マトリックス レザレクションズのレビュー・感想・評価
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後日譚?
ストーリーとしては、まとまっていて悪くないと思います。
しかし、あの三部作の後としては、物足りなくてインパクトが少ないです。
過去の映像が出てくるのは、思い出しながらの人にとってはありがたく、嬉しい反面、単なる総集編的な後日譚を見せられている感じがしました。
新章というならわかりますが、単発だと作った意味や意図が多くの人に伝わらなかったでしょう。
マトリックスはやっぱり面白い
4作目です シリーズの生みの親ウォシャウスキー監督が再びメガホン📣をとっていて 主演もキアヌとキャリーアンモスなので安心して見れます 前3作は設定内容を理解して見終わりましたが 今作は新たな設定やフレーズが出てきてよくわかりません 現実の世界ではやはり培養されていたところから始まるわけですね やはりまだ機械に支配されているということです ただ良くわからない部分があっても関係なくマトリックスは面白いです 世界観特にアクションシーンは独特のものがあります ラストテロップが流れて最後にゲーム会社(トーマスアンダーソンがいた会社)の人々が話しています もしかしてこちらが現実? マトリックスは作品? 果たして
inevitableだったように思える4作目
改めて三部作を丁寧に鑑賞してみてから、本作を観てみると…今作は過小評価されているようだが、三部作のシナリオをよく踏まえた上で、十分に必然性のある筋書きになっているし、三部作で平和のために犠牲になって命を落としたはずのネオとトリニティには三部作の結末を覆すような悲劇的ではない後日談となっており、ある意味では2人に幸せなラストを迎えさせたいという願望を叶えたかったのかも…なんて思ったりもするが、今作のこの終幕が自分にはとても心地良く幸せな気持ちになったし、願望に基づく筋書きだとしても「これがいい!」と強く思ったことは否定できない。何故なら、三部作に伴っていた痛烈な痛みをまるで癒すためかのような、回復のための物語になっているからだ(これもまた過酷な筋書きで、決して安易なものにはなっていない。回復のプロセスは痛みを伴うということを避けていない)。
三部作を台無しにしたとのレビューもちらほら目にするが、今作を踏まえると、三部作はヒーロー達が犠牲になって平和になりました、以上終了!という風に終わったように見えてくるのが不思議だ。これを覆えして、その先のネオとトリニティの物語を想像させるかのような心地よい余韻を響かせる4作目のラストの方が、この物語の締め括りとしてむしろより望ましいものになった気がする。2人の人生はまだ続いていくのだ…それが困難な道であっても。
この4作目に至って、マトリックス・シリーズがより一層優れたサーガになったと私は思っている。
ラナ・ウォシャウスキーの心の整理
メタ構造を採用したのはおもしろかった。これは、前三部作に熱狂的なファンがついているからこそ効果があるのだと思う。ただ、ちゃんと復習していないとよくわからない部分もあったと思う。
メタ構造にしたのは、両親と親友を亡くしたラナ・ウォシャウスキー自身が自分自身を冷静に見つめなおす必要があったからかもしれない。自分の分身のようなマトリックスシリーズを俯瞰・分解して再構築することで、自分自身を取り戻すための作業だったのではないだろうか。
物語の冒頭、ネオは「トーマス・アンダーソン」に戻っていて、デウスマキナ(機械仕掛けの神の意)という会社につとめている。
1999年からはじまったマトリックストリロジーはゲームだった、ということになっている。
そのゲームを作ったのが、アンダーソンなのだ。そして、エージェント・スミスがアンダーソンの上司(?)になっている。
スミスが、ワーナーブラザーズからトリロジーの続編を作るという話が来ているとアンダーソンに伝える。ここでスミスは「我々は違った名前と違った顔で同じ物語を語り続けるのだ」という。
本作「レザレクションズ」もそういう物語になっている。
