マトリックス レザレクションズのレビュー・感想・評価
全153件中、1~20件目を表示
革命を起こしたカリスマ的な映画 → クスッとする娯楽映画へ
3部作との違いを感じたのは下記の2点。
・アクションやCGシーンに昔ほどのインパクトを感じない。
・なんだかしらないが笑ける。
前者は時代でしょうね。こういの増えたからもうそんじょそこらじゃ驚かない。
後者は、なんだかキアヌがパロディに見えて仕方がないのよ。「ぼっちキアヌ」とかあれからネタにもなったこともあって、真剣な顔していても何か狙っているように見えてしまう(笑) 実際に飛ぼうとして飛べないズッコケシーンもあったし。制作陣も分かってるわー。
3つの意外な展開あり。
・スミスと共闘
・マシンと共闘
・空飛ぶのは?
昔の敵とタッグを組むというのは続編物でよくある展開だが、3つ目は意外だった。
思わず「ほほ〜なるほど〜」。これは新鮮だった。
トリニティはさすがに歳は隠せない。でもスタイル凄い。かっこいい。
キアヌは救世主ということを周りが知っていて大事に扱われることと、その風貌が相まって
「お供の人を引き連れて歩くイエス」のようだった。
3部作を凌ぐ革命を期待したが、娯楽の方にいっちゃったのが残念ではある。
まあ、でも娯楽らしく楽しめた。
『マトリックス』のすべてを捉え直す必然性と切実さ。
ツッコミどころは多々あれど、「今更?」感を払拭してみせるだけの意外性と、これを作らずにはいられない(語らずにはいられない)という作り手の気持ちが詰まっていて、どうしてもヘンな映画では切り捨てられない切実さがある。
トランスジェンダーをカミングアウトし、性転換したラナ監督の気持ちを推し量ることなど自分にはできないが、それでも映画から感じられるのは『マトリックス』三部作をサブカル的に消費した(おそらくラナ自身を含む)世の中への抗議であり、「白人男性が伝説の救世主になる」というクリシェへの異議申し立てだったと思う。
とはいえ、クライマックスのゾンビパニック感などは、たとえすごい皮肉であったとしても、劇中でやり玉にあげていたビデオゲームに作品が取り込まれてしまってはいないかと思ってしまうし、いくら作られた世界に生きていたとはいえティファニーと家族の関係性はずさんに描かれてはいないか。
結果的に『ドント・ルック・アップ』に似た社会風刺ものになっているのは、時代と向き合った必然なのだろうが、『ドント・ルック・アップ』ほどに鋭くはない。でも、気持ちがこもっていて、なんだか『マトリックス』のすべてが愛らしく感じられました。
あと愛、愛な。さすがに無邪気だとは思うけど、愛を信じる気持ちはウォシャウスキー、ブレてない。
「BULLET TIME」オレだけの時間だぜ。 20年ぶりのリユニオンは、まさかのラブ&ポップ路線!?
ディストピアと化した現実世界と「マトリックス」と呼ばれる仮想世界、その2つを舞台に繰り広げられる人間と機械の戦いを描いたSFアクション『マトリックス』シリーズの第4作。
精神に不調を抱える著名なゲームデザイナーのトーマス・アンダーソンは、「ワーナー・ブラザース」から自身が20年前に制作した歴史的ゲーム「マトリックス」トリロジーの続編を作るよう強要される。
意志に反した作品を作る事や、若いスタッフが銘々に考える自分勝手な「マトリックス」像に強いストレスを覚えたアンダーソンは、次第に妄想と現実の境目がわからなくなってゆくのだが…。
◯キャスト
トーマス・アンダーソン/ネオ…キアヌ・リーヴス。
アンダーソンの同僚、グウィンを演じるのは『アダムス・ファミリー』シリーズや『バッファロー’66』のクリスティナ・リッチ。
誇張抜きで世界を変えた伝説的トリロジー『マトリックス』(1999-2003)。その完結から18年、まさか続編が作られるとは!
