SKIN スキンのレビュー・感想・評価
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チャンスが与えられた。
よかった。めでたい。でも、
ネオナチ、スキンヘッド、ブライオン(ジェイミーベル)ヴィンランダーズを抜けだしたあとの彼の人生が気になった。
映画でも見せているように 彼はFBIのリストに載っているから、ある一定の仕事を探すこともできない。雪かきの仕事をしているシーンで人の優しさに触れて行くが、現実問題、社会復帰は無理だ。
米国には司法の盲点で若者の麻薬常習の罪での監獄に入っても記録として残るので、身動きが取れなく、更生しても社会復帰が難しいことがある。『ヴィンランダーズ」の組員としての狭いスキンヘッドの世界が彼の社会性を営むところだったから、ブライオンの更生後の道は大変だと思って見ていた。
刺青が除去されたからといって、それで済むものではない。これは第一歩。
それに、精神的に問題を抱えて(病院で彼自身放火される夢を見ている)トラウマなどのPTSDで精神的なカウンセラーがいるし、彼の子供四人を含めての新しい家族もブライオンと一緒に受けなければ、子供が受けた衝撃は簡単の消え去らない。ブライオンの『怒り』も アンガーマネージメントのクラスや、アルコール、タバコ、『F 言葉』の常習など、これからの課題が多く、これを挫折しないで乗り越えていくのは大変だなあと思っていたら、終盤に字幕でかなり納得のいくブライオンの将来が出ていた。
ダリル ジェンキンス(Mike Colter)のような一歩一歩、地道な活動をブライオンはしていくと思う。ダリルは 『One People's Project 』という、白人至上主義、人種差別反対の活動家で、直接的にブライオンを救った人だ。字幕では『Southern Poverty Law Center』の協力を得て、2年間かけての顔の刺青を取り除いたと。そして、字幕には書いてなかったが、ダリルがブライオンに家族の面倒は見ると言っている。更生するのは彼だけでなく貧困家庭も更生する必要があるのでこの団体は援助しているのだと思う。それに、刺青の除去手術の費用も全額、寄付で負担される。私の教会でも、刺青を除去する施設を持っている。除去の痛みはこの映画からもわかる通り、大変な痛みだそうだ。それに、顔と首だけで612日もかかるんだね。
本人が映画で『心から感謝する。私に人生をくれた。』と。
ブライオンの協力によりFBI は中心組織人物を逮捕したと。ブライオンは現在、『犯罪心理学』勉強をしていると。そして、彼の自伝で『寛大さと包括』について皆に伝えていると。そして、ブライオンとダリルは今も友達だと。
犯罪を犯した人間に更生する場所を与えて、ブライオンのように『犯罪心理学』を学び、彼の経験をを伝えながら、社会を変えていく動きは貴重だ。この映画でもわかるように、こういう組織は『弱いもの』にまず声をかけてグループが助けるよ、家族だよと、いって若い人を組織に入れる。娘エイプリル?もスキンヘッドのシャリーンにリクリートされそうになった。ギャビンはこの軍団にリクルートされて仲間になった。
この何も知らない若者の犯罪歴(ここではブライオンが例)を更生させ、再び生きていくチャンスをあげ、ある程度まで援助して見届ける組織や慈善に携わっている人々に心から感謝する。
ダリル ジェンキンスの『One People's Project 』の成果。下記の成果を見ると、何これだけと思うかもしれない。実は顰蹙を買うかもしれないが、私はそう思った。この思想、行動から抜けでたくない人もいるだろう。でも、抜け出たいと言う、この一人を救うことが大事なんだ。人一人の命はなににも変えられなく、大切だから。
https://onepeoplesproject.com/daryle-lamont-jenkins/ ジェンキンスのHP
2011年 一人
2000 年 一人
2003 年 一人
2004 年 一人
2005 年 一人
2008 年 一人
1999年 二人
蛇足:
顔に刺青がある時、いくらブライオンが子供たちに微笑んでも、その微笑みは刺青の凄さによって消えてしまうし、我々の視線も刺青の方にむきやすい。これは死角。顔に火傷をおっている人やノグゼマの免疫疾患で苦しんでいる人に、我々の目は外見(顔の表面)にいきやすい。人間性を見るよりは!この盲点もこの映画で意識化したい。
