「ダークな雰囲気に酔いしれる」THE BATMAN ザ・バットマン ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
ダークな雰囲気に酔いしれる
ティム・バートン版、クリストファー・ノーラン版等、これまで何度も映像化されてきたが、これほどダークで陰鬱なトーンが徹底された「バットマン」は無かったのではないだろうか。
今作のブルース・ウェインはひたすら内省的である。遺された大邸宅に引きこもりながら、両親を殺害された復讐だけを生きがいに、夜な夜な街に出て悪人たちを成敗して回っている。戦う意味を自問自動するヒーローは、これまでに無かったわけではないが、ここまで悶々と内に閉じこもる主人公もそうそうない。
今回のヴィラン、リドラーは、そんなバットマンの心の弱さに付け込み挑戦状を叩きつけてくる。権力者を次々と殺害しながら、バットマンに”世界はウソにまみれている…”といったメッセージカードを残して彼の正義を惑わしていくのだ。ブルースは自分の正義がこのウソの上に成り立っている”欺瞞”であることをやがて知っていくことになるのだが、その心情を察すると実に気の毒に思えた。
クリストファー・ノーランの「ダークナイト」では、バットマンは宿敵ジョーカーの策に陥り自らの戦いに疑問を感じながら、やがて予想だにしない結末へと向かっていった。それと今回の話は似ている部分があると思った。
リドラーもジョーカー同様、バットマンに心理的な圧迫をかけて正義の脆さ、危うさを啓蒙する。信じていた正義はいとも簡単に裏切られ、一体何を信じていいのか分からないこの状況。自分がしていることは本当に正解なのか?単なる自己満足に過ぎないのではないか?そんな葛藤がバットマンの戦う姿には常に付きまとう。
相手が肉体的な暴力で向かってくるのであれば容易に対応もできようが、リドラーは中々尻尾を出さない上に、バットマン=ブルースの生い立ちや家庭事情のことを知り尽くしており、心理戦でジワジワと追い詰めてくる。これはジョーカー以上に質が悪い。
このように今回のヴィランのキャラクタリゼーションは大変特異であるため、映画の作りもアクションで見せるというよりも、ミステリー仕立てで引っ張っていく構成になっている。そして、これこそが本作の最大のチャームポイントとなっている。例えるなら探偵小説を読むような、そんな感覚で楽しめる作品だと言える。
物語もかなり綿密に構成されていて感心させられた。原作でもお馴染みのキャラクター、ペンギンやキャットウーマンも登場して物語は複雑に展開されていくが、夫々のピースが有機的に結びついていくあたりが中々心憎い。それをバットマンは、リドラーが残した一つ一つのメッセージを頼りに解き明かしていくわけだが、この語り口は正に探偵小説のソレである。そこにグイグイと引き込まれた。
監督は名作「猿の惑星」の前日弾となる新・三部作を見事に完結させたマット・リーヴス。新・三部作でもマット・リーヴスは猿たちの英雄シーザーの戦いを通して、種族の繁栄と没落、融和と対立を重厚的に描いて見せた経歴を持っている。単なるアクション映画を超えた神話的深みを持ったサーガに仕立てた手腕は見事であり、その素養は本作でも確認できる。氏は本作では脚本も共同で手掛けており、勧善懲悪なヒーロー映画という枠組みを超えて、善と悪の相克という普遍的なドラマを紡ごうとしているように感じられた。
ビジュアル面では特にこれといった際立った特徴は見られないが、とにかくダークな世界観を地道に突き詰めるという志向が伺えた。雨が降り注ぐ薄暗い夜が延々と続き、ブルースの悲しみを表しているかのようだった。
アクション的な大きな見せ場は、中盤のカーチェイスシーンとクライマックスの銃撃戦である。特に中盤のカーチェイスの迫力に圧倒された。
一方で、観てて気になったことが1点だけある。幾つかのシーンで同じシチュエーションが反復されるのだが、それが悉く同じ撮り方で変化に乏しいことが残念だった。
例えば、バットマンとゴードン警部補が密会するのは決まってビルの屋上なのだが、これらのシーンは常に同じ構図、同じ方向からの撮影で物足りなく感じた。後で分かったが、実はこの屋上のシーンはロケーションを利用せず全てセットで撮影されたということである。
あるいは、ブルースは事件に関係するナイトクラブに何度か訪れるのだが、その際のガードマンとのやり取りも冗漫である。ここは省略しても良かったように思った。
本作は3時間弱という大作である。確かに長すぎるという意見もあろうが、こうした所をカットしていけば更に引き締まった映画になったかもしれない。
とはいえ、この長尺が退屈かと言えばそういうわけではなく、このサスペンスフルな語り口は従来のアクション優位なヒーロー映画と一線を画しており、個人的には新鮮に楽しむことが出来た。間違いなく今回の「バットマン」はこれまでになかった意欲作のように思う。