「別れの予感」モロッコ、彼女たちの朝 Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
別れの予感
少し前に、C.アケルマンという女性監督の映画「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地 、ジャンヌ・ディエルマン」(1975年)を観た。
3時間以上もある作品だが、主婦の日常の家事を延々と描き続ける。(最後に、突然キレて破綻するのだが。)
本作ではアケルマン作品ほどではないにせよ、軽んじられている“家事労働”というものを、女性監督が意図的に長尺を割いて、スクリーン上にぶちまけて見せつけている点では、共通していると思った。
映像については、確かにフェルメールの絵に影響を受けていると思うが、それは写真として静止させて見た場合だろう。実際に動く絵として観れば、自分はそれほどフェルメールっぽいとは思えなかった。
あえて言えば、色彩や意匠からはスペインバロック絵画であり、また、19世紀のオリエンタリズム絵画の一種だ。
この静かで眠りを誘う映画には(自分は寝てしまった)、実はさりげない形でいろいろと盛り込まれている。少し変化球があるのだ。
メインテーマのサミアや庶子に対するモロッコ社会の冷酷な扱いだけでなく、サミアによって寡婦アブラの中の“女”が揺さぶられることや、娘ワルダの天真爛漫さや配達人スリマニのコミカルさが描かれる。
そして、映画の最後を占める「母と新生児」の間のふれあいは、特に何ということもないのだが、“別れの予感”をはらむだけに、せつないほどに素晴らしい。
主軸がしっかりした、巧みな起承転結の構成をもつ映画だと思う。
なお、あたかもモロッコ社会の後進性を描いた映画のように見えるが、それは西欧の価値観に照らした場合だろう。
もしサミアの妊娠が不名誉な形でなされていれば、地域によっては大問題のはず。不義の息子を養子に出して帰ってくれば、普通に結婚できるのだから、モロッコのアラブ社会はむしろ緩いのかもしれない。
Wikipediaによれば、トゥザニ監督はもとは脚本を書いたりドキュメンタリーを作っていたようで、夫も映画監督だそうだ。
本作は、良くも悪くも、女性中心の女性目線の作品である。スリマニの描き方は、その典型だ。
単なるサミアの理不尽な境遇を訴えた“社会派映画”というだけでなく、“フェミニズム”を確信犯的に打ち出した作品と言っていいだろう。
一見、静かだが、なかなかクセのある映画であった。