死んだじゃん!ネオもトリニティーも死んだじゃん!!
製作費1億9,000万ドルに対し、全世界興行収入は1億6,000万ドル程度。コロナ禍明けというタイミングの悪さ、そしてストリーミングサービス「HBO Max」での同時公開という逆風はあったが、それにしてもこの大コケっぷりというのはちょっと信じられない。
『リローデッド』(2003)公開の時にエージェントのコスプレをしてアキバとかを練り歩いてた奴らはちゃんと本作も観たんだろうなぁっ!!
興行収入の低さに加え、批評的にも賛否は真っ二つ。コレはやばいかも…と恐る恐る鑑賞してみたのだが、いや面白いじゃん!
確かに方向性は変わったが、全然オリジナル・トリロジーと比べても遜色のない出来。本作のおかげで『レボリューションズ』(2003)の残尿感も払拭されたし、これは作って大正解だったと思います👍
監督/脚本はウォシャウスキー姉妹の姉、ラナ・ウォシャウスキーのみ。ともに映画を制作してきた妹リリー・ウォシャウスキーは不参加となっている。
キャストはキアヌ・リーヴス、キャリー=アン・モス、ナイオビを演じたジェイダ・ピンケット・スミス、メロヴィンジアンを演じたランベール・ウィルソンがカムバック。残念ながらローレンス・フィッシュバーンとヒューゴ・ウィーヴィングは不参加なのだが、モーフィアスとスミスに関しては違和感のない形でキャスト変更が行われているのでその点において不満はない。…まぁ彼らが引き続き出演していればもっとお祭り感は増していただろうけど、そこは仕方ない。
リリーの不参加、そしてキャストの加齢も相まって、アクション面に関しては確かに弱くなった。常軌を逸したバイクアクションや機械軍団との大戦争を期待すると肩透かしを喰らう事になるだろう。
でも、本作で重要なのはそこじゃあないんです。こういうン十年ぶりの新作もので大事なのは、いかに製作陣が作品を楽しみながら作っているか、そしてそれが観客に伝わるかどうかなのだと思っています。
その点において言えば、本作はまぁ正直かつのびのびと撮られており、観ていて気持ちが良い✨
「世紀末から20年も経ってるのに、今更人類の滅亡もクソもないだろう。それよりも身近な人を愛そうぜ!」というラナ監督の声が聞こえてくるような、まさかの正統派ラブストーリー。過去作にあった窮屈な悲壮感は見事に消え失せ、敵も含めて誰1人として死なないというスカッと明るいポップさには少々驚くも、人類ももう十分戦ったんだからこのくらい緩い感じだって良いよねぇ、と納得出来る物語に仕上がっている。
救世主として生きざるを得なかったネオとトリニティーへのご褒美のような作品で、鑑賞しながらつい頬が緩んでしまった。
冒頭からまさかのどストレートなメタネタ。「ワーナーからマトリックスの続編作れって言われちゃってさ〜。もうまいちっんぐ!」という立場に追いやられるアンダーソンはまさにラナ監督そのもの。おそらく、これまでに何度もこういう要求がワーナーから下されていたのだろう。
その鬱憤を晴らすがの如く作中でぶっちゃけるという、『マトリックス』じゃないと許されないような反則技から映画が始まるというのがまず面白い。アンダーソンの上司という役割を知らずのうちに押し付けられていたスミスの机上に、あのぶん殴られシーンを模った銅像が置いてあるというのがまた爆笑ポイントなのですっ🤣
本作を観て思うのは、つくづく『マトリックス』はウォシャウスキーズの個人的な物語だったんだな、という事。
世界的な名声を得ながらも仕事のストレスで鬱になる中年アンダーソン/ネオがラナ監督のアバターであるのは一目瞭然として、満たされた生活を送りながらもどこかに違和感を覚える女性ティファニー/トリニティーもまた監督の分身である事が作品から窺える。
