「片翼の天使は永遠に歌い続ける。 バズ・ラーマンの『エルヴィス』が描くこと。」エルヴィス 高橋直樹さんの映画レビュー(感想・評価)
片翼の天使は永遠に歌い続ける。 バズ・ラーマンの『エルヴィス』が描くこと。
★このレビューはネタバレ満載です。そのため、未だ作品をご覧になっていない方は、作品をご鑑賞の上でご一読ください。
脚がない鳥がいるって知っているか。彼らは陸に降りることなく空を飛び続けるんだ。眠りたくなったら羽根を広げて風に乗って休む。そして、地上に降りる時は…
バズ・ラーマンの『エルヴィス』は、若くして見出された天才シンガー、エルヴィス・プレスリーを描く意欲作だ。
冒頭に登場するのは、冴えないカントリー歌手のマネージャー、トム・パーカー=自称パーカー大佐。見世物小屋上がりのこの男は、客を喜ばせる秘訣を知っていた。目にしたものに驚き、どうしたら良いのかと自分を持て余してしまう時がチャンスだ。そんな体験をもたらす“見世物”にこそ人は金を払うのだと断言するこの人物は、常にその狡猾な視点の先に、自分を太らせてくれる獲物が現れるのを待ち続けている。そんな類の男だ。
家の事情でテネシー州メンフィスの黒人が暮らす地域の白人居住区に引っ越すことになった13歳の少年は、ある日、黒人たちが歌い奏でる音楽に魅了される。リズム&ブルース、ゴスペル、時にはジャズ。故郷から離れ、虐げられた毎日と郷愁、神への祈り、そして愛を歌う彼らの音楽は、少年の身体に染み込んでいく。足繁くゴスペルショーに通い、いつしか顔パスで迎えられるようになった。
青年に成長した彼の初めてのレコードは、瞬く間に人々の心を掴んだ。黒っぽい音楽だと誰もが感じるが、このR&Bを歌っているのは白人青年だった。レコードは飛ぶように売れ、ラジオは彼の曲を流し続ける。
大佐が目にしたのは、ギターを抱え、腰をくねらせて歌うエルヴィスだった。女性観客たちは、自分が目にしている存在に釘付けになり、歌声にシビれ、身体の動きに感応した。そんな自分に驚きながらも、いつしか立ち上がり、やがて絶叫する。その様は、まさに自分を持て余す体験をした姿そのもの。
その時、エルヴィスはまだ電気会社のトラックドライバーとして働く、ただの青年だった。
1956年3月26日…運命を決めたその日、男はカントリー歌手との関係を絶ち、未来が約束された青年と契約を結ぶ。一攫千金となる全米No.1レーベルRCAとの契約をちらつかせ、エルヴィス・プレスリー・エンタープライズ=家族の会社を作り、警戒する両親をねじ伏せる。この時、したたかな強者との関係が、死がふたりを分かつまで続くことになるとは、誰も予想すらしなかった。
世界に羽ばたける特別な才能を持った青年の願いは素朴なことだった。母を笑顔にしたい。ピンクのキャデラックと大きな屋敷を贈り、自分が歌うことで家族を支えたい。素朴な願いと疑うことを知らない無垢な心は、成功に伴う契約という呪縛の罠が待っていることに気づくことはない。
片翼は才能を活かして歌うエルヴィス、もう一方で最高のステージを用意する大佐。この日からふたりは一対の関係で結ばれた“一羽の鳥”となったのだ。
『エルヴィス』は、人生のターニングポイントとなる3つの曲と、42歳でこの世を去る直前にラスベガスのステージで歌うエルヴィス本人の熱唱、4つの名演を軸に構成されている。
第一は、パーカー大佐が見つめる先で、家族に見送られてステージに立つ瞬間だ。
バズ・ラーマンは、その瞬間に向けて複数の思い(思惑)の動きを重ねて周到に劇的な時の訪れを待つ。ステージに立った青年がギターをつま弾き、声を発する。まだだ。しばしの間があり、“That’s All Right, Mama”が始まると、ピンクのスーツを着た青年は突如とてして誰もが知るエルヴィスへと姿を変える。
第二は、白人至上主義=黒人排他派の政治家に目をつけられ、警察の監視下に置かれた状況下、黒人音楽を、腰を振りながら歌うことを禁止されたエルヴィスが、自分の音楽とパフォーマンスを貫くことを決意するチャリティコンサートのステージだ。
理不尽な政治の圧力によって、ただ息子の幸福だけを願った母の身体は蝕まれ、永遠の別れを迎える。
腰を振ったら即逮捕される。失意のエルヴィスに友人のB.B.キングは「君は白人だから大丈夫」だろう、とエールを贈る。
大いなる逡巡の後、時は満ちる。警察が用意した監視用カメラが据えられた先で、アドリブで行くと告げたエルヴィスは、自分を重ねるかのように“Trouble”を歌い始める。全身を震わせ、腰をくねらせて歌うことは、母を弔い本来の自分を貫くことだから。だが、ファンのために歌ったエルヴィスの行動は社会の規範を乱すと判断され、政治の思惑によって陸軍に徴兵され2年間の西ドイツ駐留を命じられる。
第三は、音楽を通じてアメリカが抱える闇と対峙したエルヴィスの歌と決意が胸に迫るパフォーマンスだ。
ほとぼりを冷ます兵役に応じた後、最愛の人プリシラと出会い帰国したエルヴィスは映画出演を続ける。『理由なき反抗』の台詞を全て覚えるほど憧れるジェームス・ディーンが目標だ。1960年から69年に年間に3本、27本もの映画出演を余儀なくされたのは、強欲な大佐が結んだ契約のためだった。だが、映画は泣かず飛ばず。
映画がダメなら次はテレビで稼ぐ。家族や仲間(取り巻き)を養うために高額でNBCのクリスマスショーに出演を続けた。赤い衣装でクリスマスソングを歌うのだ。
自分などもはやないも同然…。自失の念に苛まれていたエルヴィスを覚醒させたのは、ロバート・ケネディ暗殺の報だった。訃報を受けた彼は、キング牧師が世を去った時には発することが叶わなかったステートメントを歌に込め、徹夜で完成させた“If I Can Dream”を歌う。ステージにはサンタガールではなくゴスペルシンガーたちが招かれていた。まさに劇的、奇跡の復活を遂げた瞬間だ!