ネオはトリロジーで敵を倒したが、それはゲームの中の話で、現実の人間はまだポットの中で生きている。そして、トリロジーと同様に、現実の世界から、仲間がアンダーソンを連れ戻しに来る。そして、アンダーソンは自分がネオである自分に気づく。
そして、機械との戦いがはじまる。
本作をわかりにくくしているのは、前作から続投しているキャラクターを違う俳優が演じているところだろう。スミスの言う「違った名前と違った顔」ではなく、「同じ名前と違った顔」になってしまっているので、演出上の目的があってそうなっているのか、ギャラやスケジュールの問題で出演していないのかわからないのだ。エージェント・スミスとモーフィアスは同じ俳優のほうがよかったと思う。
マトリックスといえばバレットタイム。作中でも「新しいバレットタイムが必要だ」というセリフがある。残念ながら新しいバレットタイムはなかった。トリロジーの時は革新的な映像表現だと騒がれたが、20年経って、映像表現は進歩した。そして、それを越える表現は今回は提示されなかった。
20年の歳月で観客も変わった。
オリジナルのトリロジーを観た観客は記憶との照合をしたことだろう。
新しい観客は、本作をどう評価したのだろう。
お粗末
これまでの世界観が全て壊されてしまった超ゴミ作でした。マトリックス特有のスタイリッシュさは皆無で戦闘シーンはほぼカメハメ波なのでドキドキする緊張感も何も無い。過去作の使い回しやキャラの乱用、洒落たセリフも何も無い。これのどこがマトリックスなのだろうか。
映像の斬新さが売りだったのに全てが端折られてしまってはこの映画で何を楽しめばいいいでしょう?
挙句にラストのレイジまでコピーものでは評価のしようもない。そう、しょうもない。ほんまにしょうもない。これに尽きる。
われらは、新たなマトリックスの中にいる
初回は、レビューを見て、評価が二つに分かれていたので様子見していたところ、YouTubeのツッチさんやたてはまさん等のレビューを見て、映画館で見ることにしました。マトリックス三部作は、自分が一番凄いと思っている映画です。
マトリックス三部作は、AIやPC的な視点から世界の更新という見方も面白いし、東洋哲学的な視点からも、国際政治的な視点から見ても面白いですね。電力不足による人間とマシンシティの争いは、エネルギー(石油や天然ガス等)不足による争いと置き換えられるし。前の三部作では、因果や論理でアーキテクトされていた世界が、レザレクションでは、感情、恐怖、不安で精神科医に設計しなおされていたのがより現代的に感じた。現在の世界が恐怖と不安による選択になってきているし。今回、バレットタイムは控えめになって、黒猫と共に時間を自由に操れるということができるようになっていた。今作、ラナ・ウォシャウスキー監督が、両親が他界して、悲しみを紛らわすためと、映画会社から続編を作るように迫られ、自身が作らなければ他の者に作らせると言われて、作らせられたというのが内情らしい。
本編の途中、マトリックスⅣのゲームを作成するという時に、周囲から様々な意見が投げかけられるシーンがあるが、その描き方から、マトリックスが、あくまでもゲーム(映画)の中の世界であって、現実との関係性はないような見解が示される。これら、周囲の人々振り回され、精神を病みがちでセラピーを受け、青いカプセル(真実に目を塞ぐ)を服用する元気がないネオと、マトリックス三部作後、元気がなかった監督がだぶって見えた。しかし、三部作後、世界は更に大きく変わり、イラクへの派兵、アフガニスタン侵攻、3.11が起こり、多国籍企業やGAFAが世界を席巻し、マスコミは完全に統制されるようになった。それが、新しいマトリックスを作る理由であったように思える。
マトリックスとは、人間から自由を奪い、役割を押し付け、刺激や欲望を煽り、恐怖や不安から利益を最大限にするために個人に降りかかってくる全てのシステムと監督がいっているように感じた。それから自由になり、男女や人間同士の愛のエネルギーをモチベーションにして、生きることこそが真実の生き方であり、覚醒することと言っているように自分は読み解いた。
