はちどり(2018)のレビュー・感想・評価
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韓国の中学生の日常
とても普通な話。
25年くらい前の韓国の中学生の普通の悩み。
基本は日本と変わらないんだなと思いつつ、ところどころ韓国の団地生活にノスタルジックを感じます。
ウニがどこまでも可愛らしい守りたくなる。応援したくなる。
あらすじをぶんしょうにしたらなんてことないかも知れませんがウニが可愛すぎる事と、演出なのか引き込まれた。
ただ、少し長い。
意味不明のシーンがいくつか?たくさん?あって、何かの導線かと思ったら意味不明のまま終わる
最後のオチが弱い良いうか、、びっくりはしない
1番びっくりなのは、韓国にもこんな静かな映画があって、さらにヒットするんですね。そこにびっくり。
1晩寝たらの余韻が素晴らしいので追記。
ふと自分の14歳と比較して
万引きしたり
自分が死んだらみんな泣いてくれるのか
親友と絶交して仲直りしてみたり
そんなことを思い出しました。
単に大人になった自分がこの映画を見ると
「子供だな」、「そんなことしても意味が無いのに」、「そんなことで悩むかな?」と思ってしまいますが、自分の14歳を思い出すととても良い余韻がありました。
一晩寝てから良さがジワジワ出てくる映画は良いですね。
岩井俊二監督みたいです。
みんながいうほどいいとは思わなかった。ただ叙情的な映画があまり好き...
みんながいうほどいいとは思わなかった。ただ叙情的な映画があまり好きではないからかも。家父長制の片鱗に記憶が重なり、とても怒りを感じた。
演出も結構不自然。
だから人を憎むことって難しい。
1994年の韓国で、14歳の少女が漢文の女の先生に出会うことで、少しずつ世界や周りの人の知らない一面を知って成長していく話。
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この映画、人はちょっとずつ良いところと悪いところがある、そんな当たり前のことに優しく気づかせてくれる。
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例えば劇中、理不尽に怒ったり無愛想そうな人が急に泣くシーンだったり、分かりあっていると思っていた親友の気持ちを知ったり、登場人物の色んな表情を見せてくれる。
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そうやって他人のことを意識してみると、なんとも思わなかった人のことをちょっとだけ好きになることだってあるかもしれない。
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この主人公割と小悪魔ちゃんなのも良い。男に振られたら自分のことを好きな後輩を上手く利用してる当たり怖い女だよ(笑).
「パラサイトから韓国映画が好きに」
最近だと韓国映画は「パラサイト」しか見てませんが、そこから魅力にハマってしまった。
韓国映画は貧困をテーマに盛り込むのが上手だと感じますが今作はそこは少しで、女子中学生の思春期の思いがテーマ。
2作続けて高校生、女子中学生と学生が主役の映画を見ましたが、2作とも若い人にお勧めで「若い時に見たかったなあ」と同時に、今作は大人が見ても「苦しい青春がよく描かれていて救いもあった」と共感する部分が多々あると思います。
しかし韓国映画のポテンシャルの高さ。好きになりました。
【”本心を分かって貰える友人はいますか・・。” ”そして、様々な経験をして幾つかの”しこり”をゆっくりと取り除いていく。” 移ろいゆく少女の心の機微を、静やかなトーンで描き出した作品。】
ー時代は1994年。ソウル市内の中学2年生である、ウニの不安で儚げな表情が実に魅力的な作品。-
◆下記、作品内容に少し触れています。
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■今作の魅力は数知れず
1.韓国映画の魅力である、過剰な演出を一切排したが故に醸し出される、昭和30年代の優れた邦画を想起させる、佳き風合。
2.1994年という時代設定。
・徐々に韓国経済が衰退していく時期である・・・。
・”ソンス大橋崩落事故”がそれを暗示しているようでもあるし、今作でも重要な位置づけとなる”事件”として描かれる。
(但し、崩落の瞬間などは描かれず、当時のニュース映像が使われるのみ。)
3.ウニの家族が、諍いを繰り返しながらも、家族5人で食卓を囲む風景が何度も映し出される所。(会話は余りないが・・・)
-韓国語の原題は”はちどり”であるが、英語のタイトルは”House of Hummingbird"である。-