最後にアル中のお母さん役、シャリーン(Vera Farmiga)演技はピカイチだった。言葉に表せない感情を上手に伝えていた。もちろんは ジェイミーベルも迫力があった。リヴァプール、最後の恋(2017年製作の映画)Film Stars Don't Die in Liverpoolで初めて彼の存在を知ったが、両極端な役を上手にこなしている。
KKKはもっと怖い。多分。ネオナチはもっとチンピラ。多分。
ショートフィルムの方のイメージが強かったので、ちょっと意外な展開だった。と。気のせいか、最近、欧州的なやぁ、と感じる作品に高頻度でぶち当たってる感じ。この映画も、入れ墨消去施術のシーンを挿入しつつ、美化無しのリアリズム追及を感じさせる演出は、ものすごく「欧州」な感じです。
あんまり言いたくはないんですが。「レイシズム」「レイシスト」と言う言葉が、悪用・乱用されている日本で。更に言うと、ファシズムもリベラルもメディア率先で誤用される日本で。「くたばれレイシズム」って口にするのが憚られるんですよねw
なんで、そこは置いといて。
ショートフィルムのSKINは肌の色?長編のSKINは「剃った頭」でレイシストを象徴してる?趣向も違うし、同タイトルで、同テーマを根底に置きながら、二つの違う物語を撮ったんだ、って思いました。
終始重苦しくシリアスな空気感。白人至上主義者が組織するファミリーと言う名のマフィア的縦社会の描写。底辺感を漂わせる登場人物たちのリアルな生活描写。どれもこれも好き。ベロチュー場面は、ちょっとパスしたかったけど。
底辺に居る者たちが、更に誰かを見下し、直接的な暴力的手段に走る。もともとKKKは白人上流社会の組織であり、手段系もクールで、より残虐ですが。もう、目を覆いたくなるような集会風景。と言うか。こいつら、ただの野蛮人じゃん!
とにもかくにも。白人至上主義の暴力性に対する批判、と言う分かりやすく一般受けもする社会ネタ。美男美女で描かれていないところが、奇妙なリアリズムを醸し出していて、良い具合に辛かったです。
主演のジェイミー・ベルは「ロケットマン」のバーニー。デジレ役のゾーイ・コレットは「スケアリーストーリー」の主役のメガネっ子。その他、役者さん的にも好きなメンツが揃ってて、ここも見ごたえの一つでした。
という事で。
辛かったけど、見ごたえのある映画でした。とっても。
冒頭のショートフィルムの出来は、噂通りに最高でした。
👴🏼KKK 💥 BLM👴🏾+ FBI👮🏼♂️👮🏼♂️
本編前に上映された短編が強烈過ぎ😱ゾゾ~、その余韻が拭えず紛らわしかったので-☆。
小さな劇場だったので、上映前にスタッフによる「本編前に短編上映があります。」というアナウンスだけはありましたが、短編で印象深かったキャストが、その後の長編本編にも似たような役柄で準主役出演していたり、これまた両方に登場する犬🐕🦺の名もたぶん同じだったので〜、
どうしても先の強烈な短編のお話の続きを望む気持ちが拭えず、
😳え!? え!? これ、どーいうこと⁉️あの犬の飼い主‥ということは‥短編の坊やの成長後の話❓でも、そうならあの後に子沢山になったママの経緯が解らない。え⁉️坊やも拐われて記憶喪失にでもなった設定か🤨❓・・・
などと、短編との話の繋がりをじっと求めて、結局、諦め悪く本編の中盤あたりまで、頭の中で半分は期待をしつつ戸惑いながら観てしまうハメに😕
実話ベースのお話の感想としては、まあ見た目もバッキバキで組織の中枢に居た彼が、よくも足を洗って立ち直れましたなと👏🏼
The Power of Loveですかね?💗
ああいう気の強い女性は嫌いじゃないかも🥴
どーでもいー話ですが、ちなみに私も若気の至りの昔に、アラサ-でスキンヘッドにしたことがあります🧑🏼🦲 最近も暑"いので坊主にしたい。
刺青は経験が無いですが、体のお絵描きが苦痛はあれどあれほどクリーンに除去できるとは知らなんだ😧
短編の哀れなジェフリーも救えた⁉️
いや、是非、救ってやってくれい‼️
バブズがハロウィンでバズズとなる
