「宗教やジェンダー問題の背景があっても「思いやり」の基盤はどの国も同じなのかもしれない...」モロッコ、彼女たちの朝 バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)
宗教やジェンダー問題の背景があっても「思いやり」の基盤はどの国も同じなのかもしれない...
今作は第92回アカデミー賞のノミネート候補に挙がった作品。他国の多種な映画が日本に輸入されてきているものの、商業映画として劇場公開されるモロッコ映画は今回が初めて。
モロッコに住む人々のほとんどは、イスラム教徒。イスラム教徒では婚前交渉が禁止されており、未婚の妊婦という時点で、誰も関わりたがらない。
普通に考えても未婚の妊婦サミアが、ひとりさまよっているとなれば、ただでさえワケあり感が漂うものの、宗教上の問題が関わっていれば、なおさらだ。
モロッコの場合は、法律、つまり国のベース自体にイスラム教があるだけに、感情だけでは、なかなか揺れ動かない。
ジェンダー・ギャップ指数も143位(2020年)と、女性がひとりで子供を抱えて生きていく環境としては、決して良いとは言えない。
そんなモロッコという国を背景に、ひとりのシングルマザー、アブラと出会い、物語が展開されていく。
アブラは、夫を早くに亡くして、パン屋を経営しながら、女手ひとつで娘ワルダを育ててきた。境遇は違うが、少なからず女性がひとりで生きていく厳しさを常に感じているものの、宗教上や自分自身に抵抗がある。そこに風穴を開けるのがワルダ(ちょっと藤田ニコルに似てる)。
ワルダは無邪気で、モロッコという国にある概念をまだ知らない。だからこそ純粋そのものな存在であるのだ。
モロッコという国も時代を経て、少しは開放的になりつつあって、サミアはそんな世代で、何より若いということもあって、差別されながら貧困の中だったとしても、何としてでも子供を育てるという母性意識よりも、わからないように産んで、普通の生活に戻って、同年代の女性と同じようにオシャレして、何ごともなかったように結婚したいと思っている。
合法的に中絶もできない。両親に打ち明けてしまうと、両親まで差別を受けかねない。そんな国の風潮や圧力によって、サミアは両親にも言えないまま、お腹が目立ってきたから家を出てきたという状況であり、サミアにとってお腹の子は、厄介な物でしかなかったのだ。
サミアもアブラも、心に壁があって、逆にそこが心地よい部分もあったりするのかもしれないが、一方で相手に世話を焼いてしまう一面もあったりする。そこにワルダの無邪気さが加わることで、ある種の擬似家族の形態へと変わっていく。
そのグラデーションの部分を、映画的にドラマチックに描くというよりも、ごく自然体で淡々と描かれる。変に慣れ合わない独特の環境だからこその心地よさという面では、真逆の結末に向かっていくが『17歳の瞳に映る世界』に近いものも感じた。
人間というのは、幼い頃は、どの国もそんなに変わらないと思う。生活環境だったり、親の価値観の押し付け、社会に染まった大人の汚さを知っていくことで、知らないうちに、自分も気づけばそんな大人になってしまっている。
それを常に思いおこさせるのは、子供という存在であって、人間は子供を見ていると常に自分のあり方を思い直させる。動物的な繁殖機能によるものという一方で、心の部分でも子供という存在は人間には、必要な存在なのだ。だからこそ全く違ったジャンル『海辺の家族たち』『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』などを観てもわかるように、子供が希望の象徴のように描かれることが多いのだ。
監督であるマリヤム・トゥザニが、家族で助けた未婚の妊婦との体験談が今作のベースとなっているのだが、監督もまたモロッコ出身である。この映画と変わらない環境にありながら、未婚の妊婦を助けたことは、監督の家族は概念に捕らわれず、人間の繋がりを大切にしていたということが感じられる。
そういった環境で育った監督が、映画を通してモロッコの人々だけではなく、例えばヒンドゥー教の多いインドだったり、保守的なキリスト教信者の多いアメリカの地域だったりといった、宗教色が人々の概念に影響を強くもたらしている国に対しても、何かしらの刺激になって、考えるきっかけをあたえてくれる。
私たちは、どうしても国という大きなくくりで、人間性を判断してしまいがちだが、人間性のベースにあるものは、どこの国も変わらないのだということを改めて考えさせられる機会を与えてくれたような作品だ。
モロッコは、1日3食パンを食べるほどのパン食文化の国である。日本のようにふっくらとしたパンもあるが、平べったいチヂミのようなパンが主流だったり、麺のようなルジザといわれるパンもあったりと、モロッコの食文化を知ることができる。
入口は食文化でも景色の美しさ、または女性の地位でも何でも、様々な観点から、モロッコという国に目を向けるきっかけに、今作がなるのだとしたら、監督も本望ではないだろうか。