モロッコ、彼女たちの朝のレビュー・感想・評価
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アブラの娘の名前がワルダ。「ママの好きな歌手名前よ」
やはり、女性の監督作品。奥深いお話。
アブラの娘の名前がワルダ。
アブラが聴くのを避けるが
「ワルダ・アルジャザイリア」と言うモロッコの国民的歌手の歌。
そして、彼女が産んだのが「アダム」言うまでもなく、男の子。
そして、人の起源。そして、この映画の原題。しかし。。
凄いなこの感受性。頭が下がる。
サミアが授乳する場面。小津安二郎監督の影響が伺える。男の小津安二郎監督が撮りたかったが撮れなかった映像に感じた。
僕は傑作だと思う。
追記
サミアとアブラとの愛も感じる。パン粉を一緒に練る姿は「ゴースト」をリスペクト?
追追記
フェルメールの絵様だとは思えない。
寧ろ、アルジェリアのアルジェの光が閉ざされた白い壁が迷路の様に入り組んでいる。カサブランカよりもペペ・ル・モコの望郷とかアルジェの戦いをリスペクトしていると感じる。それと、小津安二郎監督でしょう。
望郷の監督は彼女と同郷の様だ。(間違い)
ネタバレその1
「ママお願いだから、空を飛ばせて。
いいえ、愛する我が子よ
あなたはまだ子供だもの
まだ、この巣の中にいて、
いつか大きくなったら
空を飛べば良い
空を飛べば良い
鳥たちと一緒に」
ネタバレその2
巣立ちって事は親から離れる事。
サメザメと泣くサミアと大きな声で泣くアダム。
翌朝彼女はこの地を去る。
すごい事気付いた。けど、我が解釈。「エキセントリックな曲解すな!」って言われて、フォロー解かれそうなので辞める。
アルバは心を開かせてもらった。
モロッコの監督の映画が日本の映画館で上映されたことは稀かもしれない。私はいくつかみているが、映画館ではなく、配信で見ている。
町の様子を見ても、ブルカやヒジャブに代表されるようなベールを被っている人はそれほど多くない。しかし、宗教も人々の心に中に慣習として住んでいて、悪習だから変えなければと言う力強い動きはなく、その慣習の中で自分一人で戦う(?)しかいないとみえる社会であるような気がする。それに、隣国のアルジェリアやチュニジアと違って、認識不足かもしれないが、モロッコ革命なんて聞いたこともない。あくまでも私感。この土地の人じゃない人が公共のパン焼きの釜を使うことですら、民衆の『噂の的』になるようで、アルバ(ルブナ・アザバル)もその社会の中で生きているから、『ここで産んで、出ていけ』としか言いようがない。サミアを家でここまで面倒を見てあげたが、これ以上は、つまり、アダムとサミア(ニスリン・エラディ)をずうっとおくことはパン屋に客が寄り付かず、村八分になるようなことのようだ。未婚で、子を身籠るのは罪であり、ご法度の世界のようである。
アルバは夫の不慮の死により、死んでも亡骸にも合わせてもらえないモスリムの伝統的な習慣から、夫と共に愛した曲を聴くことにも心を閉ざして、頑なになってしまった。まるで、一生弔いをしているようである。そこで、アルバの心を開いたのが、サミアの存在である。まず、見知らぬ妊婦サミアに情けをかけてあげることができるようになる。アルバは人の気持ちを考えることより、娘に勉強したかを確認するだけで、娘との会話も温かさが感じられないようになってしまっていた。サミアはアルバの思い出の曲のカセットを無理に聴かせて、アルバを泣かせる。 夫を愛していたころの気持ちが蘇ってくる。アミアの治療法の次はパンの生地を一緒にこねて性的感覚を蘇えさせる。このことによって、もっと愛に関してポジティブになっていって、心を開けていく。心も体も考え方も娘とも防御一本だったけど、サミアを助けたことにより、感情のある人間に戻っていく。ここが圧巻だった。
監督の伴侶であるナビル・アユチの映画の方が有名で、『モロッコ・彼女たちの朝・アダム』の監督はRazzia(原題)(2017年製作の映画)に出演していたので知っていた。『Mesemen』『Rziza(クレープ)』と言うペストリーを覚えておこう。
She's Leaving Home (After she found her LIFE)
夫を事故で亡くし満足に別れを告げる事も出来なかった女は、以降、頑なに心を閉ざし娘だけを見て生きている。
