「今さら感タップリの2時間半」DUNE デューン 砂の惑星 osmtさんの映画レビュー(感想・評価)
今さら感タップリの2時間半
まあ、観る前から充分わかってはいたが、ホント今さら感タップリの2時間半であった。
ノーランが絶賛していた特撮以外は何の目的も無かったのだが、その特撮も言うほどでも無く。
そうなると、もうスペースオペラ特有のツッコミどころにも惰性で付き合うしかなく、もうプロレスの如くツッコミ自体がナンセンスなジャンルなのだと諦め、スルーして観ていたが、もう後半は久々にアクビ混じりの溜息の連続だった。
ハンス・ジマーの音楽も、いい加減もう聞き飽きたとスタッフ陣から誰も意見は出なかったのだろうか?
そもそも、この作品は、その舞台設定やストーリー展開からして、10話ほどの連続ドラマにでもしなきゃ無理な話だ。
後編があるにせよ、劇場版でストーリーを収めること自体が無理筋なのだ。
案の定、そもそもの基本設定が説明不足となって、まるで「当然みなさん原作を読んでるよね?」とでも言わんばかりにプロットを進めていた。
SF好きを除いて、殆どの人が「ベネ・ゲセリット」って何よ?と思ったに違いない。
遥か昔にスターウォーズやらナウシカを観てしまっている以上、今さら面白味を感じること自体も無理があるが、元ネタの真打登場として、敢えてやる以上は、やはり元ネタとしての最大の強みである独特の世界観の基本設定、これに関しては「ウチが元祖やねん!」とでも言わんばかりにオリジンを感じさせるような、しかも誰でも「なるほど」と理解できるような説明をわかりやすく上手く(説明臭くならないよう)織り込むべきだったのだが。
そこは、まさに脚本家の腕の見せ所でもあったのだが、3人揃っても文殊の知恵は出せなかったようだ。まあアノ3人じゃ無理か。
ただ実際、あの基本設定を上手く明瞭にわかりやすくストーリーテリングに反映(権謀術数も本格派プロットで)出来ていたとしても、原作に忠実なだけでは、娯楽映画としての斬新な面白味は欠けていたと思う。
そういう点では、ハイブリッドに黒澤明からのネタをスターウォーズに導入したルーカスという人は、本当にアイデアが冴えていたと思う。
まあ所詮、ヴィルヌーヴには過度な期待は酷というものだが、せめてキャメラは期待されていたとおり、ロジャー・ディーキンスにしておいてくれてたら、ベタな物語の方は思考停止しても、純粋に映像だけで堪能できたかもしれない。
後編の方を観る気は殆ど無いが、撮影をディーキンスが担当することになれば、ちょっとは気が変わるかもしれない。
とまあ、暇つぶしにしかならない映画であったが、シャーロット・ランプリングが健在だったのは嬉しかった。
それにしても「ベネ・ゲセリット」相当重要なのだが、神秘主義的な教育機関(超人的な救世主を生み出すため、権力者に取り入り、何世代にも渡って婚姻と遺伝も操ってきた)なのだと何故もっとわかり易くしなかったのか?
ランプリングの出番をもっと多くして、
この権謀術数な話も描いていれば、荒唐無稽なストーリーでも少しは原作独自のリアリティも出て、背景も随分とわかり易くなったはずだ。この手抜きは本当に有り得ない。
ポウルがフレメンに受け入れられたのも、本来の筋では、ベネ・ゲセリットが古くからアラキスに予言者伝説を伝えていたからだ。
というか、そもそもAIの反乱を鎮圧した後に人類が特異な精神世界(だからこそメランジなるスパイスが重要)によって作り上げたオルタナティブな文明(なぜか中世的)であることを説明しなかったのは本当に致命的だ。
AIが危険なテクノロジーだという背景を抜きにアノ世界観を描いてしまうなど、もう本当どうしようもない程バカな連中だ。
ヴィルヌーヴは『メッセージ』でも肝となるフェルマーの原理(別に難解でも無い)をバッサリと省略していたが、大衆向け娯楽映画として成立してしまえば、本来は重要な要素でもアッサリ省略して良いなど絶対に有り得ない。
特にSFという原作者の空想で構成された世界であれば尚更のことだ。
取捨選択のポイントが何処にあるのか?
まるでわかってない本当にダメな奴だ。
しかし、こんな映画に高評価なんて本当に悪い冗談にしか思えない。
日本の映画メディアもどうかしてるが、辛口サイトらしいRotten Tomatoesが、10点満点中8点って… カレー屋で甘々のケーキなんぞ、ホントどうかしてる!