ネオに、「自分は救世主なんかではない」と本作では言わせている。実際、ネオの力は、青い錠剤のせいか、飛翔する力はなくなっていた。また、救世主をサポートする仲間は、ゲーム等を通してネオを知った若い世代。彼らが活躍で、ネオとトリニティが再び力を取り戻すまでの過程は、普通の人々の力を借りないと、大きな目的に達することができないという暗喩のようだった。これらの流れから、マトリックスからこの世界が抜け出すためには、一般大衆により覚醒することを促しているようにも思える。スオームは、覚醒していない一般の群衆を表しているのだろう。それは、ネオとトリニティの覚醒のシーンにも見て取れた。世俗の関係やしがらみよりも、自分が真実と思うものを選択することの方が重要だと。
また、ネオやトランプ大統領など、特別な存在を崇めたりするのではなく、自分自身がマトリックスから自由になるため、何かに依存して生きるでのはなく、内的に価値を感じて生きることが重要なのだと言っているようにも感じた。最後の精神科医のセリフから、それらが透けて見えた。
東洋哲学では、クンダリーニ覚醒という覚醒が有名で、性的なエネルギーが極まって上昇し、チャクラを開かせることで、人間の能力や価値観が飛躍的に高まるという考え方がある。リリー・ウォシャウスキーもラナ・ウォシャウスキーも男性から女性に性転換をしたこと、今回、トリニティに覚醒をさせていること等からも、両性のエネルギーを如何にして統合するかが、人間に大きなパワーを与える鍵だと言っているようにも思えた。しかし、性転換は、普通であれば周りのすべてが反対し、誹謗、中傷されるだろう。終盤のスオームが襲ってきた部分は、監督が実体験で感じたことを映像化したのではないだろうか。
監督自身の周囲の狂騒も同時に描こうとしながら、コアなマトリックスファン層の応援の後押しも感じていたのだろう、皮肉、ユーモア、遊びが効いている。
最後、ゲームも映画も物語も死んだ。「メディアっていう物は、刺激と洗脳が全てなんだ。」ここに監督の最大の本音が詰まっている。その洗脳から逃れるための譬え話として、マトリックスという映画は存在している。
※補足 mRNAのコロナワクチンは、米の軍が開発した遺伝子操作による生物兵器であるとリークする動画があって、ネオが青い錠剤を服用しているので繋がってしまった。ネオが力を発揮できなくなった理由として描いているのかもしれない。現在の世界は、強欲な闇の勢力によって、完全にメディアが統制され、洗脳されていると思っている。それが「マトリックス」という映画の意図するところであろう。
続編を強制されて作ったけれど、わかる人にはわかるって映画かな。この映画のように、一般大衆も含めて覚醒・連帯して、支配者の恐怖による支配を見破ることを促しているようにも感じる映画であった。
セルフオマージュの末路
マトリックスシリーズ3部作が2003年に完結して実に18年ぶりの新作続編。
余程伝え残したことがあったのか斬新なストーリーを思いついたのか、これほどの年月を経て4作品目を製作するのは一体何事かと思い、ワクワクしながら蓋を開けてみれば何てことはない非常に残念な出来だった・・・。
おおまかなストーリーは、またもやネオとトリニティがマシンに捕らわれ「電池」となり、マトリックスを見せられ生かされているが、人類が二人を救出して、今度はネオだけでなくトリニティも覚醒してダブル救世主になったぜ!という流れ。
もう1作目のような「実は現実と思っていたものが仮想現実で実際の人類はただマシンの電池でしかないんだぜ!」という衝撃のギミックは使えないので、3部作からのストーリーを上手く継承しつつ、「今度はそんな新しい展開を用意するのか!」という視聴者の期待に応えるべきだったのに、やった事と言えば往年のキャストで1作目の展開をなぞっただけ。
こんな既視感に一体なんの意味があるというのか。
セルフオマージュというかセルフパクリを大々的に敢行しているので、製作者にも後ろめたさや恥ずかしさがあったのか、必死に「これはループ話なんだよ!だからあえて(パクリを)やってるんだよ!」と言い訳がましく1作目の映像を何度も何度もインサートするのは見ていて哀れとすら思った。