子供を授かりながらも、自分自身は生きる希望を持てないが故に、出産後はすぐに養子に出してしまう事を決めている女。
自分自身の問題に、自分自身では気づかない。と言うより、治せない。
他人のことなら良く分かるし、どうすべきであるかも、言ってあげられる。
人生の、ほんの一時、二人の日々が交差することによって、各々が生き方を変えると言う物語。
実は、前日、「屋敷オンナ」を見たっばかりだったんですよ。二日続けて妊婦さんのお腹を見てしまってですね。いやぁ、親と生まれる環境次第で、これだけ違う映画になるんか。と言うか。これが、親ガチャか(そういう話ではありません)。
結構、淡々としてて良かった。
このタッチ、結構好きです。
後から思い起こすことの多い作品
行く末を観客の想像にゆだねる感じのエンディング。
見終わって1日経ちますが
その後サミアはどうするのだろう
アダムはどうなったのだろう
アブラはサミアたちを探すんだろうかなど
描かれていないことを
あれこれ考えてしまう映画です。
(日本に比べてさらに)
女性の権利が認められていないことの多い国で
女だけで生きていくことがどれ程大変かということが
日々の生活で痛いほど身に染みて分かっているアブラだからこそ
サミアのことを放っておけなかったのだと思います。
でも、その出会いのおかげで
互いに得ることが大きかった。
サミアはアブラのように我が子を守って強く生きていく勇気を得たし
アブラは夫の死の喪失感から解き放たれ
人生を楽しもうとする気持ちを再び持つことが出来た。
ただ、生まれて間もない首のすわらない赤ちゃんを
縦抱きにしている演技には違和感を感じて
現実に引き戻されてしまいました。
よって、3.5となりました。
アダム、よかったね
どんなに強い女性でも、自分のことになると、冷静にはなれないんだろうな。
周りの人の観察や、人の心の痛みには敏感なのに、自分は心を閉ざすんだ。
いや、閉ざした訳じゃない。聞く耳を持たなかった人に、諦めてしまったのかもしれない。
素直に助けを求めたくても、それを許さない社会に阻まれてしまう。
それでも、彼女の器用さが、彼女を助けてくれた。こともの頃に教わった、祖母からの贈り物が。
それにしてもなんという暴露療法。
喪が終えていない心に、しっかり寄り添って、本人の力を引き出す強さ。
覚悟がなければできないこと。
言葉も短く、説明もないまま日常が進んでいくけれど、日常のカケラから見えてくる心の機微の描写が秀逸。
この映画が、アダムによってつくられたのでは?と、それからの2人に思いを馳せる余韻が心地よい映画です!
今年の記憶に残る一本になるでしょう
早くから観ようと思ってはいましたが上映時刻が合わない等の理由で今日になってしまいました。
・監督のマリヤム・トゥザニの表現力に感心しました。主人公の女性二人を戦わせます。あ互いに、逃げてどうするのだという激励の応酬です。言葉が過剰でなく、最小限にして足りないところは表情で補います。素晴らしい演技ですが、当然監督の要求に応えてのことです。特にパン屋の主人を演じるルブナ・アザバルがいいですね。先ほど書きましたが表情が言葉以上のものを語っているんです。
・男社会のなかで生きることの大変さを表現しているのですが、泣き寝入りせず、希望をもって少しずつでも前向きに生きようとさせます。程度の差こそあれ、同じような境遇にいる人たちへの励ましのメッセージであり、見ぬふりをしている男たちへの批判的メッセージでもあります。
・赤ちゃんは可愛いですね。赤ちゃんは何の演技もしませんが、何分カメラを回しても飽きません。アダムと名付けますが、希望の象徴ですね。
・ナイフとフォークを何度も何度も並べなおす場面があります。既存の規律や制度を表しているのでしょう。従順にしたがって生きることを暗黙のうちに強要されている社会的現実を表現していることは容易に理解できます。
・最後は、出産したもう一人の主人公がパン屋の母子を残してひっそり去っていく場面で終わります。エンディングはどうなるのだろうかと考えていましたが、ある意味、あっけない終わり方です。この監督は厳しいなあと思いました。答えを与えてくれません。ここから先は観た人が自分で考えなさいよということでしょう。
いったい、いつの時代? 懐かしいラジカセと まさかの洗濯板! パン...
いったい、いつの時代?
懐かしいラジカセと
まさかの洗濯板!
