「とんかつDJなのにトンカツ揚げてないしDJもしてない」とんかつDJアゲ太郎 ヘルメスソースさんの映画レビュー(感想・評価)
とんかつDJなのにトンカツ揚げてないしDJもしてない
原作が好きで映画版をとても楽しみにしていたのにマジで面白くない作品に仕上がっていて悲しい。
原作では、アゲ太郎が本業(とんかつ屋)と趣味(DJ)に全力投球する姿を通して、キャラクターの成長、キャラクター同士の絆、活躍するステージの広がりなどが描かれていた。しかし、今回の映画ではそうした要素が全く描かれていない。
具体的にダメな点をあげると、
・とんかつDJなのに、トンカツを全く揚げない
・トンカツの修行シーンすらない
・DJがなかなか始まらない(DJセットを用意するまでに30分近く尺を使ってた)
・DJ始まったと思ったら肝心のDJがクソ
・キャラクター同士の絆がまったく描かれてない
・したがってストーリーに納得性も必然性も全くない
・全てのシーンが冗長でテンポが悪い
・そのくせ物語の進行上どうでもいいシーンが多い(フワちゃんとかYouTubeのくだりはストーリーの進行上まったくの無駄)
とくにDJシーンは本当に目も当てられないような出来栄えで、一流DJとか言われているキャラクターが「前後の曲同士のリズムやつながりも関係なく無理やり曲を切り替える→切り替えた瞬間フロアが沸く」みたいなシーンが何度もあって、いくらなんでもねーよと興ざめした。クラブのシーンが出てくるたびに監督はクラブに行ったりDJがプレイした音源を聞いたことがないのでは・・という疑問が何度も頭をよぎった。
DJシーンの貧弱さはストーリーにも影を落としていて、なにしろまともなDJプレイがどのシーンにも存在しないので、アゲ太郎が上手くなっているのかどうかが分からない。だからキャラクターの成長を実感のしようがない。
キャラクター同士の関係性もハムカツみたいに薄っぺらくて、例えばアゲ太郎にDJを教える師匠が(原作とは異なり)アゲ太郎に対して何も教えない。何も教えていない以上、子弟の絆なんても存在しようがないのだが、終盤になるととってつけたように師匠に対する義理みたいな話がでてくる。そして、それすら途中で有耶無耶になる。それじゃ最後のコンテストのくだりはまったく意味なくなるだろとツッコミいれたくなるが、終盤にもなると映画の脚本に求められる最低限の品質すら期待しなくなっているから大して気にならなかったりする。
さらに付け加えると、映画版は作品の重要なテーマを描けていない。重要なテーマとは、「業界が違っていても一流の仕事は似通っているところがある」というもの。映画版ではまるまるカットされてしまったが、アゲ太郎がはじめて訪れたクラブで伝説のDJがプレイする姿を見て、何故か調理場に立つ父親の姿と重ね合わせる。その時、一流の仕事は何かしら共通しているということに気がついたアゲ太郎は「とんかつとDJは同じだった」と叫ぶ。この気づきがあったからこそアゲ太郎はトンカツとDJに本気で向き合うことになる。ところが、映画版では伝説のDJの出演がまるまるカットされた上、師匠となるDJが何も教えないただのクズ野郎として描かれているため、主人公が考え方を改めるきっかけがまるで描かれず、「とんかつとDJは同じ」という名台詞は、頭の弱い馬鹿の迷言となってしまった。
とんかつDJアゲ太郎は、トンカツとDJが中心にあるべき話なのにその両方がダメダメな映画だった。というか蔑ろにされていた。各出演者のキャラクターコスプレのクオリティが良かっただけに、脚本や演出がこれほどまでにクソだったのがとても悔やまれる。
原作で重要な楽曲「Jucy & Crispy」が音源化されたのは嬉しかった。映画中での扱いは「雑」の一言だが、音源自体はグルーヴィで良い感じだったのは映画唯一の救い
鳥貴族さん>
映画版でオイリーが油を飲むシーンが気持ち悪いだけに見えてしまうのは、オイリーの誠実なキャラクターとして描いていない点にあると思います。
原作でオイリーが油を飲んでいるのは安く栄養を身体に入れるため。では何故そんなに金がないのかというと、彼は職人気質すぎていい音楽を作ることに興味があってもお金をもらうことに興味が持てなかった。最終的にオイリーは、積み上げてきた努力が報われるのですが、映画版ではオイリーはただ金にだらしがないクズとして描かれているため、そういうシーンを差し込んでも説得力がなかっただろうと思います。
とんかつDJアゲ太郎は、癖の強いキャラクターばかり登場しますがそれぞれのキャラクターが自身の仕事に対しては誠実で、それぞれの地道な努力が報われるというポジティブなストーリーなんですよね。とんかつとDJという突飛なストーリーが多くの人に受け入れられたのは、こういうベースのメッセージがあったからじゃないかと思います。
