「【終(つい)は終ではないこと、移ろうこと、しかし、記憶には残ること】」椿の庭 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【終(つい)は終ではないこと、移ろうこと、しかし、記憶には残ること】
終(つい=人の生涯の終焉)は終ではない。
この作品は、人の生涯を、椿も咲く庭の季節の移ろいにたとえているようだ。
人生の終焉や、家を手放すことは、なにも、それが全ての終わりを意味するのではない。
絹子は、自分が去っても、陶子や渚に受け継がれるものがあると信じていたのだと思う。
だから、悲しみは自分が抱えて逝こうと思ったのではないのか。
何かが次に手渡される。
渚は、渚の母親の気持ちを受け継いでいたではないか。
そして、絹子の気持ちは受け継がれる。
これは、絹子の存在したという記憶より、たとえカタチは変わっても、もっともっと永く留められる記憶なのかもしれない。
葉山の古い庭のある家での撮影だったようだ。
開発され変わる風景。
批判をする気持ちも分かるが、受け入れ、そして、生きていく人たち。
これは、ここに生きた人たちだけの日常ではないはずだ。
僕達の誰しもが通り過ぎる日常のように思う。
僕は胸に迫るものがあった。
日常のなかの無常。
監督は、日常のなかの無常を撮りたかっと言っていた。
僕達の日常も常に移ろっているのだ。
※ 行間のような沈黙も素晴らしく感じます。
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