パンが主食だから共同釜があるんですね
何気ない普通の生活の様子を
興味深く鑑賞
終盤、サミアの生まれたばかりの
我が子に対する葛藤のシーンは
苦しくて胸が熱くなった
別れる決心が揺らぐから
初めは触れることさえ避けていたけれど
赤ちゃんの泣き声にたまらなくなり
母子の至福の時を受け入れる
さて、この先の彼女の決断は?
やはり、子どもの幸せを願って養子に出したのか?
生活を楽しむ
外国どころか、隣の県でさえ行けない今日この頃、遥か彼方のモロッコの街を見られたのが、うれしい。あーどこかへ旅したいっ。
臨月の妊婦サウラが、荷物一つ持って、街を歩く。泊まるところと仕事を探しまわる。でも、みんな冷たい。誰も彼女を顧みない。お腹の子供がどうなっても、誰も何も感じないのだろうか。一体、彼女はどれくらいさまよっていたのか、すごい不安だっただろうな。この物語は今より少し前の時代かな、と思うが、どうなのだろう。できたらモロッコの社会が、もっと柔らかくなっていて欲しい。
未亡人アブラは感情を抑えて生きている。娘のワルダを「きちんと」育てることと、仕事をこなすことだけで、自分のことは後回し。好きだった歌手の曲も聴かない。楽しむことを禁じているみたい。
そんな2人が互いに助け合い、影響しあう。サウラは生来、音楽を聴いたり、踊ったり、着飾ったりするのが好きそう。パンをおいしく作ろうとか、ワルダとじゃれあったりとか、生活を楽しもうとしている感じ。今は身重なのが枷ではあるが、産んで身軽になれば、何とかなると考えている。規制の強い世の中で、自分にとっても、こどもにとっても、養子に出して、別れて暮らすのがベストだと自分に言い聞かせている。
そして、とうとうお腹の中が空になる日が来た。十月十日育ててきた、生身の赤ん坊がサウラの目の前に現れた。産む前はクールでいられたのに、急に動揺してしまう。顔を見ない、抱かない、乳をあげない、がんばって抵抗する。ここで、もしかして赤ん坊を殺しちゃうんじゃ、と不安になった。でも、やっぱり母性が勝った。よかった。そして、子供に名前をつけて、未婚の母として生きる覚悟をしたんだろう。サウラとアダムの未来に幸あれ。きっと楽しいこと、たくさんあるよ。
アブラも笑顔が出るようになり、化粧したり髪型変えたり、柔らかくなった。これからは人生を前向きに楽しめると思う。こちらも良かった。
作中で作られるパンがすごくおいしそう。バターや油をたくさん使っているので、カロリー高いだろうが、おいしさは間違いないんじゃ? あの細くよってくるくる巻いて、少し押しつぶして焼くパン、食べてみたいな。
【"いつか、素晴らしい朝が彼女達に訪れますように・・。"男性優位のイスラム教国で、二人の女性がお互いに支え合い、必死に生きる姿を描いた作品。】
ー 今作は、日本で劇場公開される初のモロッコ映画だそうである。
男性優位のイスラム教国で生きる女性達の姿と、豊かな生活文化が描かれており、メディアからは伝えられないモロッコ女性の優しさ、逞しさ、抱える悲しみに耐える姿が印象的な作品だ。ー
□北アフリカ、モロッコの最大都市カサブランカが舞台。
旧市街を彷徨う、訳アリ妊婦のサミアを寡婦のアブラが渋々、自宅に招き入れる。
モロッコでは、未婚の母は認められておらず、匿った人間も罰せられる虞が有るにも関わらず・・。
アブラは小さなパン屋を女手一つで営み、幼き娘ワルダと暮らしていたが、サミアが”お礼に・・”と作ったパン、ルジザ(モロッコの伝統的なパンケーキ)が思わぬ評判を取る。
サミアはアブラ親娘と交流を深め、到頭、出産の日が訪れる・・。
◆感想
・サミアの働かせて欲しいという懇願をアブラは素っ気なく断るが、身重のサミアが店の前で眠る姿を観て、一晩だけ、と家に招くシーン。
- 実は、心優しい女性ナンだね。-
・アブラの表情には終始、笑顔がない。上記の社会構造が原因かと、思っていたが・・。
- サミアに対し、
"夫が事故で亡くなった際に、触れる事も匂いを嗅ぐ事も出来なかった。"
と、涙を流すアブラの姿。モロッコの冠婚葬祭の決まりなのかなあ・・。-
・サミアと明るいワルダは直ぐに打ち解け、サミアが作るルジザが人気で店は繁盛する。アブラも久しぶりにアイラインを引き、服装も華やかになる。
- 悲しき出来事を忘れた訳ではないが、少しずつでも、前を向いて行かないとね。-
・そんな中、サミアは出産。だが、名前も付けず、涙を流すサミア。