一見熟年カップルものにも見えるが、本作はむしろネオとトリニティーという2つに分裂した監督のゴーストを1つに再結合するための儀礼だったのかも知れない。だからこそクライマックスで、ネオではなくトリニティーに飛行能力が宿ったのだろう。
本作によりようやく、ラナ監督は『マトリックス』のマチズモを葬り、本来のセクシャリティであるフェミニニティーを作品に反映させる事が出来たのではないだろうか。この作品が持つ明るさは、そんな彼女の晴れやかな心情がフィルムに表れているからなのかも知れない。
アクション的には弱くなったものの、映像的な面白みは今作にも多分に含まれている。特に、ネオのバレットタイムにバレットタイムで対抗するという「ザ・ワールド」ッ!時よ止まれ!な展開は『ジョジョ』みたいで最高✨こういう印象的なザ・マトリックスなシーンがひとつでもありゃ、それはもう勝ちよ勝ち。
ラナ監督もキアヌもキャリーも、みんな楽しそう。観ているこっちも幸せになる良い同窓会だったと思います。
本作の終わり方をみる限り、流石にこれでもうシリーズは完結したのだろうと思っていたのだが、どうやら水面下では新たなプロジェクトが動き出している様子。
多分ネオとトリニティーの物語ではないのだろうが、モーフィアスver.2をはじめとする新キャラたちは魅力的だし、彼らを主人公にして新救世主伝説を語り直すというのは全然アリだと思う。その際には是非、スミス役としてヒューゴ・ウィーヴィングにカムバックをお願いしたい🙇
夢とは思えない夢を見た
当時、映画館で観ました🎬
期待していましたが、いまいちよくわかりませんでしたね😅
前作で死んだはずのトリニティがなぜ生きてるかも理解できませんでした😥
ネオと彼女がいまだマトリックスに囚われていた、というところまではわかったのですが…。
モーフィアスとエージェントスミスが違う俳優さんになったのは知ってましたが、私には違和感が拭えませんでした😔
今回の黒幕的なアナリストも、何がしたかったのかよくわからず。
そして殺されても死なない…あれも仮想現実なのでしょうか❓
ネオとトリニティが本来の力を取り戻してEndな感じでしたが、やはりこの物語は3部作で描ききったという側面が強いですね🤔
再びマトリックスの世界が動きだす
マトリックス公開から20年以上が経ち、なぜ新たに続編を作る気になったのだろう。
私は、映画鑑賞からは長らく遠のいていたので約20年ぶりにキアヌの顔を拝見する。
変わらないといえば変わらないが、目元に年齢を感じる。同窓会で30年ぶりに顔を見る同級生の気分だ。
腹が出ている訳でもなく、白髪もないが、あの頃の輝きは半減したかな、とノスタルジーに浸ってしまった。
さて本編はというと、親しみやすい顔の青髪の女性の登場にこれから物語がどう展開していくのか、ワクワクさせられた。
テレビで複数回に分けて見たが、もし映画館で見ていたら、意味わからんすぎて、苦行でしかないだろう。話が複雑すぎて言語化しようとすると頭が混乱してしまう。
過去の映像をプレイバックしたり、マトリックスとは?とみんなで語り合ったりする場面が印象的。
人間の世界は様変わりし、アイオという新しい都市が生まれ、人口の空ができ、苺を栽培し、人間に友好的な機械が登場し、変わりすぎて浦島太郎状態だ。
トリニティを救出した後の怒涛のアクションシーンからはあまり興味が持てず、人間爆弾が降ってくるシーンは正直引いた。
ネオは救世主とはならず、トリニティがここでは救世主となりネオを救う。
マトリックス世代にはある程度評価されるが、若い世代には、ワケわからんかも。
マトリックス見事復活!!!
