「夫婦愛」死霊館 悪魔のせいなら、無罪。 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
夫婦愛
英語圏だけだがShudderというVODがある。
(2022年現在、米/英/カナダ/アイルランド/オーストラリア/ニュージーランド)
簡単に言うとホラー/スリラー専門のNetflix。
2020年、Anything for JacksonというShudderオリジナル映画が公開された。
その映画のローカライゼーション(日本への配信/メディア化)のタイミングが本作と重なったため、Anything for Jacksonは「悪魔館 死霊のせいなら、有罪。」と命名された。
ちなみに本作とAnything for Jacksonとは版元、製作者、出演者、すべて関係がない。
いまさら言うまでもないがわが国において外国映画の邦題は伝統的に権利を買い取った配給元の遊び場になっている。
わたしたち日本人には、つまらない日本映画にむかつく試練に加えて、なめくさった邦題にむかつく試練も課せられている──わけ。
せっかくなので並べてみよう。
死霊館 悪魔のせいなら、無罪。
悪魔館 死霊のせいなら、有罪。
閑話休題。
ウィリアム・フリードキンがエクソシストをつくったのは今(2022)から50年前の1973年。以来数知れない「エクソシストもの」がつくられたが、輿論として、まっとうな「エクソシストもの」は、ウィリアム・フリードキンのエクソシストだけだ。
この位相は「ゾンビもの」と違う。
「ゾンビもの」は枝分かれや変異によって、ナイトオブ~(1968)から発展したのに対し「エクソシストもの」は、あばれる憑依者と聖水を浴びせる神父が出てくる、一定の雛形をもった「エクソシストもの」だけ、なのだった。
すなわち「エクソシストもの」に亜種は生まれなかった。且つ、ほとんどがB級や凡作の宿命を背負っていた。
とはいえ本作のように見ごたえある「エクソシストもの」もある。その玉石の定義を考えてみた。
「エクソシストもの」で凡庸を抜け出すポイントは①悪魔憑きに科学的な根拠を与えることと②予算と③女だ。(と思う。)
エクソシストは世紀の傑作だが、白眉は、罵声やゲロを吐き、首が回転するリンダブレアだろう。本作のばあいは見えてしまう女ロレイン(ヴェラ・ファーミガ)である。いずれにしても③女が魅力を牽引する。
「ゾンビもの」を回すのはアイデアだが「エクソシストもの」を回すのは②予算。このことは「ゾンビもの」と違って、低予算の「エクソシストもの」がすべて埋もれることでせつめいがつく。
本編の主要素は悪魔憑きを法廷で認めさせようとすること。実話をベースにしている。だからロレインとエドは①科学的な根拠をあつめる。リアリティと言い換えてもいいが「エクソシストもの」でうそくさい──は通用しない。
①②③に加え、この映画には「愛は勝つ」の要素もあった。
ペンダントのピルケースに夫の薬をしのばせておいたロレインにグッときたぜ。
いずれにしても旧弊な素材(エクソシスト)を見ごたえたっぷりの映画にしていることに感心した。
エピローグでヴァンモリソンのBrand New Dayが流れて、和める。いい映画だった。
なお邦題によってむりやり姉妹品にされた「悪魔館 死霊のせいなら、有罪。」も、ひと工夫あるホラー映画でした。