白地に黒なのでパンダの仮装なのかと思ったのですが、バブズ(=ブライオン)の名前からしてバズズを連想してしまいました(ドラクエに登場するモンスターです)。この時点ではまだまだ悪い奴だと思ってた。
ショートバージョンの興奮が冷めやらぬまま、長編をじっくりと鑑賞。全然内容が違うことに驚き、どんな結末を用意してくれるの?などと期待は高まるばかり。とにかく、白人至上主義者たちはヘビメタがお好き。スキンヘッドがお好きということはわかります。また、KKKのみならず、ネオナチも大好き。行進するときも「ハイル、ハイル」と声を張り上げます(記憶違いかもしれません)。
主人公はジェイミー・ベル演ずるブライオン。右目の矢印タトゥーが印象的で、体中タトゥーだらけ。一度逮捕されるが、取引を持ち掛けられ、釈放される。それに目を付けた反ヘイト運動指導者のジェンキンスは彼に近寄るのだった。暴力に対して暴力では際限なく復讐の連鎖が続くだけだ。復讐ではなく人間そのものを変えることが大切だ・・・
短編にも登場していたお母さんダニエル・マクドナルド。おかげで繋がってるのかと思い、混乱しました。3人の娘たちが演奏する曲に対してもレイシストたちはヤジを飛ばすし、ムチャ腹が立った。音楽でいえば、カラオケ(?)でレーナード・スキナードの曲を歌ってるし、やっぱりサザンロックもレイシストたちに愛されてるんだなぁ・・・ちなみに「スウィート・ホーム・アラバマ」なんてのも差別が消えない南部の実態を歌ってる(賛否両論あり)。
見終わって感じたのは“人間性善説”。ジェンキンスの方針がそうだったこともあり、単純な復讐ストーリーにはせず(実話なのだからしょうがない)、レイシストの本質を変革するという大胆なものだったこと。“SKIN”の意味も人種の皮膚と、TATTOOの皮膚のことのダブルミーニングだったのだと感じた。それにしても600日もかかるのね・・・
ドラマチックだが何かが足りない
短編と本編の連続上映。短編ゆえの展開の早さや結末の委ね方がインパクトとなり、コレ凄いかもと。しかし、続いての本編は、何かこう...間延び感のせいなのか、ああいう軍団を身近に感じないからなのか、悪者からの抜け出し方が安易過ぎるのか、太ってるヒロインに魅力を感じないからなのか、タトゥーに関しての嫌悪感からなのか、ちょっとトーンダウン。個人的に大満足とはいかなかった。
犯した罪は償う事も大事だが、抜け出し再生するには、よほどの強い決意と強烈な痛みが伴う....てテーマは良かった。
夢みたアメリカはどこへ…
ショート版と併映の鑑賞でした。
ショートバージョンは、圧巻!でした👏
その続きで話が進むかと、ドキドキして
いましたが、全く違う話だと
気づくまでに少々時間がかかりました^^;
白人至上主義やファシスト、黒人差別…
幼い頃からほぼほぼ日本人しか
周りにいなかった私達には、
本当の意味で理解できないかもしれません。
ただ、なぜそういう思想になるかは
知っておかなければならないだろうし、
知らなければならないと感じます。
だからこそこの作品にとても期待していました。
幼い頃行く宛のない
子供達を半ば連れ去り、思想集団の兵士と
して育てるという事実に驚愕しました。
それが世界で暗躍するそういった
集団が当たり前のように行っていることも。
しかし、そんな彼等を対峙する黒人団体の
方が、抜け出した白人の若者の再出発を
手助けをする。一見真逆である事こそ、
それが、1番の差別を
無くす最善の道という事を教えられた思いです。
主人公の彼が再生することは
ストーリー展開で絶対に必要だと
思います。ただ彼と家族のやりとりより、
白人至上主義の思いや、
その黒人団体がどうやって今に
至るかにも重きを置いて、ストーリーや
主人公にもっと絡ませてくれたらと、
ちょっと残念な思いでした。
ショートバージョンの
ロングバージョン?笑にした方がもっと
訴える意味合いが深くなったかと思います。
スキンという題名も生きるのではないかと…
私の世代はきっとアメリカの音楽、映画、
ファッション、文化、全てに憧れて
育ったと思います。
もちろんその頃からこういった問題は
あったと思いますが、全てにおいて
懐の深さにはかなわないと思わせて
くれた、あの頃のアメリカはどこへ行って
しまったのかしら、と最近思うところです。
だからこそ、このような内容の
アメリカ映画が増えているのかもしれません。
