「歳を取るのは自分の中に沢山の自分ができることで寂しいことでははない、というメッセージはちゃんと伝えている。但しこの映像化方法で良かったかはやや疑問。それを補って余りあるのは田中裕子の圧倒的な巧演。」おらおらでひとりいぐも もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
歳を取るのは自分の中に沢山の自分ができることで寂しいことでははない、というメッセージはちゃんと伝えている。但しこの映像化方法で良かったかはやや疑問。それを補って余りあるのは田中裕子の圧倒的な巧演。
(原作既読)①原作は冒頭から怒涛のように東北弁が溢れてくるので、関西人の私には前半は取っ付きにくく後半になってやっと良さがわかってきた。皮肉なことに、この映画化を観て原作が優れた小説であることを再認識。②「おしん」では老年期を乙羽信子、若い時を田中裕子が演じていたのが、ここでは田中裕子が老年期を演じているのが感慨深い。その若き日々を演じた蒼井優が田中裕子の様な名女優になるかはまだわからないけれど。③原作は75歳の桃子さんが自分の中の沢山の自分と会話・問答しながら自分の人生を振り返りその意味を模索していく話なので、映像化する場合は桃子さんの中の自分たちを擬人化して外に出すだろうとは予想できた。④ただ、この映画の場合、それを3人の男優に演じさせるのが良かったかどうか少し疑問。楽しいシーンもあるが、どうしても違和感がある。桃子さんは女性なので女優の方が良かったのではないか。また、外にでた自分を「寂しさ」と決めつけるのは、還暦を間近にした私にはやや抵抗がある。⑤この映画を観ていると、肉体面では生物学的に衰えていくのは仕方がないとはいえ、精神的には、若い・年取るとの違いは自分の中にどれだけ問答できる自分がいるかどうかによるだけなのではないと思った。若いときはまだ自分の中の自分が少なく向き合う時間も短いのでどうしても思考はこれからの事(将来)に向かう。自分と向き合うことに囚われて抜け出せなくなる人も時々いるけど。また、時間軸が近すぎて自分の中の自分がまだ相談相手になれなくて苦しんだり焦ったりするわけだけれども。翻って、歳を取ってくると沢山の自分が本音を遠慮なく指摘したり叱ったり慰めたり馬鹿にしたり嘲ったり相談相手になったり愚痴の聞き役になったりしてくれるので余裕がでてくる。だから、桃子さんが最愛の夫との死別の悲しみを乗り越えられたし、自由になりたくて心のどこかで夫の死を望んでいた自分にも向き合えたのである。なんやかんやで動じにくく桃子さんほどではないにしろ大なり小なり怖いものなしとなる。色んな自分(過去の色んな段階の自分)と会話するのに時間がとられるので将来(あんまり長くないけど)のことを考える時間が少なくなるうらみはあるけど。孤独と自由とは裏表(ユーミンの歌にもあったけど)ということも歳を取れば肌感覚としてわかってくるし。若いということと歳を取ったということの違いは所詮この程度のものなのではなかろうか。⑥映画は容れ物としてここまで描けているか?だけれども、その枠を越えて田中裕子の演技が雄弁にそれを語っていてる(或る意味映画からはみ出している)。特に、原作でもハイライトである亡夫の墓参りを兼ねたウォーキングのエピソードが白眉。幻となって現れた東出昌大扮する夫と手を繋いで歩く時の田中裕子演じる桃子さんの表情と独白とが素晴らしい。⑦色々とくさしましたが、歳を経て観るたびに感想が変わってくる映画である(大概の良い映画はそうですが)ことは間違いないでしょう。