「もうやめて...と言いたくなる」MOTHER マザー バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)
もうやめて...と言いたくなる
母との絆を描いた作品は、多く存在しているが、こういった絆を描いた作品は珍しい。
最悪の方向へ向かうが、母と子との距離感、世界の中では圧倒的に無力の第3者の視点が辛い。
秋子も周平も望めば、救われる道はあったし、劇中でも幸せになれるチャンスは何度か訪れてるのだが、不幸を好むかのように助けを拒み続けた結果、孤立してしまう。
なぜ…という言葉が思わず口からこぼれそうになるぐらいの心をえぐられるかのようなシーンの数々は、 最終的な着地点に誘導する映画的ご都合主義ではなく、現実世界にも、自分から孤立してしまう人というのはいるのだ。
その理由は、明確に答えられない部分もあって、あえて不幸に進む人に理由づけをするのは難しいのだ。
秋子の母親像を知らない周平にとって、秋子が全てであり、虐待されても罵倒されても殺人を強要されても、それに従うことこそが息子である自分の役割であると認識させられていて、そう信じるしかなかった人生の中で、一般的常識という概念からはかけ離れている生活環境を改善させるための周りからの親切や優しさは時に雑音でしかないという残酷さは心に度々刺さる。
何故こんなに歪んだ母子関係になってしまったのだろうか…秋子が同じような悲惨な環境で育ってきたというわけではない。秋子の両親や妹は健在であり、言葉ではキツイことを言うようではあるが、心の底では秋子を心配していたりもする。子供時代に虐待をされていたという描写などもない。比較的学校の成績がよかった妹の方が家庭内で優遇されていたという家庭内格差は、よくありがちな話だが、ここまで屈折した人物像を作り出した直接的要因ではないようにも感じられる。もちろん、描かれていない部分があるため、一概には言えないが、定義にもよるが、ごく一般的な家庭環境である。
歪んだ感情をもつ人間に対して、家庭環境や過去のトラウマを結びつけることは多いが秋子の場合はそうではない。あえて不幸の道に進むような行動をするのと同じく、一般的家庭環境やその後の人生においての挫折などで芽生えていまう歪んだ感情は個人差があり、全てが説明のつくこととは限らないのかもしれないからこそ、人間の恐ろしさがあるのだ。
ごく一部ではあるが、悲惨な環境や極限状態にこそ、自分の居場所や快楽を感じる人間もいる。
この映画を見ていて、何で!何で!と思うシーンが多いかもしれない。 酷い子供の扱いにいら立ちも感じるだろうが、それはあなたが正常だからである。
理解しようとして理解できない世界観かもしれない、しかし、こういった世界が実際にあるという現実は知っておいてほしいのだ。その中で自分はいかに恵まれているのかということにも気づかされる
実際の殺人事件をベースとしているため、着地点として、その結末に向かっていくのはわかっているのだが、心から「もうやめて!」と言いたくなるほど、観ているのが辛いし、長澤まさみの目がどんどん死んでいくのが印象に残る。長澤まさみの最高潮の演技といっても過言ではないだろう。
俳優陣の点では、周平役の新人・奥平大兼の演技も素晴らしいが、阿部サダヲの地方B級ホスト感がリアルである。イケメンで小綺麗なホストではなく、地方の寂れたホストクラブにいそうなB級感が絶妙で不の連鎖、貧困を描くうえでは、絶妙なスパイスとしての役割を果たしている。
あえて物語として言うことがあるとすれば、半年後、5年後…と省かれている空白の企画に割と大事な出来事が起きていたりするのに、それを描いていないという点だ。
中でも娘を出産するシーンが省かれているのは、残念だ。秋子は娘を下ろすこともできたが、自らの意志で産むことを決心している。ここには、秋子なりの母親像というか母親としての意志が感じられるのだが、それがどんな歪んだ形であれ、提示されなかったのは残念だった。