4.ウニの恋人や親友、ウニを慕う後輩との移ろいゆく関係性の描き方。
5.親友に裏切られ、意気消沈するウニを、少しぶっきらぼうだが、優しく労わる漢文塾のヨンジ先生。彼女が淹れてくれるウーロン茶をウニが飲むシーン。
ーそして、ヨンジ先生がウニにかける言葉が心に響く。”(男性に)殴られているだけでは、駄目・・。”-
6.ウニの耳の下部に出来た”シコリ”と彼女の心の”しこり”
-手術で”しこり”を取り除いたウニの表情・・。-
7.謎の多いヨンジ先生は、ソウル大生であり、
(明示されないが、後半ウニが”愚かしくも脆い優秀な兄、”女性に手を上げるとは何事か!”:私は、勝手に当時の韓国とダブらせて観ている。”が訪問したソウル大の写真を見て、口にする・・。)
”事情があり”長く休学している。
そして、郊外の工場前の”横断幕”の前を、ヨンジ先生とウニが二人並んで歩くシーン。
その後、”ソンス大橋崩落事故”の後、破れた横断幕が映されるシーン。
-上手いなあ・・。ヨンジ先生の”幾つかの描かれない事情”が容易に予測出来る・・。-
8.ヨンジ先生から届けられた、貸してあったスタンダールの「赤と黒」と真っ新な”スケッチブック”をウニが開けるシーン。
<ウニが”様々な経験”をする中で、将来が見えず、不安で儚げだった表情から、ヨンジ先生から贈られたスケッチブックにより”ある夢”を言葉にする表情が、明らかに変わったように見えた作品。
韓国映画らしからぬ、随所で挿入される、数々の静的シーンの美しさに魅入られた作品でもある。>
わたしの世界の崩壊と再生の物語
とても印象に残る作品だったにもかかわらず、自分自身の気持ちが整理できていなかったので、ふたたび映画館に足を運ぶことに。
二度目も感慨深く、静かにしかし強く心を動かされる作品だった。今回は多少、自分のなかで整理ができたと思う。
作品全体が中学2年生という多感な時期の少女ウニの目線で描かれている。昔のことでとうに忘れていたが、「男の子」だった自分にも同じような頃があった気がする。人生の絶頂を味わったかと思えば、次の日は人生のドン底に叩き落される。まるで世界の終わりかのように。
そんな子ども以上、大人未満の時代をいつの間にか忘れて日々の忙しさにかまけている。
いや、決して忘れてはいない。忘れようと、ただ意識の片隅に置いていただけ。
ウニにとってのそんな時期のひとつの終わりをソンス大橋の崩落事故とその一連の悲劇にシンクロさせている。
もうひとつこの作品で印象的なのは、女性のこの国での息苦しさ。
ウニや姉スヒ、母、そしてヨンジ。
それぞれが生きてきた世代や置かれている環境は異なるも、男尊女卑の家庭や社会に対する閉塞感に直面している。だが、世代が違うものの、それぞれが互いの価値観や苦しみに共感するシーンにどこか安堵させられる。
所々での窓辺と風の音、セリフのない長い静寂のなかでのウニやヨンジ、母のおだやかな表情がとても印象に残る作品。
忘れていた感覚。
もう遠い昔になるけれど私にも14歳のときがあった。
共働きの両親と団地に住み、うまくいかない友人関係に悩み、大声で泣き叫んだこともあった。
今思えば大したことのない日常だったけどその時は何かに苦しんで仮病を使って学校を休んだこともあった。
ウニと同じ程度のワルさもした。
親に反発したこともあったが当時の親の年齢をとうに超えて、親だって普通の人間であり完全ではないことはとっくに理解した。よく夫婦喧嘩していたけど最期は深く愛しあっていた素晴らしい両親だった。
そんなことを思い出させてくれた作品。
兄の涙はああだったのかな、先生はこういうことだったのかな、とこちらに委ねられているので今も余韻に浸りながらあれこれ考えている。
大声で泣き叫ぶことなど今は全くないし、これからもないだろうな。
少女の成長
1994年の韓国を舞台にした、ある一家の物語である。主人公は純真無垢でありながら、繊細な心を持つ中学生。
まず、観て感じた事は当時の韓国の家父長制度を如実に表してる所である。何故か子供たちは父親に敬語を使う。父の存在は絶対的である。次に兄が妹に否応なく暴力を振るう。当時の韓国は男尊女卑が当たり前の時代だったことがうかがえる。
作中、家族や友人との対人関係に悩んでいた主人公の心を開いたのは、付き合ってた彼氏や親友、後輩ではなく、顔見知りの人の数を質問すると同時にその中で心まで知っている人は何人かと問い直した女子大生。その命題が主人公の心に突き刺さったんだと思う。
ラストシーンの1人孤独に見えながらも微笑む主人公に、やっと自分の居場所を見つけた安堵感を感じずにはいられなかった。
テーマと結びついた美しい映像が非常に印象的。
これが長編映画の初監督作とは信じられないくらいに、テーマと映像が見事に一体化した作品!
