「ああ、これは子どもの頃に観て、楽しかったスピルバーグ映画の系譜だよ!」魔女がいっぱい しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
ああ、これは子どもの頃に観て、楽しかったスピルバーグ映画の系譜だよ!
スピルバーグ監督の「ET」、スピルバーグ製作の「グーニーズ」、そしてスピルバーグ総指揮、ゼメキス監督の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など。
10代のころ楽しんだ、一連のスピルバーグの息のかかった映画を思い出しながら観た。
ラスト近く、3匹(人)が家の中でジェットコースターで遊ぶ場面を思い出されたい。
このシーンは「後日譚」のようなもので、本編のストーリーとは関係がない。
おそらく「事件の後、3匹(人)が楽しく暮らしているということを表現する必要ある」ということから生まれたシークエンスだと思うのだが。
ゼメキスは、たった、それだけのために、こんなに遊び心に溢れたガジェット満載のシーンを作ったのだ。
そうだよ。
これが「あの頃」のスピルバーグの息のかかった映画の味わい。
電柱から盗電して動かす、という、ハイテクなんだかローテクなんだが分からない「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のタイムマシンもそう。「大人のクリエイティビティをもって、子どもの願望を叶えた」とでも言い得るようなものを見せてくれるのだ。
ストーリーは、魔女の魔法でネズミにされた少年が、おばあちゃん(オクタヴィア・スペンサー)と一緒に大魔女と戦う話。
彼らは、魔女に目を付けられた孫を、魔女から遠ざけるために海辺のリゾートホテルに逃れてきた。
ところがそこに、大魔女(アン・ハサウェイ)と魔女の集団が現れる。彼らは何より嫌いな子どもたちを秘薬を使ってネズミに変えてしまおうと企んでいた。
本作では、魔女は恐ろしい容姿を化粧や服で隠し、若くきれいな人間の女性として人間社会に紛れて生活している、という設定だ。
例えば、髪の毛はなくスキンヘッド、手は鉤爪で、足の指がない、など。それをカツラや手袋などで隠しているのだ。
主人公の少年がのぞき見ている前で、魔女が次々と正体を表していくシーンが最高。アン・ハサウェイがノリノリの怪演を見せるのだ。
演出も大袈裟で笑える。魔女が歩けば、ドンドンと派手な足音がするし、怒って家具を投げれば粉々に壊れる。
あの透明感溢れる美人のアン・ハサウェイが鼻の穴を膨らまし、口が耳まで裂け、巻き舌でドスのきいた声で話すさまは本作の見どころの1つだろう。
魔女の存在は邪悪としか言いようがないのだが、主人公たちは知恵を絞って、魔女たちを出し抜いていくのが痛快。このあたりは児童文学を原作とする作品らしさが表れている。
ラスト、少年は人間に戻れない。ネズミのままなのである。拍子抜けしたが、勉強やしつけに追い立てられる人間の子どもより、この方が気楽かも知れない。そういう、ひねりの効いたオチは、原作者ロアルド・ダールらしくもある。
まったくの余談だが、オクタヴィア・スペンサーが「約ネバ」の予告で観た渡辺直美に見えて仕方ない。
騒動に右往左往するだけのストリンガー3世なる、もったいぶった名前のホテル支配人(スタンリー・トゥッチ)のコメディリリーフも、いいアクセント。
前半の魔女は怖い。主人公の少年が商店で魔女に出会ったシーン、おばあちゃんの親友がニワトリにされたシークエンスなど、子どもなら震える。
それを示してから、さらに、その上にいる大魔女を登場させ、観る者に恐れを抱かせた上で、彼らをやっつけていく。
よく出来た脚本、テンポも良く、ハラハラドキドキし、ときに笑いながら、主人公と魔女退治を味わえる。
子どもと安心して観られる良作である。