はちどり(2018)のレビュー・感想・評価
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掃き溜めにパク・ジフ
2020年映画館鑑賞68作品目
韓国の平凡な家庭で育った平凡な女子中学生の平凡な日常
にもかかわらず飽きない
特に笑えるところはないが面白い
俳優の皆さんは決して下手ではないが特筆するほどうまくもない
パク・ジフがずば抜けてルックスがいいからではない
それも少しはあるだろうが監督が天才だからだ
平凡な内容だが作品としては非凡
夜遊びした娘に「野垂れ死になれクソアマ」と罵る父親
妹を殴って鼓膜を破る兄
「カラオケに行かないでソウル大学に行こう」と生徒みんなに言わせる熱血先生
みんな嫌だ
漢文の先生がもっと感心する話をするのかと思ったらそうでもなかった
ウニの姉も友達も後輩も同じ顔に見えるのは自分だけだろうか
みんな楽しく生きようよ
丹念に少女と家族、また憧れの女性教師とのやり取りには、瑞々しさを感じた。
韓国映画にはこういった人間の内面の変化を環境や社会情勢とからめて圧倒的な描写で押し切る秀作は多いと思う。
しかし心になにか余韻が残らない!
それが何が原因かは上手くいえないないんやけど・・
レビューはしなかったけれど、「君が世界の始まり」って最近の日本映画と比べてそれがはっきりした。よくも悪くも国と国民の関係の成熟の度合いに齟齬が激しい。
楽しく生きたいが、閉塞感っていう化け物がはっきり映し出されたって感じですね
これが長編デビュー作って凄い
パラサイトの大ヒットから韓国映画の上映がまた少しづつ増えてきた。ソウルオリンピック直前のバブル真っ最中のソウルを舞台とした思春期の女子中学生の物語。勝手な想像だけど岩井俊二にこの監督影響うけたんじゃないのかな〜。イチャンドンにも影響うけてるなー思春期特有の少女の感情の起伏や韓国特有の父家長制度、当時の世の中の空気。いろいろなことが凝縮されている。
凄くいい映画だけど人に説明しにくい。ただ見た人どおしで語り合える作品。深堀できるエピソード豊富で、これが長編デビュー作のキムボラ監督はちょっと凄すぎるなぁ。
「あり得た自分」
南海キャンディーズの山里亮太氏が奥さんの蒼井優さんと観に行ったらハマれなかった映画「はちどり」。ようやく鑑賞。
1994年のソウルが舞台。監督のキム・ボラは私と同年であり、監督の分身たる主人公ウニも当然の如く、過去の私と同年代である。
キム・ウニの疎外感と鬱屈に共感できるかどうかで評価が変わるのかもしれない。私はウニを「あり得た自分」としてずっと観ていた。
日本と韓国ではやはり社会事情も少し違う。さり気なくも明らかな家父長制と男尊女卑、超学歴社会。期待へのストレスから妹を殴る兄。毎夜出かける姉。「82年生まれ、キム・ジヨン」を思い出した。ウニはキム・ジヨンと同年代である。
恐らく94年当時の私よりウニは抑圧されていて、その分行動も派手だ。でも彼女の鬱屈が手に取るように分かる。ただただままならないのだ。家族も、恋人も、友達も、おまけに自分の身体さえも。そしてそれをどうにかする方法も知らない。なんとなく反抗して。
彼女がヨンジ先生に惹かれるのは、先生が教え導く存在だからではなくて、同じ「ままならなさ」を感じ取ったからだと思う。