今から25年前、私が初めて買ったDVDソフトは1作目の『マトリックス』でした。映画館で観て当時では考えられないほどクールでスタイリッシュな映像とストーリーに心踊らされ、買ったばかりのPlayStation2で何度も繰り返し観たのを昨日のことのように思い出します。当然『リローデッド』『レボリューションズ』も買っていますが、1作目のインパクトは衝撃的で視聴リピート回数もダントツです。愛車ではMDに落としたマリリン・マンソンの『Rock Is Dead』をエンドレスリピートしてました。
まさかここへ来て続編が作られるとは夢にも思わず、しかも監督がウォシャウスキー名義でファーストネームが女性名だったので、てっきり3部作の監督ウォシャウスキー兄弟の娘さんとかかなあと思い、勝手にエモさと時代の流れを感じていたところ、まさかの性別適合手術を受けた同一人物であることを知りいろいろビックリすると同時に、期待と不安が入り混じっていましたが、私的には3部作同様十分満足し楽しめました。
旧3作の映像がちょいちょい挟まれることに賛否両論あるようですが、私は当時を思い返す上でちょうど良いと思えたし、ネオもトリニティーもその映像と比べるとさすがに年齢を感じはしますが、とは言えストーリーやアクションを邪魔するほどの「老い」ではなく、同世代を生きた証として美しく歳を重ねられて羨ましくさえ感じます。
今回から新しく加わったキャラクターも皆魅力的でしたが、皆さんも書かれている通りモーフィアスとエージェント・スミスはぜひオリジナルキャストに演じて欲しかったと残念に思います。
それとエンドロール後のデウス・マキナ社員達の『キャットリックス』のくだり…これいるかな?観終わって満足した後、完全に蛇足に思えて萎えるなあ…と。
この2点によりマイナス0.5させていただきましたが、トータルで満足度の高い作品です。
当時の3作品のDVDを引っ張り出して、ぜひ観返したいなと強く思いました。
inevitableだったように思える4作目
改めて三部作を丁寧に鑑賞してみてから、本作を観てみると…今作は過小評価されているようだが、三部作のシナリオをよく踏まえた上で、十分に必然性のある筋書きになっているし、三部作で平和のために犠牲になって命を落としたはずのネオとトリニティには三部作の結末を覆すような悲劇的ではない後日談となっており、ある意味では2人に幸せなラストを迎えさせたいという願望を叶えたかったのかも…なんて思ったりもするが、今作のこの終幕が自分にはとても心地良く幸せな気持ちになったし、願望に基づく筋書きだとしても「これがいい!」と強く思ったことは否定できない。何故なら、三部作に伴っていた痛烈な痛みをまるで癒すためかのような、回復のための物語になっているからだ(これもまた過酷な筋書きで、決して安易なものにはなっていない。回復のプロセスは痛みを伴うということを避けていない)。
三部作を台無しにしたとのレビューもちらほら目にするが、今作を踏まえると、三部作はヒーロー達が犠牲になって平和になりました、以上終了!という風に終わったように見えてくるのが不思議だ。これを覆えして、その先のネオとトリニティの物語を想像させるかのような心地よい余韻を響かせる4作目のラストの方が、この物語の締め括りとしてむしろより望ましいものになった気がする。2人の人生はまだ続いていくのだ…それが困難な道であっても。
この4作目に至って、マトリックス・シリーズがより一層優れたサーガになったと私は思っている。
ラナ・ウォシャウスキーの心の整理
メタ構造を採用したのはおもしろかった。これは、前三部作に熱狂的なファンがついているからこそ効果があるのだと思う。ただ、ちゃんと復習していないとよくわからない部分もあったと思う。
メタ構造にしたのは、両親と親友を亡くしたラナ・ウォシャウスキー自身が自分自身を冷静に見つめなおす必要があったからかもしれない。自分の分身のようなマトリックスシリーズを俯瞰・分解して再構築することで、自分自身を取り戻すための作業だったのではないだろうか。
