ハニーランド 永遠の谷のレビュー・感想・評価
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まるで脚本があるかのような…
でも3年の歳月をかけたドキュメンタリー。舞台は北マケドニア。養蜂家のハティツェは盲目の母と電気も水道もない地で暮らす。モットーは蜂の巣から蜂蜜を、半分は自分のために、もう半分は蜂のために残すこと。そうすることで生態系を崩さず、何キロも歩いては都市で蜂蜜を売りながら生計を立てている。結婚もせず倹しい暮らし。そんな地に遊牧民であるトルコ人一家が引っ越してきたことから生活が激変する。優しい彼女は養蜂を一家に教えるが、父親は金のために教えを破り、全ての蜂蜜を取ってしまう。蜂蜜を取られた蜂は彼女の蜂に襲いかかり、全滅してしまう。それはイコール彼女の生活を奪うことで、やがて盲目の母も死んでしまう。バチが当たったかのようにトルコ人一家の家畜も伝染病にかかり、その地を離れていく。勝手に壊しときながら、何とも無責任な連中で、かつての列強諸国のよう。今もそうかもしれない。残された彼女はこの先どうしていくのだろう。この地に残り、歳月をかけて再び養蜂をするのだろうか。この続きが見たい。素手で蜂の巣に手を突っ込むのが凄い。
彼女のその後:評価後までストーリーは続く
映画が絶賛され、大成功を収めたので主人公の彼女はドキュメンタリーの舞台だった場所から通える距離に住居を提供されたようです。 映画祭ではみんなが写真を一緒に撮りたがり、一躍スターのようになったと海外サイトにありました。 ですので彼女の「分かち合う心」「自然とともに生きる精神」「優しさ」は、ちゃんと報われて、結果的に映画を通して彼女はずっと出ることのなかった孤独の村から連れ出され、物語はたくさんの人と結びつけ、彼女にとっても素敵なギフトになったようです。
クルーは3−4日の食料や荷物をつめ、彼女の村にテントをはり、撮影し、バッテリーを充電しにまた近くの村へもどる、ということを3年続けたそうです。隣人との騒動の時は、どちらの立場も取らずに撮影したとありました。いろいろな困難や孤独をただ受け入れていく姿と自然の美しさがとても胸に残りましたが、映画では彼女の孤独と大自然で終わるので、エンディングの後のストーリーまで含めると、映画の意味ももっと深まるような気がします。どこの映画批評を見てもかなり評価が高く、3年にわたる撮影も報われたようですね。すばらしいドキュメンタリーでした。
すごかった
水道ガス電気などインフラがまったくない生活が凄まじい。歯磨きはするのだろうか。高齢のおばあさんは目がはみ出しているし、医療も一切なさそうな限界を超えたワイルドな生活、それでもしぶとく生きている。主人公が隣の一家を嫌ったり、確かにすごく迷惑なのだが、子どもだけは可愛がったりしていて、複雑な気持ちがうかがえる。特に山を焼くのはひどい。
蜂の巣をパンのように食べていておいしそう。今現在、コロナ禍に彼女は大丈夫なのだろうか。おばあさんが亡くなるところで終わったのだけど、一人でいるのだろうか。彼女の事を思うと、今の自分の生活で不満を抱くことに罪悪感が芽生える。
大自然との調和
心温まる映画。その上、大自然を満喫できる上、大自然との調和を体と知恵で感じ取っている。そして、生きている。このドキュメンタリー映画を三年かかってとったらしい。主人公ハティジャが蜂蜜を全部取らないで『半分蜂のために』といってとっておく。それをまた、トルコ(?)の家族の子供の一人に教えるシーンが好き。自然の生き物と共存することにより、自然を破壊せず、お互いに生存できる。この生き方が大切だ!