1994年の実際の出来事も巧みに取り込まれている。北朝鮮の金日成国家主席が亡くなり、そして聖水(ソンス)大橋崩落事故が起こる。前者はウニにとってどこか他人事だが、後者は大きく深い衝撃を与える。
母の表情、父と兄の号泣、大喧嘩の後の小康状態。唐突に見えてリアル。家族全員どこかで抑圧されている、という生々しさ。
そして映画として、どのカットも美しかった。あの繊細なカットの積み重ねが映画の力だと思えた。全ての画に意味がある。
大きな物語の起伏がない上にやや長尺なので、確かに退屈と思われる側面もありそうだけれど、どのシーンも目が離せない映画だった。
自分の居場所を探し求める少女の姿
不器用で大人しい少女が、自分の居場所を探し求めながら成長していく姿が丁寧に描かれている。複雑で繊細な少女の心情がひしひしと伝わり、じわりと心に滲みる感動を受け、観賞後もその感覚がしばらく残った。ラストシーンは一歩間違えればありきたりで物足りないものになりそうなものだが詩的で美しく、心地よい余韻を残す秀品。
普通の少女が社会の病巣と静かに戦う様を見つめる力強いドラマ
舞台は1994年のソウル。14歳のウニは餅屋を経営する父母、兄姉と5人で団地に暮らすごく普通の中学生。ちょっとした悪戯に興じたり、授業中に居眠りしたり、放課後に彼氏とデートしたりとごく普通の生活を送っているが、兄に過大な期待を寄せる父、妹に対して常に高圧的な兄、そんな二人に献身的な母、そんな家庭に絶望し夜遊びに興じる姉との関係に疲弊し孤独感を募らせていた。そんな折ウニが嫌々ながら通っていた漢文塾に新しい先生ヨンジが現れる。正面からウニに向き合い話を聞いてくれるヨンジにウニは少しずつ心を開いていくが、ある日突然ヨンジが姿を消してしまう。
ナラティブな説明もなく淡々と物語が進む中でウニが抱える悩みが少しずつ浮き彫りになっていくドラマ。その描写に押し付けがましいところが一切ないが故に、ウニの悩みの根源が父や教師、彼氏の母、友人らがこぼす言葉が暗に示している閉塞的な社会の病巣に繋がっていて、どうしようもない絶望感が鮮明になっています。ウニの体に起こる小さな異変が家族が向き合うきっかけになるもののそれも運命的なものに遮られ引き裂かれ、「こんな私の人生もいつか輝きますか?」と静かに問うウニが居間で思わず取る行動にこの映画のタイトルの意味を見ました。
本作が長編デビューとなるキム・ボラ監督自身の体験が元になっているそうで、非常にリアルな質感を持った作品。ヒリヒリするような思春期の日々と格闘するウニを力強く演じたパク・ジフの透明感のある美しさも印象的でした。
金日成が死んだ年(1994年)のソウルで生きる14歳の少女を描きながら、万国共通の思春期の悩み・揺らぎ・家族との葛藤を描き出すことに成功している佳作。
①男の子供が優先されるとはさすが儒教の国、韓国。②この頃から受験地獄の国だったのですね。③一人の少女の内面を映像で描く映画らしい映画。④一家で囲む食卓の韓国家庭料理、美味しそう。
韓国ってこんな感じなんだ
いわゆる韓流ドラマとは違う、韓国の映画をみれた気がします。女子中学生のまだあどけない描写がよいです。ウニの色白でさらさらした綺麗なボブがかわいく、二重は他の子より美人さんなんだろうかと思いました。漢詩の先生からのメッセージは考えさせられ、時間があればもう一度みてみたいと思いました。
決して派手ではない描写ながら、日常から少しずつ前に進んでいく少女の...