物語の冒頭、ネオは「トーマス・アンダーソン」に戻っていて、デウスマキナ(機械仕掛けの神の意)という会社につとめている。
1999年からはじまったマトリックストリロジーはゲームだった、ということになっている。
そのゲームを作ったのが、アンダーソンなのだ。そして、エージェント・スミスがアンダーソンの上司(?)になっている。
スミスが、ワーナーブラザーズからトリロジーの続編を作るという話が来ているとアンダーソンに伝える。ここでスミスは「我々は違った名前と違った顔で同じ物語を語り続けるのだ」という。
本作「レザレクションズ」もそういう物語になっている。
ネオはトリロジーで敵を倒したが、それはゲームの中の話で、現実の人間はまだポットの中で生きている。そして、トリロジーと同様に、現実の世界から、仲間がアンダーソンを連れ戻しに来る。そして、アンダーソンは自分がネオである自分に気づく。
そして、機械との戦いがはじまる。
本作をわかりにくくしているのは、前作から続投しているキャラクターを違う俳優が演じているところだろう。スミスの言う「違った名前と違った顔」ではなく、「同じ名前と違った顔」になってしまっているので、演出上の目的があってそうなっているのか、ギャラやスケジュールの問題で出演していないのかわからないのだ。エージェント・スミスとモーフィアスは同じ俳優のほうがよかったと思う。
マトリックスといえばバレットタイム。作中でも「新しいバレットタイムが必要だ」というセリフがある。残念ながら新しいバレットタイムはなかった。トリロジーの時は革新的な映像表現だと騒がれたが、20年経って、映像表現は進歩した。そして、それを越える表現は今回は提示されなかった。
20年の歳月で観客も変わった。
オリジナルのトリロジーを観た観客は記憶との照合をしたことだろう。
新しい観客は、本作をどう評価したのだろう。
われらは、新たなマトリックスの中にいる
初回は、レビューを見て、評価が二つに分かれていたので様子見していたところ、YouTubeのツッチさんやたてはまさん等のレビューを見て、映画館で見ることにしました。マトリックス三部作は、自分が一番凄いと思っている映画です。
マトリックス三部作は、AIやPC的な視点から世界の更新という見方も面白いし、東洋哲学的な視点からも、国際政治的な視点から見ても面白いですね。電力不足による人間とマシンシティの争いは、エネルギー(石油や天然ガス等)不足による争いと置き換えられるし。前の三部作では、因果や論理でアーキテクトされていた世界が、レザレクションでは、感情、恐怖、不安で精神科医に設計しなおされていたのがより現代的に感じた。現在の世界が恐怖と不安による選択になってきているし。今回、バレットタイムは控えめになって、黒猫と共に時間を自由に操れるということができるようになっていた。今作、ラナ・ウォシャウスキー監督が、両親が他界して、悲しみを紛らわすためと、映画会社から続編を作るように迫られ、自身が作らなければ他の者に作らせると言われて、作らせられたというのが内情らしい。
本編の途中、マトリックスⅣのゲームを作成するという時に、周囲から様々な意見が投げかけられるシーンがあるが、その描き方から、マトリックスが、あくまでもゲーム(映画)の中の世界であって、現実との関係性はないような見解が示される。これら、周囲の人々振り回され、精神を病みがちでセラピーを受け、青いカプセル(真実に目を塞ぐ)を服用する元気がないネオと、マトリックス三部作後、元気がなかった監督がだぶって見えた。しかし、三部作後、世界は更に大きく変わり、イラクへの派兵、アフガニスタン侵攻、3.11が起こり、多国籍企業やGAFAが世界を席巻し、マスコミは完全に統制されるようになった。それが、新しいマトリックスを作る理由であったように思える。