表題の「はちどり」はもちろん、主人公ウニ(パク・ジフ)を指しています。自分が何者なのか良く分からないままに、様々な圧力や不条理に絡め取られないようにもがく姿がハチドリと重ね合わされています。しかしウニは、自分が何者であるかを自覚する以前に、自分のことを語る術も持たず…、会話は言い淀みの中で宙に浮き、直接感じたはずの怒りや悲しみの言葉も呑み込むだけ。家族すらも、その存在を見落としがちになります。
本作で特に印象に残るのは、映像の美しさ。やや逆光気味に人物を照らす柔らかな光は、ウニたちの姿を包み込み、肌の瑞々しさを一層際立たせています。この画面は、恐らく単に人物を美しく撮ることを意図して構成したものではなく、ウニ自身が認識している存在感の薄さを、「透明感」という形で表現しているのではないかと推測。同じ自宅の、父や母のいる居間の照明が、真上に置かれ、かつほとんど回り込まないために陰影が強調されていることでその確信はより強まりました。現実世界を明瞭でコントラストの強い映像で表現したのではないかと。本作ではウニの姿を後ろから捉えた映像が度々登場しますが、いずれも極端に被写界深度を浅く(ピントの合っていない部分が多い)しています。この映像の意図もまた、ウニが世界から浮き上がっている状況を映像的に表現したものではないかと。
言葉に頼らず内面を語る物語なので、確かに少し意図が理解しにくい描写もあるのですが(ウニが母親に声を掛ける場面など)、それ以上の映像の雄弁さに圧倒されました!テーマ的に『82年生まれ、キム・ジヨン 』と共通した部分が多く、『キム・ジヨン』の前日譚として観ることもできそうです。
韓国の岩井俊二、デビュー
また凄い監督が現れた。ストーリーは単純、10代少女の日常。何も事件が起きないし、空を飛ぶわけでもない🤓大人は分かってくれない状態だが、家族は皆、不器用なだけなんだけど子供にはまだそれが分からない😬お父さんがいい味、出してたな。病院でのシーン、泣けた。やっぱ、子供の事を一番、心配してるのは親だよな。監督の次回作が楽しみ。あっ、主役の子は超美少女です。
韓国という国が好きになれなくて─
個人的に韓国という国が好きになれなくて、様々なニュースや文化芸能に至るまで避けていたけれど、この作品の予告などを目にしてなぜか不思議なノスタルジーを感じてしまって、衝動的に観賞することに。
映像の質はそれほど良くないと感じたけれど、そんな些末なことなど関係がないほどに、丁寧な描写と機知に富んだ内容で、素直に共感できる作品だった。
自分の周りとなんら変わらない、違うのは言葉のみ、あとは全部同じ、なのになぜ嫌う・・・
作品中の時代、今ほどまでに隣国に苦手意識を持っていただろうか?韓国の知り合いもいたし、なんかものすごく仲が良かった気がするのは幻想だったのか、あるいは今のこの状況が何かに操作された結果なのか─。
今更ながら、映像の影響力というのはバカにならないと思ってしまう。
すばらしい音楽とすばらしい演技で、非常に心を揺さぶられ、なんの垣根無しに感動できた。監督の真摯で素直な意志を感じ取ることができる、見事な作品だった。と同時に自分にとっては隣国への意識を正常へと軌道修正してくれるような作品でもあった。
傑作
今年No.1クラスの傑作。
ほぼ何も起こらないといって良いくらいのミニマルな物語ながら、子供とも大人ともつかない14歳の少女の感情の動きを丁寧に描写する抒情詩ともいって良い映画。それを台詞やナレーションでなく、ちょっとした表情や動き、場合によっては日常的な景色に雄弁に語らせる。
彼ほど美しい映像ばかりではないが、感情を映像として切り取る技術は岩井俊二を想わせるし、ちょっとした日常の一場面の積み重ねで感情を伝えるあたりは、村上春樹の初期短編をも想起させる。
ウニや母だけでなく、兄や家父長制の頂点にいる父すらも抱えている生き辛さが、日常的な生活のシーンから伝わってくる。これが初長編作品とは思えない、ある意味円熟した演出もスゴい。
ウニを演じた主演のパク・ジフちゃんの透明感はあの年代特有のものかもしれないが、芝居も素晴らしい。今後が楽しみ。