決して派手ではない描写ながら、日常から少しずつ前に進んでいく少女の姿が本当によく描かれていて、じわりじわりと染みてきて良作!という感覚になった。
語る顔とひきだす技能
1994年の韓国。少女の成長の話ですがその年の聖水大橋の崩壊が映画の到達点になっています。封建的な家族の一員として14歳のウニは抑圧のなかに生きています。家族は米餅を製造販売して暮らしています。裕福とはいえず、学校では疎外され、友情も恋愛も脆く、概して哀しみがウニの日常を覆っています。
あるとき中国語塾で、相識満天下/知心能幾人を習いました。『この世で知っているひとは、おおぜいいるはずです。だけど、ほんとに理解しあっているひとは、そのなかに何人いますか?』という意味です。そのときから中国語のヨンジ先生だけがウニのメンター/理解者となります。
これは映画のテーマにもなりえています。思春期にゆれ動く、傷つきやすい内面にありながら、日々さまざまな哀傷がウニに降りかかってきます。かのじょは絶えず孤独を乗り越えなければなりません。
その、いわば韓国版エイスグレイドの側面にくわえ、時代は韓国経済の過渡期にありました。バブルに沸いていた日本とは対照的に社会が殺伐としています。安普請による聖水大橋や三豊デパートの崩壊は、象徴的なできごとだったわけです。監督自身、インタビューに応えて、急いで成長させた軋轢があの時代にあらわれた──と述懐していました。
監督のボラキムは38歳(2020)(映画は2018年製)の女性です。脚本も書いています。実体験にもとづいており、脚色はあれど、ほとんど自分史といえるものです。デビュー作品ですが、海外の賞を多く獲っています。
演出は動かないカメラです。手持ちせず、長回しもしませんが、長く回します。シーンがほかの映画より半拍長い──という感じです。ですがそこに退屈はありません。表情と心象がすごく語ります。もっとも貢献しているのはウニ役の女優パクジフです。演技の気配がまったくありません。
このようなスタイルの演出家は大勢いると思いますがボラキム監督はそれらより強力なものを核心に感じます。聖水大橋の崩壊とリンクしている、14歳のアイデンティティの危機と確立を、そのときから書きはじめ、ひつような技術や資本をえて、22年後に映画として完成させた──そんな長い道のりが感じられる映画だからです。
ウニ役のパクジフを探すだけで三年かかったと監督は言っています。興行のための謳いではなく、橋の崩壊から構想をはじめ事実20年超の歳月をかけてつくった映画でした。
したがって実質デビュー作でありながら、つたなさはまったくありません。わかりやすさのために乱暴なたとえをするなら、是枝裕和と河瀬直美を足して二で割った──という感じです。技術もカメラも、すでに本物です。
本物でありながら、日本のコンテンツがよくやるように、女性であることも初監督であることも、壮語あるいはポイント化していません。そんなことを弁解する必要がないほど本物だからです。そしてインタビュー等を見ると、およそ日本なら「きれいすぎる」を冠してポイント化させるであろう一個のきれいなひとです。──Nadine Labakiを見たときに感じたような、なんともいえない、その凄み。
言いたいことが伝わるか解りませんが、この映画は日本での女性の創作活動のような「エロス資産」をもちいていません。サンダンスにシードなしで出品しても観客賞や大賞をとれるでしょう。
ネットフリックスのように、日本映画/ドラマの拙劣さが、公開処刑になってしまう世界型デマンドが世に浸透していることもありますが、韓国映画の「パラサイトだけじゃない感」というか、次から次へ感というか、無理感のぜんぜんない底力には瞠目させられます。
本作でも韓国映画が日本映画とは比較にならない高みにいることを再々痛感しました。
日本映画に望むことはありませんが、このようにサラリとデビュー作で傑出してしまう映画がある以上、とりあえず「第一回監督作品」っていう意味不明の誇示、あれ、みっともないから、やめてもらいたいです。
生きていくことは苦しい。でも、だからこそ尊い
この映画がなぜ評価されるのか。一見単調で助長のように感じる。さまざまな事件は起こるもののドラマチックな展開は少ない。
でもそれが人生そのものだし、圧倒的なリアルがあるからだ。
生は偶然、死は必然。ただただ生老病死。この世になぜ生を授かり、なんのために死に向かって生きていくのか。産めよ増やせよの右肩上がりの時代ではごまかされてきたが、このモノやサービスに満たされた、表面的には豊かな時代に生きがいを見失っている人が蔓延している。
家族、友人、恋人、上司と部下…常になにかしらの人間関係の悩みを抱えている。永遠に安息できる場所なんて存在せず、くっついたり離れたりを繰り返すのが人生である。