ただニュースを見ながら、上辺しか知らない事に
気づかされ、考えさせられた作品に感謝します。
後悔先に立たず…
人種差別を貫いたところで、何も得るものはない。むしろ、延々と負の連鎖が続くばかりだ。この映画の主人公の出自は悲惨である。親の愛情を受けることなく、ネグレクトと暴力の対象とされ、そこから逃げ出したところをレイシストに救われ、初めて愛情を注がれるともに人種差別的な思想も刷り込まれて、極端な人格を持った人間を生む。不幸でしかない人生環境だ。それでも、自らが愛を育むべき女性とその連れ子たちと出会い、自分がどうあるべきか、どうなるべきかを思い知らされる。ここからの展開が映画としてはありきたりではあっても、心を打たれる。ある組織を抜けるということ、そして一般的な社会生活を送るということは並大抵のことではない。当然、その環境の変化に対して、これまでの自ら犯した罪を償わなければならない。昨日まで敵と見做していた黒人によって主人公は助けられた。やはり、自らが望めばやり直せる環境は絶対になくてはならない。成熟した社会であればこそ、なおさらチャンスは幾らでも転がっているような環境であるべきだ。望めは人は幾らでもやり直せるし、自ら180°違った人生と人格をてにすることが出来る社会こそが、私たちの幸福を生み出す。親鸞の言わんとする意味がとても現実的な実感を伴って、鑑賞することが出来た。
見比べました
町山智浩さんの映画レビューが気になり鑑賞。
短編→本編の順に制作されたとのことだが、事実に基づいた本編より、短編の方が好み。
だけど、内容がほぼ違うので、短編観た後でも飽きることはない。
リトル・ダンサーの主役が、この作品の主役と知り大変ビックリ。
あと、ぽっちゃり好きにもビックリ。
【そして、”空っぽの世界”を彼は後にした・・” 現代社会に蔓延る”レイシズム思想”に一石を投じた作品。】
■地元の映画館で、あまりにも衝撃的な「SKIN 短編」に引き続き、鑑賞。
-お世話になっている映画館での連続上映は嬉しいサプライズだったが、HPにキチンと”短編上映含む”と記載したほうが、絶対に良いですよ・・。
”コロナワールドさん”・・。ー
■という訳で、序盤は、短編の衝撃が残ったまま鑑賞に突入したため、散漫な印象。
ーあれれ、ソリッド感が減少している・・。-
・が、ブライオン(ジェイミー・ベル)が
”KKK”(クー・クラックス・クラン:アメリカの忌むべき白人至上主義者集団:映画で具体的に名前が挙がったのは、近年では「ブラック・クランズマン」以来かな。)や
ネオナチ思想に取りつかれたフレッド(ビル・キャンプ)&シャーリーン(ベラ・ファーミガ:良い女優さんだなあ・・。)の率いるレイシスト組織”ヴィンランダーズ”から、
ある女性ジュリー(ダニエル・マクドナルド:久しぶりだなあ、貫禄は変わらないなあ。)と出会い、その三人娘を守るために、彼の人生をも決める重要な決断をするシーンから、緊迫感が徐々に上がり始める。
・そして、若き日のブライオンを容易に思わせるギャビンが貧困からの脱却を求めて、レイシスト集団に加入していく過程も作品に厚みを持たせるが如く描かれる。
ーブライオンから、何度も”何故、入った・・”と詰問されるシーン。
そして、”あの”シーン。キツイなあ・・。-
・”ワン・ピープル・PJ”を運営する黒人男性ダリルに、夜中に公衆電話から震える指で、自らの今までの過ちを認め、保護を求めるシーンや、フレッドたちが執拗に”戻れ”と迫るシーンなどは、見応えがある。
ーこの時の、ベラ・ファーミガ演じるシャーリーンの複雑な表情は何とも言えない”空虚感”を醸し出している。”空っぽの世界”の住人として・・。ー
<600日を超える”タトゥ除去施術”を乗り越えたブライオンの不安そうにジュリーの家を訪れる時の表情と、ブライオンのきれいな”肌”を見た時のジュリーの表情・・。>
■レイシストが大国を統べる現状では、脈々と続くレイシズムの根絶は、困難極まる事であろう。
けれども、様々な妨害にもめげずに、このような作品を制作し、世に送り出す人々がいることも、又、事実である。
決して、鑑賞後に楽しい気分になれる映画ではないかもしれないが、現代社会においては、貴重な作品であると私は思う。
顔中のタトゥーよりも、その眼が怖かった...