アクションにも目新しさはなく、1作目でやったことを随所で繰り返すだけであり、このアクションパートをねじ込みたいが故にピンチに陥る流れになっているんだろうなぁ(そして100%切り抜ける)というメタ的な視点で鑑賞しつつ、予定調和シーンがさっさと終わることを願いながら待っていた。
また、仮想現実マトリックスと現実世界の境界や行き来を必要以上に分かりづらくしていて、ここはもっと見やすくシンプルに出来るはずだし、とりあえず意味深で重厚で作りこんだ世界観を優先したいという作り手の欲を抑えきれなかった悪例である。もっと伝わりやすさに重きを置き、視聴者目線でものを作るべき。ただでさえ暗くて大人数が入り乱れるようなシーンや、動きが早すぎる上に目まぐるしくカットを切り替えていくシーンを多用しているわけだから、そちらを残したいのならば緩急というか静と動いうか見やすいシーンや理解しやすい構造は意図的に分けて用意しておくべきだろう。
あとは、言ってみれば「ただ助け出す」という話なだけなのに148分は長すぎる。
長すぎて非常に間延びし、しかも1作目とほとんど同じ構造というストーリーが重なって割と早い段階からエンドロールまでの視聴が苦行になっている。2時間以内に収めるべき。
良かった点としては、この作品に限らず多くの海外作品はちゃんと加齢によるカッコよさや深みを理解していて、邦画のように「若さこそ全て!」「若いって美しい!」という観点から安直にメインキャストを(大手事務所の)若者ばかりにしないところ。むしろ中高年男女こそ深みが出てカッコいいという価値観を大昔から当然のように持ち続けているので、キアヌ・リーブスやキャリー=アン・モスが実際に歳を取ったんならそれ相応にカッコよく描こうとするのは、そういう文化に乏しい日本人にとっては羨ましかった。この点で星プラス0.5個。
最後に一言で締めるならば、「なくて良かった作品」である。
マトリックスシリーズで唯一の残念な作品かも…
元々マトリックスシリーズは、奥が深いというか難しいというか、解釈もそれぞれだろうし、それはそれで謎めいてて良かった。
だけど!今作品は…なんだかやたら説明が多くて難しそうな事言ってるようで、だけど、そんなに複雑じゃないというか…退屈なシーンが半分以上だった。
アクションシーンきた!!と思ったら、「え?こんな迫力なかったっけ??」スピード感もなく、あれれ??もっと後半になったら、覚醒して、リズム感良くなるのかな?と思ってたけど、そんなシーンもなく終わってしまった。
消化不良で、前作品を観直してしまった。
今までのシリーズの、世界観・圧巻のアクションシーン・緑な感じ!良かった。
何一つ、そうゆうことを、感じられなかった。残念。
ネオとトリニティーの人生の完結
今作はマトリックス自体ではなく、ネオとトリニティーの人生にスポットを当てた作品だなと思いました。
私は過去に頑張ってきた2人がどうにか生きて幸せになって欲しかったので、2人の人生の先を見られてとても嬉しかったです……!😂✨✨
蛇足という意見もちらほら見かけますが表題の通り、ネオとトリニティーの人生を描いた作品だと思うのでこれはこれでいいじゃん!と私は思いました👍
これまでの三部作は結局機械の思う通りにマトリックスがアップデートされたけど、今作では恐らくトリニティーがアップデートした?ような感じで終わっていたのもこれまでの機械主導の世界から変化した点かなと思います。
ほんとうに面白かったからもう1回初めからマトリックスシリーズ見たいなあ〜🥺💕
パラレルワールドだと思うことにした
マトリックスにまで多様性思想とかを持ち出さないで欲しかった
「女性の活躍」を表現する為か知らんけど、ネオとトリニティの役割を入れ替えてしまったから世界観がめちゃくちゃ!
トリニティは元々かっこよかったし、ネオを引っ張る強さもあった
ネオを弱体化させて救世主をトリニティに変更する必要って何だったんだろう
出てくるキャラは有色人種ばかりだし、あまりにも露骨で気分悪い
マトリックスは好きな作品なので続きを観られたのは嬉しい。 ただやっ...
