神性から脱して、国際人として活躍する人はたくさんいると思う。別に外国に住まなくてもいい。インターネットの時代だ。どこに住んでも仕事はできる。自国のことよりも人類全体を考える。そういう人が増えていけば、戦争映画が作られる必要がなくなる世界が来る可能性が僅かながらあるかもしれない。

 戦争の話ばかり書いてしまったが、本作品には核開発と戦争の他にも沢山のテーマが盛り込まれていて、当時の女性の地位の問題、暗躍するKGBやMI6といった諜報機関による人権侵害、そして家族間の信頼の問題、身近な人間による欺瞞と裏切り、それに戦時中の青春模様など、作品としての見ごたえは十分だ。戦争当時の映像と現在の映像が明らかに異なるのもわかりやすくていい。
 波乱万丈の体験をしてきたジョーンは、ジュディ・デンチの名演もあって、年老いていても、言いしれぬ存在感を感じさせる。大した女性なのである。若き日の決断はともかく、そのきっぱりとした生き方は肯定されていいのではないかと思う。

耶馬英彦