そこに映るのは、「リトル・ダンサー」の可愛らしい子役が大人になったジェイミー・ベルの姿ではなく
痛く刺さるような眼をしたレイシストそのものだった。
顔中のタトゥーよりも、その眼が怖かった。
そして、悲しかった…。
空腹から、貧困から、辛い環境から逃れるため、
レイシストの集団に足を踏み入れ、
疑似家族のようなコミュニティで、
洗脳されていくギャビンの姿とその先の姿のようなブライオンが重なり辛かった。
本当に愛せる安らぎを感じられる者たちに出会えたことで変わろうとする、変われるチャンスを得たブライオンはある意味ラッキーなのだろう。
結婚式を挙げに行く家族の幸せな姿に、このまま何も起こらないで平穏な日々が続いて!と涙が溢れた。
差別は環境によって植え付けられる
意識ない幼き者を守り導くのは正しき大人
レイシストとなってしまった大人を変えられるは、子どもであり大人であり、周りの愛情と信頼と、本人の強さ。
人種差別だけでなく、あらゆる差別のない平等で平和な世界になって欲しい。
なるように努力をしよう。
この本編映画の題名は肌色の事ではなく、”刺青を消す事”なのでは?
第1シーン:ネオナチ系デモ隊「ハーケンクロイツ」の連呼を
「焼きつくせ!」と訳していたが、意味が違います。
「ナチス(思想)万歳」と正確に訳すべきです。
暴れろ! と言う意味で言っているのではなく、集団顕示です!
映画冒頭の但し書きで、「inspire。。。。」 を「実話に基づく」と訳すと、
”内容は実話”ということに成り、「事実に対して、脚色だけしました」の意味に鑑賞者はとってしまいますが、
それは映画の本質を見失う重大な誤訳です。
1行の文章だけで、作品のリアリティ度を上げるチート技で、最近多い日本での卑怯な宣伝演出だと思います。
base on A true story(事実)ではないのだから
「事実から触発・影響受けた」と正確に和訳すべきです。
最初に短編を見せられたが、この短編映画は KKK的にアフリカ系市民・肌の色への人種差別者に対する映画だが
本編はネオナチの、移民・外国人排斥運動者集団に関する映画(ヴィンランダーズ事件)で、似て非なる問題をごっちゃにする悪意を感じる構成だ。
何よりも、似たような短編を先に観させられると、鑑賞中に混同してしまいます。
劇中「差別主義者」という和訳が多々でてくるが、やはり 移民・外国人排斥運動者もしくは@人至上主義者と訳さねば映画の本質が崩れるだろう。
この映画の翻訳者は 超失格訳者である。
ネオナチを改心する過程での本人の葛藤は少しも描かれておらず、対外的な障害にのみストーリー構成している薄下手い(うすべったい)社会派映画となっている。
問題の本質は思想ではなく
貧困からくる社会問題ではないかと
個人的には思います。
劇中、複線をうまく使いこなしていないが
ネオナチによる”青年の勧誘”という社会問題が描かれていたことは、
数少ないプラスポイントではある。
そこを炙り出すのが、この映画の本軸で有るべきだ。
そもそも刺青を消すことで「SKIN」という題名をつけてはいるが
無理がある。映画で言いたいことは ネオナチからの改心の筈だ。
この題名が許されるのは最初の短編映画の方だけである。
肌の色だけで、差別される世の理不尽さを訴えた映画は。。。
思い出しておきます。
異常者が正常者を支配する組織
コロナ禍の毎日、インターネットで猫の動画を見て癒やされている人もいると思う。猫の動画で何故癒やされるのかというと、医学的には脳内ホルモンと言われるセロトニンやドーパミン、愛情ホルモンと呼ばれているオキシトシンなどが分泌されるからとされている。どうしてそういうホルモンが分泌されるのかについては、医学は答えを持たない。種の保存本能だろうか。人は小さい哺乳類が傷つけられるのを嫌うのかもしれない。
