劇場公開日 2020年11月6日

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「日常に魔法をかける、稀有な映画」おらおらでひとりいぐも cmaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0日常に魔法をかける、稀有な映画

2020年11月9日
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 日常のもやもやを忘れさせてくれる映画があふれる中、日常に魔法をかけてくれる稀有な映画を、またしても沖田修一監督が世に送り出してくれた。
 雨の降りしきる夜更け。古ぼけた暗い部屋で、一人お茶をすする桃子さんの周りに、突如、背格好も顔つきもばらばらの「寂しさ1・2・3」が登場する。桃子さんの生み出したイメージだという彼らは、若き日の桃子さん(の声)と掛け合い漫才のようなやり取りをし、もっさりした現在の桃子さんに何かと茶々を入れる。初めは彼らを無視・黙認、時には「のせられていた」桃子さんだが、四季がめぐるにつれ、少しずつ彼らと付き合うようになり、豆まきを経て、春には皆で楽しげに踊る。
 判で押したようなおきまりの生活を繰り返しながら「イメージ」と会話し、過去と現実を行き来する桃子さん。「孤独な老人」などと言うと、リア王並みの悲壮感が漂う。けれども、桃子さんは決して哀れな存在ではない。桃子さんは、案外しっかり者だ。かかりつけ医、図書館員、車のディーラー、息子の幼なじみだった警官、そして近くに住む娘や孫…の誰とも付かず離れず、ほどほどの距離を保っている。特定の誰かにおもねり頼らない桃子さんは、やっぱり「新しい女」なのだと思った。
 予告やちらしに繰り返しふれ、小3の子と公開を心待ちにしていたこともあり、「1・2・3」が登場すると「出たー!」と共に手を叩いて喜んだ。その後も、3人の茶目っ気やノートから飛び出してくる太古の生き物の伸びやかさにわくわくし、毎朝登場する「どうせ」のねちっこさににやにやした。途中でふと、桃子さんと母が同年代だと思い至り、若き日の母や今の姿、将来の自分についてもふわふわと考えた。
 桃子さんのような生活は、けっこう悪くない。というか、案外楽しそうだ。ひと様・世間様にとらわれないどころか、「今」にもとらわれていない。人間関係とも時間軸とも「ほどほど」の距離を保ち、今と過去を自在に行き来する生活。そんな楽しみを手に入れるきっかけは、実はどこにでも転がっているのかもしれない。見慣れた風景や聞き慣れた言葉を目に・耳にしたとき、かつての出来事がふっと心に浮かぶ。一見味気ない日々を繰り返しているのは、繰り返す中で、いつまでも色あせない思い出が形づくられていくからではないか。母、自分、そして隣にいる子が、それぞれに重ねてきた・重ねていく時間を思い、少しほろ苦いけれど、あたたかい気持ちになった。
… と、小難しいことはさておき。この映画に出会って以来、「おらだばおめだ、おらだばおめだ」というフレーズが何かにつけて頭をめぐり、リズムにのってる自分に気付く。子も、時々楽しげに口ずさんでいる。目の前の生活が味気なくなったら、好きなようにイメージを放ってみる。それだけで、日常はとても楽しい。一人でいることは、寂しいどころか、豊かさそのものだ。そう、気負わず素直に感じられるようになった。
 そういえば、昨日のこと。行きつけのスーパーで、開店前から居座っているおばあさんに、またしても出くわした。「待ってても開かないよ」、「開いたって欲しいものなんてないよ」、「何もないんだから」と果てしなく繰り返す彼女が、これまでどうにも苦手だった。けれども昨日は、「どうせ」が取り付いているイメージが見えた。そのうち、「1・2・3」が彼女を取り囲んでくれるかもしれない。もしやの再会も、そう悪くないと思えた。

cma