"自分と一緒だと、この子は幸せになれない。養子に出す。"
- モロッコの社会規範が伺える。産まれて来た子には、罪はないのに。-
・だが、幼子の可愛らしい顔を見て、サミアの心は徐々に変化して行く。
乳を飲ませ、小さな手、足の指を愛おしそうに触る姿。
ー 母が苦労して産んだ幼子に乳を与える姿は、とても美しいものである、と私は思っている。ー
<モロッコに於ける女性の地位は、国際社会の中では低いのであろう。
だが、何時の日にか、サミアとアダムと名付けられた幼子とアブラとワルダが笑顔で再会して、皆で美味しいパンを朝食で食べる姿を見たいなあ、と思った作品。
淡い光や、陰影により、サミアとアブラの心情を表現したかのような映像も印象的な作品である。>
アイラインの引き方
旅行に行けない昨今、異国情緒たっぷりの映画は心の栄養剤だと思う。
舞台は日本から遠く離れたモロッコ。昔リッチな知り合いがモロッコにハマって足繁く通っておりました。それは素敵な所らしい。私のイメージでは宗教色が強い?ヘナ、迷路、クスクス…そんな程度の知識で鑑賞しました。
近年、随分変わってきましたが、日本でも未婚の母は白い目で見られます。ただ、日本はどちらかというと無宗教の人が多く、授かった命は大切にしなければ、という思いが強い様に感じます。しかし、モロッコでは生まれてきた子供まで白い目で見られる…幸せになれないんですね。
そんな事情があり、美容師の職も追われ、途方にくれていた身重のサミアを、美しいけど仏頂面のアブラが救います。
アブラは事故で突然夫を亡くし、自分を楽しい事から遠ざけて生きています。一人娘のワルダも常に厳しく躾ています。
初めは一晩だけと云っていたが…
人懐っこい性格のサミア、巧く取り入るという訳ではないのですが、手間のかかるパンを焼いたりして段々打ち解けてきます。
お祭りの日、普段は素っぴんのアブラがお化粧をします。爪楊枝のようなモノにインク状の液体を付け、閉じた眼の際をなぞると、自動的に上下にアイラインが引ける…素晴らしい、驚きました。
そして、ついにサミアが出産します。
情が移るのが嫌なのか、最初は抱きもしないサミア。でもやっぱり母性が押さえられない。抱っこすれば可愛いし、オッパイもあげます。しかし、朝になれば別れなくてはいけないかもしれない。
結末はハッキリ描かれてないので、観た人に委ねられています。
たんたんとした日常…それが物凄く美しい。夜の暗い通りから眺める家の灯りや、朝、洗濯物を干す屋上とか…とても素敵でした。
二人の強い女性に幸あれ、です。
キム・ジヨン、あのこは貴族、燃ゆる女の肖像…。惹き込まれた人はどうぞ
すごく官能的で肉惑的。性描写など一切ないのに。
音楽が殆どないのと、赤ちゃんはじめ役者たちの息遣いがそのまま録音されているからか。
パン屋の女主人アブラは娘に対しても厳しい教師のように接する。決して笑わない。
ふくよかで子供に優しくどこか妖艶な妊婦サミアがアブラとは対照的に描かれている。
パン作りの時、アブラが床に生地を叩きつけるようにしていたのを見て、若いサミアがアブラの手を握り、もっと優しくするのよ…と一緒に手を握り生地をこねながら、語りかける。そのうちアブラの手も優しくなる。
アブラが髭の男から誘われている。
冷たくし、無視を決め込んでいた彼女も、サミアから言われてある日自分のセミヌードを鏡に写してみる。
まだ女として自分に魅力があるかどうか点検する。
翌日彼女はきちんとメイクしてオシャレして店に立つ。
その変化に同性のサミアはすぐに気づいて微笑む。
アブラの急死した夫。葬儀の儀式のため、妻が哀しむことすら出来ない風習。
最愛の人にサヨナラの挨拶もできず、死を悼めなかった彼女は夫の死や男性に対し、ココロを固く閉ざしていた。
お祭のさなか、通りで女達が喧嘩していた。それを見たサミアやアブラ、髭の彼らが楽しそうに笑った。アブラの笑顔を初めて見る。
アブラの一人娘、ワルダも無邪気で可愛らしい。
この作品。家の中も街なかも柔らかい暖色系の光を使っている。太陽の陽光も優しい。
だからなのか、風景や人がとても美しく映える。
ラスト、彼女は赤ちゃんを殺めようとするが、諦める。
母親は赤ちゃんの未来を考えて、やはりあの選択しか無かったんだろうか。
『アダム』…映画の題名。
赤ちゃんの名前だったのだ。
エンド前の『母に捧げる』とは、この監督のお母さんもまたシングルマザーだったのか?