普遍的な世界が、気になった。少女の心の動きに覚える衝動
ベネトン。彼女の家は決して裕福ではないが、生活に困らない中流家庭だ。パラサイトで話題をかっさらった韓国映画に新たな風を吹かせる一本だった。
ウニは、家が自営業のため、なかなか親に見てもらえない。反発するようにデートやクラブ、万引きをするが、それでも愛情を感じられない。父は大学のことばかり、母は仕事で手一杯。兄には殴られ、姉は彼氏と過ごすばかりで、末っ子にかけられる期待だけは大きい。そんなウニに転機が訪れる。漢文塾に新たな講師として来たウンジが来て、そこから世界が気になり始めるが…。
思春期特有の感情とまだ誰にもなっていない自分に対しての未熟さの中で、差し込んだ光。普遍的な世界の中で生まれるからこそ輝いて見える。繊細に紡いだ彼女の一瞬は感動モノ。しかしながら、私には少し中盤ダレて見えてしまった。実際の事故と人間の運命と生き方を見つめたくなるような素敵な作品だった。
また、素晴らしい女性監督が登場
映画監督の性別で評価するのは本意ではないけれど、この映画は、女性ならではの力が発揮されている。
丁寧な心のひだを描く、生活描写と静かな映像。男たちの理不尽な言葉と暴力も淡々と描かれる。劇的な展開はほとんどないが、ドラマのクライマックスは最後の災害を通して見るものの心のなかに染みだしてくる。
ウニを演じる少女は、目のきれいな魅力的な俳優だが、演出は少女主演映画にありがちの「可愛こちゃん」スタイルはまったくとらない。ふてくされたり、あっけにとられて無表情になったり、鬱屈して怒ったり、思春期の複雑な心理がよく出ている。
家庭では窮屈な思いをしながら、塾の女性教師とは、自由な意識交換の機会を得る。また手術のため入院した病院では、同室のおせっかいなおばちゃんたちに可愛がられ、素直に笑顔が生まれる。このあたりのウニの表情が美しい。
韓国の1994年の状況は、少女の素朴な目を通じた描写でありながら(だからこそ)リアリティを持って迫ってくる。単に26年前を描いているのではなく、自らを育てた時代を踏まえて現代を見つめる問題意識。
フェニミズムの新しい潮流は、このような人が背負っていく。
若いのに非凡な力量を持った監督だが、自伝的デビュー長編だからこその細部へのこだわりも感じられた。生活描写や空間映像の撮り方に、小津安二郎を感じたけれど、本人の舞台挨拶では、エドワード・ヤンの名前が出ていたので、なるほどと納得。
こういう形で代々、受け継がれて、より深まっていくのですね。
1994年の韓国・ソウル、中2の少女ウニがいた
団地での両親と兄姉との生活、親友や男子との甘辛い関係などウニの日常を実に瑞々しくとらえた。
ソウル大学を休学中だという塾の女性講師・ヨンジとの交流が素敵だった。我々の心にも響く哲学的な語らいがあった。激動の時代を生きてきたヨンジの傷が見え隠れする。韓国が歩んできた自由化への茨の道を思った。
北朝鮮の金日成の死亡報道を遠くに聞くも、漢江にかかるソンス大橋の崩落事故はウニたちにも大きな傷を残した。
思えば真っ当な無常感とその中で成長するウニの姿があった。静かな感動があった。『動』の「パラサイト」、『静』の「はちどり」といった感じで甲乙つけ難しだ。
ことごとく、予想が外れるんだ…
今までなんとなく使っていたけど
「空気感」ってこういうことなんだなあと、改めて思った。
ウニと家族たち
ウニと親友
ウニと塾の先生
ウニと病院の先生
ウニと彼氏
ウニと年下の女の子
全てのバランスが良くて、ついつい「映画」ということを忘れてしまう。
いつの間にか自分がウニになってしまう。
一つ一つのシーンの中で、自分が予想していたことが全て外れてしまう。
うまく裏切られてしまう。
最高の裏切られ方で、気持ちがいい。
こちらからは、以上です。
曇天の見える小さな窓
どれだけ多くの人と出会うかが人生の財産であると常々思っている。広く浅く人付き合いをせよという意味ではない。自分がどうあるべきか、どんな人間でありたいかを教えてくれるのは良い人、悪い人も含めた他者との出会いがあってこそであり、多くの人との出会いが自分自身を形成していくからだ。