エルヴィスが世に出た1950年代から、人種差別廃絶を願う公民権活動が活発になっていく。1968年4月4日、活動の中心的存在であったキング牧師が凶弾に倒れる。同年6月6日、ロバート・ケネディが撃たれたという報を受けて、沈黙を守り続けてきたエルヴィスが覚醒する。クリスマスソングを放棄し「夢を叶えて」と歌った。それは暴力に対するノンであり、人種差別に対するノンであり、理不尽に人権を踏みにじる政治や権力に対するノンである。
黒人が歌っていると思われたほどR&Bを身体に宿したエルヴィスは、人種の垣根を越えて、融和主義のシンボルでもあったことは歴史が証明している。特別なステートメントを決して発することがなかった理由は、この曲に耳を傾ければ氷解することだろう。
そして、ラストはラスヴェガスでの圧巻のステージ。もはや自力では立って歌うことが難しくなったプレスリーは、付添人にマイクを持たせると、ピアノを叩くように弾き、全身から絞り出すように“Unchained Melody”を歌う。薬によって浮腫んだ顔からは汗が噴き出す。だが、その声は驚きのグルーヴを生み出し、瞬く間に観客を熱狂の渦へと導いていく。
待っていてほしい。愛しい女性への想いを胸に、残酷な時の流れと、安らぎの家に帰りたいと願うこの歌は、孤独に震えるエルヴィスの姿に重なり、言葉にできないエモーションを呼び起こし、胸を締めつける。
「俺は徴兵されてドイツに行っただけで外国を訪れたことがない」…これは劇中、エルヴィスがポツリと漏らす言葉だ。世界に羽ばたける特別な才能を持った青年は、全世界を駆け巡る自家用機を準備し、愛娘の名にちなんでリサ・マリー号と名づけていた。だが、オランダからの密入国者だったとされるパーカー大佐は、再入国拒否を恐れて自分が同行できない国外での公演を許すことはなかった。
ビートルズも、ストーンズも、世界を代表する錚々たるミュージシュンたちが神と崇め、大きな敬意を贈ったエルヴィスが、ライヴ活動においてはドメスティックな存在だったことは残念でならない。
また、狡猾なマネージャーが必要以上に重要視した警備によって、周りには常に自称用心棒のマフィアたちが取り巻き、知らぬ間にお金が消えていくことになった。もうひとつ、悪名高き主治医のニック医師は、朝には覚醒を呼び、夜には惰眠を導く薬の処方を続けた。(※マイケル・ジャクソンやブライアン・ウィルソンら、悪辣な医師による健康を度外視した処方例はその後も続いている。)
心を開き、友をねぎらい、愛を歌う。天才の素朴な願いは、残酷な時の流れに苛まれ、エルヴィスの孤独を深刻化させた。そんな中でも、生涯愛し続けたプリシラは常に親友だった。離婚後もしばしば彼の元を訪れていた彼女は、最後の日もエルヴィスと一緒だったという。
脚がない鳥がいることを知っているか。彼らは陸に降りることなく空を飛び続けるんだ。眠りたくなったら羽根を広げて風に乗って休む。(つまり飛び続けるのだ) そして、地上に降りる時は…。
天才エルヴィスと狡猾な勝負師パーカー大佐は、良くも悪くもふたりでひとつ、玉石混交、清濁が交ざり合った一羽の鳥だった。世界中のどこへでも飛んでいける。彼の前には無限の可能性が広がっていたはずなのに…。悪名高き大佐との関係を絶ち得なかったエルヴィスとは、片翼を奪われた天使だったのかも知れない。
それでも、エルヴィスは永遠に歌い続ける。すべての垣根を越える音楽という特別な羽根を広げ、世界中の人々の心に輝きを灯すために!