劇場公開日 2021年12月17日

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「復活したマトリックスは『フリー・ガイ』の世界と地続き?観客を置いてけぼりにするメタ構造の向こうに見える結末はかつて感じたカタルシスの進化形でした」マトリックス レザレクションズ よねさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0復活したマトリックスは『フリー・ガイ』の世界と地続き?観客を置いてけぼりにするメタ構造の向こうに見える結末はかつて感じたカタルシスの進化形でした

2021年12月17日
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鑑賞方法:映画館

サンフランシスコ在住のトーマス・アンダーソンは著名なゲームプログラマーだが、時折現実と妄想の区別がつかなくなり奇行を繰り返すようになったことからセラピストの元でカウンセリングと錠剤の処方を受けながら日常生活を送っていた。行きつけのカフェで時折見かける子供連れの主婦ティファニーに何となく惹かれていたトーマスは同僚のおせっかいをきっかけに話をするようになるがティファニーもまた初対面のはずのトーマスに以前から知り合いだったかのような錯覚を覚えていて・・・とここから下はほぼ独り言ですので全く読む必要なし。そもそも旧3部作ありきの作品なので3部作を鑑賞済の人はとにかく観るしかないです。逆に一つでも観てないのがあると全然面白くないので要注意です。

予告で物凄く気になっていたのは4作目ならではの斬新な映像というものがほとんどないことでしたがこれにはしっかり理由があって、それは“Resurrections”、すなわち“復活“だから。ゆえに日常のあらゆるところで既視感に襲われトーマスを困惑させる。“Resurrections”と複数形なのは様々な意味がそこに重ねられているからで、それは冒頭からエンドロールの端まで嫌というほど見せつけられます。“復活”とはいえバージョンアップが施されているので、同じようで同じでない。ゆえにモーフィアスも別人。そしてマトリックスに暮らす人々も仮想現実を生きる人間のアバターとは限らない。現実世界とマトリックスを行き来するのに電話ボックスも要らない。冒頭で突きつけられる赤いカプセルか青いカプセルかというお約束すらも途中で放置されます。新幹線の車体も見たことない形だし内装も下品。現実世界もまたかつての世界では考えられなかったものと共存している。とにかく見たことありそうでなさそうな違和感に観客も延々困惑させられる。そして一番困惑させられるのは本作が旧3部作をメタ構造として取り込んでいること。この辺りは『グレムリン2 新・種・誕・生』を観た時のような底意地の悪い置いてけぼり感をガッツリ味わいます。

そんなこんなで延々と首を捻りながら物語を追っているうちに本作が何を描こうとしているかが見えてきます。恐らくそれは監督であるラナ・ウォシャウスキー自身に起こったであろう葛藤と覚醒の物語。“現実か妄想か”、“自由意志か運命か“といった様々な二択をネオに迫るのが旧3部作でしたが、本作ではそこは全然肝ではない。それは当時のウォシャウスキー兄弟に突きつけられていた命題だったが、それについてもう答えを見い出してしまったのが今のウォシャウスキー姉妹だからではないか。それをマトリックスの世界に投影し総括しようとしたのが姉ラナであり、そんな振り返りに興味が持てなかったのが本作に不参加の妹リリーということではないか。そう考えると観る前から感じていた違和感と見ている最中に浴びせられた違和感全てに意味を感じることが出来て、1作目のラストに感じたカタルシスとほぼ同等のものを感じることが出来ました。そこは完全に狙っている効果でそこに被さる曲にも“復活”が滲んでいるので思わず膝を打つと思います。結論、観る前に感じていた不安は全部フェイク、3作目の不完全終止を完全に打ち消してくれる痛快な作品です。

当然本作はエンドロールの最後にもシャレが添えられていますのでそれを見届けるまでは席を立つのは厳禁。個人的には言われなきゃ分からないくらい別人になっているジェイダ・ピンケット・スミスやランベール・ウィルソンの再登場とかクリスティーナ・リッチの出演とか旧3部作でキアヌのスタントを演じた後『ジョン・ウィック』シリーズで監督として開花したチャド・スタエルスキーの出演とかもう楽しくてしょうがなかったですが、本作で大活躍する新キャラ、バッグスを演じたジェシカ・ヘンウィックにハートをブチ抜かれました。長澤まさみをボーイッシュにしたようなキュートさは今後注目されていくことでしょう。

と、ざっくり呟きましたが1回観ただけでは飲み込めない箇所も多々あるので、2回、3回繰り返して鑑賞するのが吉です。

よね