マトリックスは好きな作品なので続きを観られたのは嬉しい。
ただやっぱり事情は色々あったみたいですがキャストがな…というのはありましたね。
特にスミスはこれまでの経緯もあるので物語の深みが違ってたんではないかと思います。
物語は、過去作を彷彿させるシーンもあって、この部分は良かったんですが、これまでとはテイストが違うコメディやホラーのような演出も入っていて私にはこっちはノイズに感じてしまいました。
ネオが力を取り戻し、レジェンドと崇める人達に圧倒的パワーを見せつけてくれるのかと思いきや、そうでもなくトリニティが救世主?だったりとちょっと消化不良。
楽しめたけど、ちょっと期待しすぎたのかもしれません。
2.9ファンメイド作品
ファンメイドな雰囲気の作品。
登場キャラもストーリーも復活したキアヌのファンで
無駄に長いが過去作のようなワクワク感はない。
これはただのファンブック。
グラサンのデザインとスミスがかっこよかった。
ネオはジジイになっちゃった。
拙もジジイになっちゃったんで
物語を理解するに相当エネルギーを消耗する。
なのでそこに時間を費やしていると
新しい領域に入るのに遅れが生じ
次の展開についていけない。
いろいろネタバレを読んで
あーこういう見方をしなあかんねんな。
それでも理解できないところはあるし
製作者はわからん奴はついて来んでもええで、なのか。
でもやっぱり観てるときに理解出来たらええし。
一緒に観た映画評論家(嘘です)は
ついていけた模様だが
万人が万人そうではないのだな。
てことで拙的に平凡に終わってしまった続編でした。
60点
TOHOシネマズ日比谷 20211222
パンフ購入
マトリックスという作品の捉え方で評価が変わる
マトリックスを映像表現の革新と捉えている人にとっては映像革新のない本作の評価は低いようだ。公開時海外では今更続編?という酷評も多かったときく。
作中でネオがマトリックスを三部作のゲームとして開発し成功させいまは別作品を作っているのだが、親会社が完結したマトリックスの続編を作るよう強要してくる。そのブレストシーンはまさに本作のブレストの様子だったのかもしれない。
しかし、マトリックスの根底に流れるテーマを評価している人にとって本作は十分に意味があり興味深い。マトリックス3の後に機械側にも人間側にも大小の変化が起きており、機械と人間の友情や共生への変化が描かれる。救世主の捉え方の変化も面白い。
欧米人が好きな機械とAIは悪という勧善懲悪でなくなった事も酷評に影響していそうだが、日本人には良い影響しかなくマトリクスのテーマを評価してるなら大変オススメです。
往年アイドルの歌謡ショー
劇場公開時には、焼き直し感の強いストーリーに対して、20年近く経ってから敢えて続編を作る必要はあるのかとの酷評が多く、見送っていた作品です。
今回、amazon prime videoにラインナップされたので、鑑賞してみることにしました。
冒頭シーンは1作目のまんまで、焼き直しというよりは撮り直しなのか?という一抹の不安を感じましたが、途中からはオリジナルのストーリーに移行したので安心しました。
この辺り、前作を観た人はクスッとするツボがいくつも仕掛けられていて楽しかったです。
トリロジーでが完結したはずにもかかわらず、実はやはりまだ囚われの身であった事がわかり、それを救出に向かうというストーリーですが、この辺り無理矢理感があって、酷評に繋がったのだと思います。
確かに、不要だとは言い切れないまでも、わざわざ20年近く経って、ハツラツとしていたキャラの年老いた姿を見せてまで、わざわざ制作する事が必要だったかと問われれば、微妙な気がします。
個人的には、トリロジーの様に先の読めないハラハラ感は殆ど感じず、終始冷めた感じでの鑑賞となりました。
トリロジーが忘れられないファンにとっては、どれだけ歳を取っても元キャストでの続編は歓迎なのかもしれませんが、そこまでではない自分にとっては、50代に差し掛かった往年アイドルの歌謡ショーを観ている様な、少し物悲しい気分になりました。
またボスキャラが、いかにもな雑魚ぶりで、ハラハラ感を感じなかったのもマイナスポイントでした。
このパターンを続けるのなら、何度でも、夢の中の夢というパターンで続編が作れてしまうので、今回限りにしておいた方が良いのではと思います。
タイムマシンが欲しい
ドルビーシネマで鑑賞。
タイトル通り、チケットを買う前の自分に言ってやりたい。
「観なくていい、いや、観ちゃダメだ!」って。
感想は山程あるけど、書いていると悲しく、虚しくなるだろうから、このくらいで。
鑑賞は自己責任で!
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