マトリックスとは、人間から自由を奪い、役割を押し付け、刺激や欲望を煽り、恐怖や不安から利益を最大限にするために個人に降りかかってくる全てのシステムと監督がいっているように感じた。それから自由になり、男女や人間同士の愛のエネルギーをモチベーションにして、生きることこそが真実の生き方であり、覚醒することと言っているように自分は読み解いた。
ネオに、「自分は救世主なんかではない」と本作では言わせている。実際、ネオの力は、青い錠剤のせいか、飛翔する力はなくなっていた。また、救世主をサポートする仲間は、ゲーム等を通してネオを知った若い世代。彼らが活躍で、ネオとトリニティが再び力を取り戻すまでの過程は、普通の人々の力を借りないと、大きな目的に達することができないという暗喩のようだった。これらの流れから、マトリックスからこの世界が抜け出すためには、一般大衆により覚醒することを促しているようにも思える。スオームは、覚醒していない一般の群衆を表しているのだろう。それは、ネオとトリニティの覚醒のシーンにも見て取れた。世俗の関係やしがらみよりも、自分が真実と思うものを選択することの方が重要だと。
また、ネオやトランプ大統領など、特別な存在を崇めたりするのではなく、自分自身がマトリックスから自由になるため、何かに依存して生きるでのはなく、内的に価値を感じて生きることが重要なのだと言っているようにも感じた。最後の精神科医のセリフから、それらが透けて見えた。
東洋哲学では、クンダリーニ覚醒という覚醒が有名で、性的なエネルギーが極まって上昇し、チャクラを開かせることで、人間の能力や価値観が飛躍的に高まるという考え方がある。リリー・ウォシャウスキーもラナ・ウォシャウスキーも男性から女性に性転換をしたこと、今回、トリニティに覚醒をさせていること等からも、両性のエネルギーを如何にして統合するかが、人間に大きなパワーを与える鍵だと言っているようにも思えた。しかし、性転換は、普通であれば周りのすべてが反対し、誹謗、中傷されるだろう。終盤のスオームが襲ってきた部分は、監督が実体験で感じたことを映像化したのではないだろうか。
監督自身の周囲の狂騒も同時に描こうとしながら、コアなマトリックスファン層の応援の後押しも感じていたのだろう、皮肉、ユーモア、遊びが効いている。
最後、ゲームも映画も物語も死んだ。「メディアっていう物は、刺激と洗脳が全てなんだ。」ここに監督の最大の本音が詰まっている。その洗脳から逃れるための譬え話として、マトリックスという映画は存在している。
※補足 mRNAのコロナワクチンは、米の軍が開発した遺伝子操作による生物兵器であるとリークする動画があって、ネオが青い錠剤を服用しているので繋がってしまった。ネオが力を発揮できなくなった理由として描いているのかもしれない。現在の世界は、強欲な闇の勢力によって、完全にメディアが統制され、洗脳されていると思っている。それが「マトリックス」という映画の意図するところであろう。
続編を強制されて作ったけれど、わかる人にはわかるって映画かな。この映画のように、一般大衆も含めて覚醒・連帯して、支配者の恐怖による支配を見破ることを促しているようにも感じる映画であった。
セルフオマージュの末路
マトリックスシリーズ3部作が2003年に完結して実に18年ぶりの新作続編。
余程伝え残したことがあったのか斬新なストーリーを思いついたのか、これほどの年月を経て4作品目を製作するのは一体何事かと思い、ワクワクしながら蓋を開けてみれば何てことはない非常に残念な出来だった・・・。
おおまかなストーリーは、またもやネオとトリニティがマシンに捕らわれ「電池」となり、マトリックスを見せられ生かされているが、人類が二人を救出して、今度はネオだけでなくトリニティも覚醒してダブル救世主になったぜ!という流れ。