という訳で可愛らしい子猫を捻り殺すようなことは残忍な行為とされる。こちらに害をなさない動物を殺すのは、普通の人にとって実行するのがとても難しい行為だ。どうしてもやらなければいけない場合は、慣れるしかない。中国で大量の民間人を虐殺した日本軍の兵隊は、最初は殺せなかったが、チャンコロと呼ぶことに抵抗がなくなるのと並行して、殺すことにも抵抗がなくなっていったらしい。
必要もないのに害をなさない動物を殺すのは異常者だが、生まれついての異常者というのは考えづらく、やはり幼少から生きてきた環境で異常になっていくのだと思う。つまり慣れるということだ。親から殴られ続けて育ったり、先輩から殴られる部活動にずっといたりすると、殴られることに慣れ、やがては殴る立場になる。同じように動物でも人でも、害のない相手を簡単に殺す集団にいると、殺すことに慣れてくる。そしてそれは不可逆である。一旦慣れてしまうと、慣れていない頃の精神性には戻れないのだ。
人を殴れる人間、人を殺せる人間に、そうでない人間は恐れをなす。正常な人間は異常な人間を怖がるのだ。そして恐怖心から生じる主従関係になって人格を蹂躙される。実はこの図式が世界中の多くの集団に蔓延している。異常者が正常者を支配するという歪んだ図式である。暴力団も暴走族も学校の部活もあくどい企業も、皆同じなのだ。
本作品の主人公も育ってきた環境から、異常な集団の一員になる。異常な集団の最後の踏絵は、自分に害をなさない人間を殺せるかどうかである。銃で撃ってくる敵なら反射的に撃ち返すし、殺すことも厭わないだろう。しかし見ず知らずの無抵抗な人間を殺せるかというと、普通の神経では殺せない。子猫の首を捻って殺すことができるかと同じだ。普通の人は子猫を殺せない。しかし慣れれば別だ。子猫の顔を掴んで黙らせる、別の手で首を親指と人差指と中指で掴み、手首を返して首の骨を折る。心を凍らせて手順を踏める人間だけが子猫を捻り殺せる。そして無抵抗の人間も同じように殺せる。
そんな人間はおかしいと思うことから、主人公の戦いが始まった。それは暴力的な自分自身との戦いでもある。組織に矯正されて子猫を殺せる人間になる前に、殺せない人間でいることを選び、そこに踏みとどまるのだという強い意志があった。
ヘイト集団だけが異常な団体ではない。異常者が指導するあらゆる組織、団体、そして共同体は、国家も含めて世に蔓延している。組織は抜け出そうとする者を許さない。裏切り者という言葉がある。会社でも部活でも暴走族でも、異常者の牛耳る集団をやめる人間はみんな、集団から裏切り者扱いされる。裏切り者に対する懲罰は苛烈を極める。次の裏切り者の出現を許さないためだ。
主人公ブライオンは組織の中でも幹部だ。覚悟の証である入れ墨は顔にまで入っている。逆に言えば顔の入れ墨のおかげで幹部になれたのかもしれない。根っからのレイシストではないが、家族に恵まれなかった彼は組織を家族だと思いこんでいて、家族の意向は自分の意向だと考える。殆どネトウヨの精神性と同じである。
本作品はヘイト集団から脱出しようとする物語であると同時に、ヘイト集団と似たような組織が世界中にあること、場合によってはそれが国家であることも含めて、勇気を出せばそこから脱出できるという物語でもある。
救いはダニエル・マクドナルドのお肉
レイシストの男が3人の娘を持つシングルマザーに惚れてレイシスト集団からの脱回を試みる。短編とは真逆の甘めな結末に何か釈然としない。まあ、改心するのに遅すぎることはないというところか。
差別主義者を観ているだけで胸糞が悪くなる偽善者の私には評価が難しい作品。
救いは完璧に肥満なヒロイン、ダニエル・マクドナルドのお肉かなぁ。ラッパーを演じた『パティ・ケイク$』でも凄い存在感だったもんなぁ。