と、思ったらチラシに過去にこの監督さんの家で未婚の妊婦さんを世話したエピソードが…。
この美しい作品を、このときまだハッキリと赤ちゃんの未来を決意出来なかった彼女には、どう映ったんだろうか?
そして、今、彼女は彼女自身の選択を、どう感じたんだろう。
時に女性にとって、『生』とは残酷なもの。果たしてこの選択は正しかったのか?
懊悩が伴わない最初から祝福される生ならば、女性側だけがこんなにも苦しむ必要は無いわけで…。
それはこの国だけでなく、世界的で普遍的な問題なのでは?
だからこそ彼女だけでなく、多くの、子を産んだことのある女性には永遠にQuestionマークなのかもしれない。
役者の表情からその心情を探る映画。佳品です。
観る人によっては、退屈な映画だと感じるかもしれません。劇的なことは子供の出産があることぐらい。アップが多用され、役者の表情からその心情を探るまたは想像することで、この映画の良さが理解できます。夫の事故後、心を閉ざしているバン屋の経営者、彼氏に逃げられた未婚の妊婦。この二人の心の交流がストリーです。妊婦は出産後、子供を里子に出し故郷に帰って再出発をしようと考えています。それでいいのかと反対する経営者。この揺れ動く二人の心情を味わうことが、この映画の肝です。
結末は里子に出して帰郷したのか、それとも子供を連れて帰郷したのか、そこまでは映画では描かれていません。観客の想像に任されています。私の解釈はこうです。妊婦は里子に出すつもりだったので、子供に名前をつけようとしませんでした。出産後、子供に母乳を飲ませることで悩み始めます。結局、アダムと名付けます。原題はアダムです。この事から、子供を連れて故郷へ帰った。或いは里子に出したが、名付けたことにより子供との繋がりを残したと考えてました。私の隣にいた男性に尋ねたら、子供を連れて故郷に帰ったと思ったそうです。
良作、見れる機会があれば絶対に観るべし!
「夫と死別したシングルマザーと未婚の妊婦の話」
本作ではモロッコでは禁戒とされている“未婚の妊婦”がカギとなる。そう、モロッコでは婚外交渉と中絶が違法とされている。
今じゃフランスや北欧をはじめとした国では50%以上が未婚の母、日本では2%しかいないものの年々増えていっていると言うのに…。宗教、国によってこんなにも大きく変わるのね。
サミアの存在によってアブラも生まれ変わった。
生活することで精一杯ともとれるような険しく厳しい表情のアブラ。
かつて夫とよく聴いた大好きな曲を流すことさえも拒み、愛する娘への愛情表現さえもおざなりになっていた。しかしサミアとの出会いによって固く締め付けられたアブラの心の鎖が解かれていくーー。
物語が進むに連れて柔和な表情になっていく二人、アブラが化粧をしたり、鏡を前に自分の身体に向き合ったり、また愛娘に対しての接し方も明らかに変わり、何よりアブラに笑顔が見られるようになっている。亡き夫の死によって失った“女性性”そして“母”を取り戻したのだ。
特にアブラがアイラインを引く姿が印象的。
美しく哀しくもある後半のシーンではアダムを抱きしめながら涙するサミアの姿に胸が張り裂けそうになった。
出産した後に我が子を胸に抱き、授乳した瞬間のこの上ない愛おしい幸福に満ちた気持ちを思い出す。
我が子の小さな手、足を一本一本数えて優しくキスをするシーンが胸にグッとくる。世界のママが我が子に同じことをしてるんだね、子を愛する気持ちは世界共通。
小さな小さな我が子を抱いて授乳した瞬間の筆舌に尽くしがたい喜びと深い感動を味わった直後に、我が子との別れがあるのかと思うと…それはもう想像を絶するほどの痛烈な痛みと苦しみだろう。
また本作が監督自身の母が未婚の女性を世話していたといった実話を基に製作されたというからよりリアリティである。
夫の死に向き合う権利さえも与えられないというモロッコの現状、“女性の権利”がほぼ無いに等しいイスラム社会が浮き彫りになるこの不条理の中でも、強くしなやかに生きる女性の姿に心が打たれる。