それに、ハタジャは遊牧民のようでトルコ語を話す家族が、車と家畜を連れて現れた時、怪訝な顔つきでいたが、すぐ子供達と友達になり、今までの人生とかわり、活発になったが、商売熱心の家族の父親は自然との共存より、生活のため蜂の巣を探し求め、量産し始めた。でも、家畜が病気になって、この土地をさった。その時の、ハタジャの寂しさ。『冬を何度も迎えた』と最後の母親の言葉。ハタジャの寂寥感。季節は巡り、春になって、彼女は誰もこられなそうな山の中腹にある蜂の巣を見にいく。この大自然の中で生きる彼女に地球温暖化の影響を聞いてみたい。
取り残された孤独の地
そもそも。ドキュメンタリー好きは暗い話の方が好き。シリアスなものに惹かれる。未知の世界を見せてくれそうなものほど、興味をそそられる。このポスターは逆効果だよなぁ、と、まずは思った。アカデミー二部門のキャンディデイトと言うだけでもワンサカと人は来るって。
わたくしは、バルカン半島深部の北マケドニアと言うだけでも「行かなくっちゃ!」って思いました。
欧州最貧国の一つであり、国土の殆どが山地と言う北マケドニアは、NATOにもEUにも加盟していません。と言うより、「お荷物になることは明らか」なため加盟させてもらえてないと言った方が良い。時代の流れから取り残された様な集落には、電気も水道も無く。ここは21世期の欧州なのかと衝撃を受けつつも。これがバルカン半島?コソボもセルビアも、こうなのか? ガバナンスの緩い共和国で金が無ければ、こうなるのかと。もう、ここが衝撃。
ナレーション無し。字幕無し。音楽無し。
ワイズマン手法です。淡々とバディデーとサム一家の日々を追いかけます。
人々にうち捨てられた様な、小さな集落跡の一軒に、盲目の老母とともに暮らすバディデー。断崖のミツバチの巣から蜜を採取する場面から始まるドキュメンタリー。
1964年生まれの彼女。町に蜜を売りに行きEUROを稼ぎます。髪染めを買って帰る彼女。帰宅後にカメラがとらえる母親との赤貧生活。耳の遠い母のために大声で話すバディデー。彼女は、無人となった集落の壁の中に一つ。空き地に設けた数個の土の塔に。ミツバチを飼う原始的な養蜂家。土の塔の頂きには、第一次大戦に参戦したいずれかの国の錆びたヘルメットが被せられています。戦火は、こんな奥地にも及んだという事なのでしょう。
いずれにしても。孤独と孤立の生活です。
そんな中、集落の空き家にやって来た酪農家のサム一家。5(?)人の子供と夫婦。不安そうな目で入植を見つめていたバディデーでしたが、徐々に、子供たちと近づいて行き、特に次男はバディデーに懐きます。
バディデーが経験する、どれだけ振りかもわからない「家族」の空気感。
現金が必要なサムの父親は養蜂にも手を出し、出荷を焦り無理やり集荷したことが引き金となり、バディデーの巣のハチは死に絶えます。町からやって来た、サムの親戚(?)の強引なやり口は、更にバディデーの生活を苦境においやります。
狂牛病で50頭の牛を失ったサムは、ここで生活して行く事は不可能だと、子供たちを連れ、牛を引き連れ、去って行く。
そして母親も天に召され。
冬枯れていく山々。
孤独。孤独。孤独。孤独。
どこを見渡しても、一人だけの世界。
時折、はるか上空にたなびく飛行機雲と、耳に届くジェットエンジンの音が、ここは、確かに現代社会なのだと思い出させてくれます。高地に取り残された人々。文明から取り残された山岳地帯。誰が死に、誰が生まれようと、そこにある孤独の姿は、何も変わらない。
Honeylandは、全てから取り残された孤独の地。
生きていく意味も、死の意味も、何が違うと言うのか。
心地よさを感じる「Honeyland」と言うタイトルと暖色のポスターは逆説だと思いました。が、「永遠の谷」って言う邦題のサブタイトルは何なの?
全く持って意味不明ですからw
カルチャーショックを受けた…
すごく見応えがあり見入ってしまうのだが、真剣に見れば見るほどカルチャーショックを受け心が不安定になっていた。
もちろん日本、そして自分が育ってきた環境があまりにも平和であることを実感させられるかるこそこの作品で映し出される生活に強くカルチャーショックを受けるわけだ。
まずは主人公の女性の母の姿に驚かされた。顔の上半分はもうすでに腐った状態である。あの状態がどれくらい続いてるのかは分からないが、それでも85歳まであの環境下で生きてきたわけだから人間の生命力に感心させられる。
そして蜂蜜を取る姿だが、防護マスクを着けるときもあれば着けなかったり。そして基本的には素手で取る姿はあまりにも驚いた。主人公の女性だけではなく、隣人のトルコ人家族もまた同じような姿を描かれ、そこにはまだ10歳にも満たなさそうな少年や、5歳にも満たなさそうな少女達も同様に蜂に挑み、顔や体を蜂に刺されても普通に生活している事に驚かされた。
特に彼らトルコ人家族の姿を見ていると不安な気持ちでかき立てられる。
親牛に蹴られたり、踏みつけかけられたり、川では溺れかけたり…かなり危険と隣り合わせの生活をしているのが映し出される。その度に子供たちの身が心配になり不安な気持ちで一杯になるのだが、彼らにとっては生活の一部でありまた生きる為には当たり前の事なのだろう。
ここに挙げた以外にも日本では、そして自分自身やその周囲の生活の在り方では想像もつかない姿が終始描かれている。
僕自身はこの作品を見てもちろん何より今の生活に感謝の気持ちで一杯になったのがなによりだが、同時にカルチャーショックを受け少し気分が悪くなってしまった。
この作品をみて色んな感想、思いが各々あると思うが、僕自身はこういう作品をみると今の生活において、小さなことでも感謝の気持ちで一杯にさせてくれる。
そして感謝の気持ちの先には必ず豊かな出来事が待っているような気がする。そういう点においてこういう作品を見ると自分自身を豊かにさせてくれる非常に貴重な時間を過ごせたと思って劇場を後にした。
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