決してうまくいかないときがあっても、自分そして相手に向き合うことが大切である。最後に救ってくれるのは、他のなにものでもなく寄り添う人の心なのだ。
「つらいことがあっても指は動いている」悩んでいるより、とにかく行動に起こしてみることが大事。
この世界は不思議だけど美しい。
『はちどり』というタイトルには、「世界で最も小さい鳥のひとつでありながら、その羽を1秒に80回も羽ばたかせ、蜜を求めて長く飛び続けるはちどりは、希望、愛、生命力の象徴とされる」その姿が主人公のウニと似ているという監督の想いが込められている。
そしてなにより主演パク・ジフの圧倒的な力。他を寄せ付けないかわいさがあり、表情豊かで目の演技が素晴らしい。
ひとつ引っかかったのが、下の階のお母さんはどういう意味だったのか。僕には分からなかった。
14歳の日常…韓国映画にしては珍しく、特別な事が起こらない…
ウニ役の子、とても可愛い。将来が、楽しみな女優さんです。とても話題になっていたので、興味ありましたが、やっと上映開始になったので、鑑賞してきました。
ストーリーは、14歳のウニの日常ってところでしょうか。特別な事件なども起こらなかったです。韓国映画って、裕福な家庭か、貧困家庭のどちらか…もしくは、その間で起こる出来事が、作品になる事が多い。ウニの家庭は、ごく普通の階級の人たちで、こういう中流階級が描かれた作品は珍しいなと思いました。
兄の暴力、信頼する先生の死など、悲しいことも起こりました。かと思えば、夜遊びしてみたり、万引きしてみたり、悪行への興味もあり、彼氏がいたり、同性愛に興味を持ったり、青春って感じですかね。
特別な事件が起こるわけではないし、韓国に興味がある人でなければ、つまらないかもですね。最も、反韓の方は、観もしないんでしょうけど…。
1994年の私へ。
1994年、韓国。億劫な空。同じ景色に目眩がしそうな毎日。巨大な団地で14才のウニもその迷路の中。行き止まりの連続。来た道を戻ってはまた選び直す。
どこかちぐはぐでうまくいかない家族。好きでもない彼氏とたまたまそこにいる友達。トランポリンで思い切り跳び跳ねる。まるで日々のうっぷんを踏み潰すかのように。
裏切りと耳の後ろのしこり。振り返らない母。
14才の日常が静かに狂い始める。
ある日突然現れたタバコを吸う女性教師。口許で小さく微笑みながらウニの思春期を刺激する。
14才でなくてはならなかった主人公。かつて 14才だった全ての人がきっと持っていたどこかのしこり。
絶対誰にも傷付けられたりなんかしない。必死にもがくウニ。チヂミをちぎってむさぼるシーンにその心の葛藤を見た気がした。
1994年。隣国でのある死。崩れた象徴。届くことのない手紙。すれ違っても5人で囲む食卓。真っ白なスケッチブック。
ウニ、焦らないで。思い悩んだら指を1本ずつ動かしてみて。ゆっくりとステキな大人になってね。
まるで14才の自分に語りかけたくなるような心に残る138分。
静謐で長い映画
この5人家族は皆、腹のなかに何かを持っていて、顔色を伺いながら暮らしている。
一声発したあとの沈黙がたまらなく息苦しい、韓国映画らしくない韓国映画です。
青春物に感じられるエネルギーもあまり伝わってこないし、一所懸命さもあまりなく、日常を淡々と積み重ねたような構成であっさりした味付け。
普通っぽい、極めて普通っぽい、でも主人公の女の子のこの普通っぽさは良かった。
透明感のある少女の顔
が、大人との間の中途半端な時を表現した、なんとも言えない微妙な心の移り変わりや感情の揺らぎを感じさせられた。そんな映画の流れに身を任せてゆらゆらと観た2時間半は、とくに理屈は要らないかなぁと。
ユナの見つめる先には何が見えてるのだろうか。。。
(井上真央の瞳に見えてきた。)
それでも指は動かせる --- 多感な時期の歳上同性への憧れ、みたい...
それでも指は動かせる --- 多感な時期の歳上同性への憧れ、みたいなものすごく分かる。息のつまるような家父長制を体現する家庭で暮らす孤独な主人公ウニが、自分を見つけ世界と対峙するようになるまで。アイデンティティーの揺らぎと窮屈感、と、あくまで個人の物語に織り込まれた社会性。シンプルイズベストを体現するようにカジュアルファッションが格好良い塾の先生、彼女との出会いがウニにとってどれほど大きな意味を持つか。主演の女の子の演技もすごく良くて、また深い共感を呼び起こす。
P.S. 向こうの人ってぺちゃくちゃと食べるのがスタンダードなんですか?普段よく見るような韓国ノワールとかと違って静かさ際立つような作品だったからか、すごく気になったし、気持ち悪かった。
今年映画館鑑賞多分40本目
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