もう1作目のような「実は現実と思っていたものが仮想現実で実際の人類はただマシンの電池でしかないんだぜ!」という衝撃のギミックは使えないので、3部作からのストーリーを上手く継承しつつ、「今度はそんな新しい展開を用意するのか!」という視聴者の期待に応えるべきだったのに、やった事と言えば往年のキャストで1作目の展開をなぞっただけ。
こんな既視感に一体なんの意味があるというのか。
セルフオマージュというかセルフパクリを大々的に敢行しているので、製作者にも後ろめたさや恥ずかしさがあったのか、必死に「これはループ話なんだよ!だからあえて(パクリを)やってるんだよ!」と言い訳がましく1作目の映像を何度も何度もインサートするのは見ていて哀れとすら思った。
アクションにも目新しさはなく、1作目でやったことを随所で繰り返すだけであり、このアクションパートをねじ込みたいが故にピンチに陥る流れになっているんだろうなぁ(そして100%切り抜ける)というメタ的な視点で鑑賞しつつ、予定調和シーンがさっさと終わることを願いながら待っていた。
また、仮想現実マトリックスと現実世界の境界や行き来を必要以上に分かりづらくしていて、ここはもっと見やすくシンプルに出来るはずだし、とりあえず意味深で重厚で作りこんだ世界観を優先したいという作り手の欲を抑えきれなかった悪例である。もっと伝わりやすさに重きを置き、視聴者目線でものを作るべき。ただでさえ暗くて大人数が入り乱れるようなシーンや、動きが早すぎる上に目まぐるしくカットを切り替えていくシーンを多用しているわけだから、そちらを残したいのならば緩急というか静と動いうか見やすいシーンや理解しやすい構造は意図的に分けて用意しておくべきだろう。
あとは、言ってみれば「ただ助け出す」という話なだけなのに148分は長すぎる。
長すぎて非常に間延びし、しかも1作目とほとんど同じ構造というストーリーが重なって割と早い段階からエンドロールまでの視聴が苦行になっている。2時間以内に収めるべき。
良かった点としては、この作品に限らず多くの海外作品はちゃんと加齢によるカッコよさや深みを理解していて、邦画のように「若さこそ全て!」「若いって美しい!」という観点から安直にメインキャストを(大手事務所の)若者ばかりにしないところ。むしろ中高年男女こそ深みが出てカッコいいという価値観を大昔から当然のように持ち続けているので、キアヌ・リーブスやキャリー=アン・モスが実際に歳を取ったんならそれ相応にカッコよく描こうとするのは、そういう文化に乏しい日本人にとっては羨ましかった。この点で星プラス0.5個。
最後に一言で締めるならば、「なくて良かった作品」である。
ネオとトリニティーの人生の完結
今作はマトリックス自体ではなく、ネオとトリニティーの人生にスポットを当てた作品だなと思いました。
私は過去に頑張ってきた2人がどうにか生きて幸せになって欲しかったので、2人の人生の先を見られてとても嬉しかったです……!😂✨✨
蛇足という意見もちらほら見かけますが表題の通り、ネオとトリニティーの人生を描いた作品だと思うのでこれはこれでいいじゃん!と私は思いました👍
これまでの三部作は結局機械の思う通りにマトリックスがアップデートされたけど、今作では恐らくトリニティーがアップデートした?ような感じで終わっていたのもこれまでの機械主導の世界から変化した点かなと思います。
ほんとうに面白かったからもう1回初めからマトリックスシリーズ見たいなあ〜🥺💕
パラレルワールドだと思うことにした
マトリックスにまで多様性思想とかを持ち出さないで欲しかった
「女性の活躍」を表現する為か知らんけど、ネオとトリニティの役割を入れ替えてしまったから世界観がめちゃくちゃ!
トリニティは元々かっこよかったし、ネオを引っ張る強さもあった
ネオを弱体化させて救世主をトリニティに変更する必要って何だったんだろう
出てくるキャラは有色人種ばかりだし、あまりにも露骨で気分悪い
マトリックスは好きな作品なので続きを観られたのは嬉しい。 ただやっ...