偉そうなことを書いたが、私がそんな価値観を持ったのは30歳を過ぎてからだ。14歳の子どもにそれを理解せよと言っても、難しいだろう。14歳にはその年代の世界がある。友人関係、進学へのプレッシャー、反抗期に伴うストレス。とてもじゃないが、自分の見ている以外の世界を見る余裕などない。いや、他の世界の存在すら知らないのかもしれない。ましてや本作の舞台は1994年の韓国。学力至上、男尊女卑が今よりも顕著だった時代に生きる主人公・ウニの目に映る世界はどこか理不尽で、学校でも、家庭でも自分の立ち位置が分からないものだった。
そんなある日ウニは一人の塾の教師・ヨンジと出会う。だが、その出会いが劇的に彼女の人生を変えるような予定調和な話ではない。例えるなら、この教師は真っ暗な閉ざされた部屋の天井に突然できた小さな窓のような存在だ。窓からは見えるのは曇天で、この後で雨が降るのか、日差しが降り注ぐのかは分からない。ウニはその窓を見つめるが、天気と同様に人生の変化は能動的に起こるものとは限らない。自分が動かなくても、自分とは無関係と思っていても、社会情勢や出来事が間接的に、もしくは時間をおいて自分の人生を変えていくこともある。
自分が望むと望まざるとに関わらず、他人や社会は絶えず変化していく。周囲の変化をどう受け止め、自分をどのように維持、或いは変化させていくのか。そして、その難しさを家族も同様に抱えているという不器用な事実までも描く妙。物語の後半、ウニがある重大な出来事の現場を訪れるシーンは、それまで天井の窓を見つめ続けていたウニが自らの意思で梯子に登り、窓から外の世界を覗き込んだようにも思える。そこから続く家族との食事、そして柔らかな日差しの中でのラストシーンの美しさ。もしウニが実在する人物であるとしたら、40歳になった彼女に聞いてみたい。あれからあなたはどんな人と出会い、そして、どのように輝いたのですか?と。
兄は生徒会長に、妹ウニは“不良”に選ばれた。
94年の韓国。民主化されてから間もない頃だ。儒教による家父長制も根強く残り、兄からは暴力を受けていたウニ。教育には力を入れていて、特に英語教育熱が日本とは段違いなほどなのに、英語は全くダメなウニ。同級生からはタバコも吸うしカラオケにも行く“不良”のレッテルを貼られていた。
結構マイペースな性格なのか、冒頭では団地の階を間違えるという異様な始まり方。そんなウニでも同じ漢文塾に通う親友との仲もいいし、ボーイフレンドだっている。ある日、その塾の先生が突然辞めて、キム・ヨンジ先生が赴任するのですが、「知り合いの中で心まで知る人は?」という漢文を教えてもらい、自分の周囲を改めて見直すウニであった。
ウニ自身の大きな変化となったのは耳下腺炎と、万引きしたときの親友の裏切り。ついでに電話をかけた父親にも裏切られたというショッキングな事件。そして、ボーイフレンドにも裏切られた気分になった。
94年は4年後のソウルオリンピックのために経済発展した年でもあり、ソンス大橋崩落や、翌年の百貨店崩壊など大きな事件もあった頃。ヨンジ先生と歩いた道端には工事のために「死ぬまで立ち退かない」という看板もあったが、その近代化における見捨てられた土地をも描いていた。歴史的に北朝鮮との緊張も高まった年なだけに無邪気さも相当なものだった。
少女の成長、特に心の変化は見ていて清々しいものがあり、世間知らずの14歳の目から見た風景は一種のノスタルジーをも感じ取れる。ハチドリが見えない世界の中で羽ばたくように。だから、意味の分からない謎の部分も一つの風景なんだろうし、記憶の中の1ページに過ぎない。
残念なことに、音楽がひどすぎて、全体的な評価は下がってしまいます。先生が辞めた謎や、伯父さんの死因なんてのも描写が少なすぎたこと。餅屋の家族ぐるみでの忙しさが描かれたのは良かったけど、後半には全く登場しなかったこと。餅屋なのにチヂミがメイン。そして、兄ちゃんの将来もきになるところだし、何といってもみんな昼寝ばっかりやん・・・ってとこ。
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