「青春って、なんだっけかね。」佐々木、イン、マイマイン スパイクさんの映画レビュー(感想・評価)
青春って、なんだっけかね。
スーパー久しぶりにこっちにも感想をあげます。。
青春、ってなんだっけかね。
個人的にはとても羨ましいな、と感じる響きの言葉「青春」。もう僕は30歳も超えて、青春なんてもんはとうの昔、15年以上も前の話なんじゃないかと思っていた。
「佐々木、インマイマイン」を見てその考えが少しだけ揺らいでしまった。
佐々木、という男がいる。
共学の高校の男子クラスメイトから人気があるようで、唐突な"佐々木コール"、「佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!オイ!オイ!オイ!オイオイオイ…」と持て囃されると、着ている服を脱ぎ去り素っ裸で机の上で男子生徒に囲まれ踊り狂う。
それはいつでも「佐々木コール」が掛かればすぐに始まる。
女生徒が先生を呼んできてもまっぱのままマッハで逃げる。
こんなクラスメイト、自分の過去にも…いや、誰のどんな人の過去の「青春時代」に居たのではないかなって感じた。
もし自分が同じクラスメイトなら苦手な部類の人間だったろうし、関わろうともしなかったかも知れない。
だけど、いつのまにか見ているうちに、自分が佐々木の1番の親友であろう、「ユウジ」に投影してしまっていた。
ユウジは学生時分から全て後回しにしてしまう。彼にとっては、育った家庭環境、が1番関わっているのかも知れないけど。
自分の家庭が「特殊」、「普通じゃない」ことは社会に出てから気付くけど、そんな人間がうじゃうじゃいる。
逆に安定してる家庭に生まれ育って何不自由ない暮らしをしてきた人間の方が絶対少ないはずだと思う。
僕個人もめんどくさい、適当がいい、と後回しにする節が多いし、買い物は決め切るくせ、人生の判断は迷って迷ってグネグネしっぱなしだ。
だからこそ、ユウジのおばあちゃんの言葉や、佐々木のド直球の、変に根拠のあるようでない、わけわからないけど納得してしまう言葉達が刺さってきた。
ユウジと演劇の演出家との喫煙所の会話。
「一人でいても孤独を感じるけど、誰かといても孤独を感じれる生き物なんじゃないかな?それを表現できると思うんだよ、ユウジ君は」
そのセリフを聞いた瞬間に、森山直太朗の"悲しいんじゃなくて寂しいだけさ"や宮本浩次のカバー集の中の色んな曲が頭にかすってグウッと心を掴まれてしまった。
クラスの中でおちゃらけてはしゃぐ奴も、人気者も、真面目な子も、オタクな子も、まして生徒会長も、心の中で家庭の中でも寂しさ、孤独を感じていたのだろう。それを今、思い返すと甘酸っぱく、「何で自分は同級生のへらへらとした、腐っているように見せていた彼らを、悲観した目で、心で、見ていたのだろうな…」と恥ずかしくなっていた。
この気持ちは忘れてはいけない。忘れられないだろう。ふと感じる悲しさや切なさ、季節で変わる気の持ちようだって。
他愛もない毎日だけど、心の中の"佐々木(同級生)"がいつだってはしゃぎ、心を押してくれる気がする。
馬鹿やってるやつだって悩みがたくさんある。
家庭環境うまくいってないかも知れない。
それでも、自分の幸せをなんとか手に入れようとしていた。
俺なんかが普通の仕事なんかできないって!と言い、パチプロになっていた佐々木。
佐々木が言う通り、「役者」になったはいいが泣かず飛ばずでよくわからない工場で石鹸の外箱を作る末端な仕事をしているユウジ。
毎日は続くけど、なんとかして暮らしている二人が何となくつながって見えた。
佐々木だって、ユウジだって、元カノのユキだって、多田だって、孤独の真っ只中なんだなぁ。
正直、ここのところコロナ禍の影響で相次ぐハリウッド作の延期の数々、自粛、そして自分自身の体調や仕事面での苛つきもあったりで
邦画やアニメばかりの公開作品がもうウンザリしだしていた。
もっとハリウッドの何も考えないでもスッと入ってくるような素晴らしいスターがスクリーンで燦々と輝く作品が見たいんだよ!
と思っていた。
だからって、アニメも邦画も大好きなんですが。
侮っていた。侮りまくっていた。
前情報何も入れず、ただただ、Twitter上の映画垢の色んな人が良作だ、見て良かった、と口を揃えていたものだから。
こういう口コミは大抵、いや、9割当たりなんだ。
まんまとしてやられました。
ありがとうございます。
今の自分にとてもとても必要な作品でした。
鑑賞してもう2日経ってますが、余韻が続いています。
自分の青春は、自分で勝手に終わらせてしまっていたのかも知れない。
まだまだいけるはず、だ。
そのコールがあればまた立ち上がる。そう信じてしまう。そんな「変な納得させる力」がある佐々木という奴。そんな奴がみんなの心にいるのかも、だからこその「イン、マイ、マイン」なんだろうな。
珍しく感想が長くなりました。
わかりやすい、自分が「興に乗ると筆が走る」のがw