マトリックスは好きな作品なので続きを観られたのは嬉しい。
ただやっぱり事情は色々あったみたいですがキャストがな…というのはありましたね。
特にスミスはこれまでの経緯もあるので物語の深みが違ってたんではないかと思います。
物語は、過去作を彷彿させるシーンもあって、この部分は良かったんですが、これまでとはテイストが違うコメディやホラーのような演出も入っていて私にはこっちはノイズに感じてしまいました。
ネオが力を取り戻し、レジェンドと崇める人達に圧倒的パワーを見せつけてくれるのかと思いきや、そうでもなくトリニティが救世主?だったりとちょっと消化不良。
楽しめたけど、ちょっと期待しすぎたのかもしれません。
2.9ファンメイド作品
ファンメイドな雰囲気の作品。
登場キャラもストーリーも復活したキアヌのファンで
無駄に長いが過去作のようなワクワク感はない。
これはただのファンブック。
グラサンのデザインとスミスがかっこよかった。
良かったけど
良かったけど、100%じゃないだろこれじゃ
スミス役が変わってるし、あのスミスが味方になる瞬間の興奮が違う役者だと全く違ってくる
あのシーンがマジでスミスだったら脳汁出まくってたのに…
なんでじゃ
でも、統失っぽい演出とかがエヴァっぽいし、前三作が押井なら今回は庵野って感じで新しいマトリックスだった
まぁ若モーフィアスもストーリー的にも悪くないけど、前の人が良かったなぁ
必要だったのか?
マトリックスといえば、銃弾をスローモーションに避けるシーン、黒服にサングラス、緑の2進数etc...
革新的な映画だったのでそれぞれこれが「マトリックス」だと思い浮かべるイメージも強いと思う。
この作品はここを期待するとほぼ裏切られる。ここが低評価に繋がっているようだ。さらには一作目の「マトリックス」というものをメタ的にみてあざ笑っているのもそれに繋がっているのかなと。個人的には、面白くないことはないが続編必要でしたかと‥
墓から掘り起こすにはそれなりの理由、意義がほしいと思ってるので。アクションシーンのとり方とかも、変えてその先にらしさなどが消えて没個性になってしまった感が否めない。
20年は…
間隔開けすぎ。ほぼ話を覚えておらず、ネットで前作の解説見ながら鑑賞。前作も哲学的な要素が多く複雑だったがそれ以上に映像の凄さ、世界観がそれを上回り、社会的ブームになっていたと記憶している。キアヌの仰け反りは名シーンだったと思う。ところが今作の映像は目新しさ、斬新さが感じられず、キアヌのアクションも手から波動のようなものを出すことに終始し、これぞという格好良さ、工夫が感じられなかった。やっぱりグラサン掛けて、マント着て、バンバン撃ちまくり、避けまくるという前作は上回れない。内容が複雑なだけにせめて目で楽しませてほしかった。愛の物語ということなのだが、やはり間隔を開けすぎて、その感動が伝わってこなかったし、前作からの登場人物スミスやモーフィアスもよく分からなかった。何でスミスは助けたのかという素朴な疑問が残る。スターウォーズのように時代とともに人種や性別の多様性は意識しているが、一人ひとりのキャラ設定が薄いのでこちらも伝わらず、残念だった。今に始まったことではないが、個人的には後頭部や身体の一部にあるコードの接続部分がどうも気持ち悪い。
2020年代のありふれたTVシリーズのような感じ!!
別の世界線の話かと思いきや、45分で実は続編でしたとなって上手かったです。マトリックスの特徴である無機質でスタイリッシュな感じは薄く、キャラと台詞も多く洗練されていない印象です。お金のかかった過去作のような、印象に残るバトルシーンもありません。キアヌは髭を剃り短髪にして頑張りましたが、モーフィアスとスミスも普通に登場するのに若いキャストになり、全く似ていないです。新規お断りですが、1~4と続けて観ても、TVシリーズのようになってしまい本作は微妙に感じると思います。監督はスピリチュアルに傾倒したり、性別を変えたり変わった方ですが、本作は過去に観たようなシーンばかりで変わり映えはせず、思いっきり過去に生きている方だと分かり辛いです。2021年に続編を作ったという以外に意味は無い産廃だと思います。本編は全く冴えないのに、前半のゲーム会社の描写は妙にノリノリで気持ち悪いです。2022年の超絶アニメ「サイバーパンク:エッジランナーズ」の爪の垢等を大量に煎じて飲ませたいです。
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