主役は赤ちゃんかも 原題は・・・・
登場人物(役者さん)をじっくり観賞することができる点において非常に満足感の高い映画でした。
臨月の身でひとりカサブランカの町を仕事を探して一軒一軒門をたたくサミア。一度は断るも、向かいの道端に夜になっても座りこんだままのサミアが気になって仕方ないアブラ。未婚の母に対する世間の目がとくに厳しいお国柄。美容師の職も住居も失って、バックひとつ担いで放浪の身。アブラは頭がよく、お世話好きで、困っているものを放っておけない性格。厳しい表情でひとり娘の生活のリズムが壊れるのを心配したり、世間の目を考えて、揺れるアブラにこちらの心もその都度グラグラしてしまう。少しずつ譲歩したり、的確なアドバイスで強要することなく、サミアの心に寄り添うアブラ。決心の固いサミアが母性愛を抑えられなくなってゆくさまは、アブラが無理しなくていいのよと口には出さねど、誘導しているかのようでした。
言葉にせず、表情での細やかな心理表現。
娘の好奇心に溢れたおしゃまな可愛らしさ。
自分のことは棚においておいて、粉屋の若旦那とアブラをくっつけようとするサミア。ちょっとその気になって化粧を念入りにしたり、体型を気にするアブラ。
サミアは本当の臨月の妊婦さんだったのでしょうか?アブラの娘がお腹を触るシーンが本当の臨月のお腹の皮に見えたので。新生児の赤ちゃんはもちろん本物ですが、授乳シーンでのサミアのお乳の張りがあまり感じられなかったので、お腹は特殊メイクだったのかな?
赤ちゃんもじっくりと描写されていて、とてもよかった。もみじのような手。自然な鳴き声。サミアがちっちゃい足にキスするシーンがよかった。
見ているものに任せられるエンディング。
実家には帰れないサミアがまた街をうろうろしているところをアブラに捕まって、四人で仲良く暮らせればいいのになぁと思いました。
異なる文化に触れる大切さ
初めてのモロッコ映画鑑賞。
主人公のアブラは妊娠しておりパートナーはいない。住み込みで働ける所を探している所から作品は終わる。
断られるシーンも挟みがらパン屋として働くサミアと出会い彼女の下で住み込みで働く事となる。
サミアもまた夫を事故でなくし、シングルマザーとして娘を一人で育てている。
モロッコではシングルマザーは悪として扱われそれは子供も同じ扱いを受けてしまうそうだ。
それを恐れミアはお腹の子を産んだ後は養護施設に入れる事を強く望みながら産まれるまで強く生きる姿を。
そしてそんなミアの姿をサポートしながら、子供を養護施設に預けるのではなく育てる大切さ美しさを教えようとしてくれるサミアの姿を描いた作品であった。
最後のシーン含めこの作品ではシングルマザーで産み育てる事への確固たる答えは描いてない。それを考える過程を説いてる作品だと勝手ながら感じながら見ていた。
もちろん日本に生まれ日本で育った僕の視野ではシングルマザーだから子供を育てる資格はないだの、ましては生まれてくる子供になにかレッテルを貼るという事は想像もつかない。
もちろんそれは幸せな事なのかもしれないが同時に他国の文化、歴史を詳しく知らずにあれこれ言う事もできないのも事実だろう。
ただ一つ今作を見て感じる事ができたのは人は1人で生きていくことは難しく、他者を頼るのまた自分の人生を豊かにすることである。
金銭的や住居面の物理的なことでももちろん助けてもらったがアブラにとってサミアとその娘と出会うことで精神的にも安定しそして無事子供を産むこともできた。
その後どういう決断にしろサミア達と出会う前の時のアブラとでは決断の意味合いも大きく変わると思う。
人と人の繋がりの美しさと同時に時には他者を頼ることの美しさも今作で改めて感じることができた。
今作を見てモロッコという国の文化に触れる事が大切であり、そして異なる文化について考える事が大切だと感じさせてくれた。
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