あっ、「マイレージ、マイライフ」のヴェラ・ファーミガも忘れてはいかん!実に魅力的な女性だ。
それが第一歩
過激な白人至上主義の団体に属する全身タトゥーの主人公が、ある人と出会ったことで、レイシスト団体から抜け出し人生を改めようとする物語。
白人至上主義団体を「家族」と呼び、黒人やイスラム教徒を迫害してきた主人公。ところが、ある集会で出逢った、3人の娘を育てるシングルマザーと心通わせるうちに、本当の家族を持ちたいと思うようになる。
しかし、こうなると当然訪れるのは、裏切り者としての制裁。人種差別については勿論、長年時間を共にした仲間より、一族の掟が重視される恐ろしさがよく描かれていた。
その他、立場はまるで違えど、「ママ」と呼ばれる2人の登場人物。
見た目の過激さや、冷酷な側面がありつつも、垣間見える母としての強さや優しさは
強くうったえかけてくるものがあった。
最後に、シンプルとはいえるが、個人的にはこの映画がああいったラストで締めくくられるとは思っていなかったので少し驚いた。
ダリル.L.ジェンキンスさんのように、実際に過激な主義思考を改めさせた実績がある人がいるなんて凄いですね。このあたりにもとても感動させられた。
あと、本篇前に短編も上映されていました。
寧ろこっちの方が印象に残った人も多いのでは??
かく言う私も、思い出すのは短編のシーンの方が多いかも。
衝撃度では間違いなくこちらが本編を凌ぎますね。
本編でも短編でも思ったのは、いつだって子供たちが最大の被害者になりやすいってことですかね。
このようなことが世界では起こっているという事実に改めて戦慄を覚えた作品だった。
レイシスト
プロローグではないが、まず、おバカなレイシストの悲劇が流れる。白人にも貧困層がいて、主義・主張を誇示するのは構わないと思うが、暴力は悲しみしか生まない。インパクトのある短編だった。
そして、本編(長編)は、そんな組織からの脱退を決めた若者の苦悩と成長の物語。
危険な組織、団体は差別主義だけじゃない。
宗教、ギャング、色々あるから、改心したい方は勇気が貰える映画だと思う。
短編万歳
アメリカの司法制度だから仕方ないけど、やっぱり合点がいかぬ
反省しているのなら自分から何かしなさい!
自分が被害を与えた相手への罪滅ぼしは必要でしょうが
確かにヘイト組織に風穴を開ける意味は分かるが・・・・
彼が本当に更生できるかは分からない
やっぱり短編の結末が望ましい
難しい…
一般の日本人並みに恵まれた境遇であれば、ヘイトは悪だと言えるけれども、選択がそもそも可能ではない、それしか選択肢がない人達もいるのだと、そこから抜け出すのは容易ではないのだと、仕込まれる映画…
若者がこうした境遇に追い込まれるようなことがないように、社会の底上げを出来なければいけないのだな、とあらためて考えさせられる。
か、その訴求力は?と思っちゃうよね!難しい…
キレイな終わり方に背筋が凍る
想像していた人種差別抗争ではなく、犯罪者集団からの逃走サスペンスというところ。解決すべき差別にふれることなくハッピーエンドになってることに、ちょ待てよ と。
主人公は生きてゆくために入って洗脳されてるから悪くないってなってるけど、多分本当に差別したくて参加しているメンバーもいて、手はださなくても組織に資金援助している人もいて、そういう人が改心する図じゃないと意味がない気がします。彼女に嫌われたくないから組織抜ける話なら、ヤクザでもマフィアでもよいわけですから…。
短編の方がテーマとしてまっとう。
女優さんが一緒だったから、短編に続くのかと思ってヒヤヒヤしましたが、違ってよかった😅
とはいえ、
どちらも映像作品としては丁寧で素晴らしい!
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