そういう地道な努力の描写がない映画版では各キャラクターの魅力はやはり伝わらないし、特徴についての描写もかえってとってつけたような印象を残したのではないでしょうか
トンカツの話、DJの話、キャラクターの活かし方、設定、全てが薄かったですよね。
例えば、急にオイリーさんがサラダ油をラッパ飲みしているシーン。
アゲ太郎にDJを教える代わりにラード3かけをもらうほどの油好きという背景があってはじめて油を飲むシーンが活きるはず。
原作ファンにも原作未読者にも意味が分からない中途半端なシーンが多く、残念な出来栄えでした。
キャストは豪華で意外と皆さんハマっていたから尚更残念ですね。
野川新栄 さん>
(前コメントからの続き)
映画中でアゲ太郎は、DJブースの前で何度もレコードをかけますが、「DJをしている風の演技」をしているだけで、行われていることはDJのプレイではありませんでした。もちろん映画なので役者が本当にプレイをする必要はないのですが、せめて「DJをしている風の演技」が本当にDJしているように見せるための演出は頑張ればよかったんじゃないかなと思います。役者の映し方も、用意された音源も、とてもではないけどDJしているようには見えません。
とんかつについても申し訳程度に、エンドロールでアゲ太郎が初めてとんかつを揚げるというシーンが差し込まれているのも不満に思っています。とんかつDJアゲ太郎は、とんかつとDJを通したアゲ太郎の成長物語です。だからDJと同じように、なんどもトンカツに挑戦する姿を描く必要があった。ところが、映画中では奇声を上げながら配膳をする彼の姿しか描かれず、父親から技術を学ぶ、余った材料でとんかつを揚げる、閉店後に練習するなどアゲ太郎の成長を感じさせる演出がなかった。原作ではこのあたりをしっかり描いてます。映画の限られた尺の中で全てを描写仕切ることはできなくてももう少しやりようはあったと思います。(それこそ無駄で冗長なシーンは山ほどあった)
映画は極めて残念な出来栄えでしたが、原作はとても面白いので、機会があれば是非ご覧になって頂けると嬉しいです。
PS
尚、映画版がつまらないのは役者のせいではないことを明記しておきます
野川新栄さん>
最初から最後まで席を立ちそうになるのを我慢しながら観てました。好きな作品なので、少しでも良いところが見つからないかって頑張ってました。
原作に登場した伝説のDJというのは、ビッグマスターフライというキャラクターです。海外のクラブシーンで長年をかけて培われたプレイが一流で、彼のプレイが凄かったのでアゲ太郎は、とんかつ師として一流の父親とダブらせて見えた。(→とんかつとDJは同じというセリフにつながる)原作でのオイリーは、アゲ太郎に技術面を教えますが、ビッグマスターフライは精神面を教えます。
映画版では、ビッグマスターが登場しないのですが、それでもオイリーが師匠として存在感を出せれば話としては成立したと思います。ところが、オイリーは何も教えないクズ野郎として描かれ、また彼のDJスキルも極めて残念な描写となっていました。だから、アゲ太郎は「一流と一流は同じ」という気づきを得られませんでした。そして、物語の発端に説得力を持たせられなかったので、映画全体が茶番くささを拭い去ることができませんでした。
DJというのは、ただ単純に音楽をかければよいというものではないです。DJには例えば、曲同士のリズムやメロディや意味やトーンを違和感なく繋ぎ合わせることが最低限求められます。ところが、作中最初のDJシーンでオイリーは、前後の曲に関係なく無理やり音楽を切り替えてしまいました。(クラブにいたらこの瞬間にズコッとこけると思います。)ところが、この直後にフロアは大盛況というシーンを見て、観ている側は違和感を感じざるを得ないわけです。(続く)
うーきさん>
まったくの同感です。興業成績も振るわないみたいですし、次回作に期待もできないことが悲しいところです。
じょるさん>
好きな漫画がこんなにつまらない映画になっていてかなしい
DJやってたし最後の方でカツをあげてたし伝説のDJって伊勢谷が演じたオイリーだろ
それとも伊藤健太郎が演じた会社経営者の方か
原作もアニメも観てないから詳しくは分からないが原作の良さが表現しきれてないのは伝わる
だが実際の作品内容とレビューの内容に違いがあるのが気になる
最初から最後までちゃんと観たのかな
非常に共感できるコメントでした。
DJとトンカツを掛け合わせながら学び、仲間と共に成長していくこの物語が私は大好きです。
DJセット導入やYouTubeのくだりなどの無駄が多く、各キャラクターの扱いや設定の雑さが見るに耐えなかったのは言うまでもありません。
原作の魅力が全く伝わらない作品でした。