「I Can See Clearly Now」パブリック 図書館の奇跡 kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
I Can See Clearly Now
誰の曲だっけ?と、つい調べたら1972年のジョニー・ナッシュがオリジナルだそうで、『クール・ランニング』ではジミー・クリフのカバーが流れていた。
エミリオ・エステベス演ずるスチュアート・グッドソンという人物が非常に興味深く、部屋では野菜を育て、かなりストイックな生活をしている図書館員。徐々に彼の素顔も暴かれていくのですが、どうしても嫌いになれないタイプ。どうしてホームレスたちに優しいのかという理由も後半になるにつれわかってくるのです。
大寒波がやってきたシンシナティではホームレスがシェルターに収まりきらなくなり、暖を求めて図書館にやってくる。閉館時間となったのに彼らはロックダウンさせ、閉じこもりデモが始まったのだ。彼らに同情したスチュアートがあれこれ指示を出し、館外から見ると、彼が人質を立てこもってるように見えてしまった。折しも、市が追い出された男による75万ドルの損害賠償を求めて訴えられていたこともあり・・・
いかにも悪人といった感じのクリスチャン・スレイター。彼は州検察官でもあり、市長に立候補しようとしていたが、人気度全くなし。この騒動を機に名を売ろうという魂胆だ。また、交渉役の刑事を演ずるアレック・ボールドウィンもお互いに譲歩するよう柔和策を取っていたが、息子がホームレスに混ざっていたことに激怒し、最終的には警官隊突入の指示を出すといった具合に変貌を遂げるのだ。
こうした人間模様の中、最も社会の縮図とも思えるのが、アメリカでは10代の必読書となっている「怒りの葡萄」すら知らない能天気TVキャスターだろう(俺も読んでない)。こうした事件は人質と犯人がいるといった定型事件だとして疑わず、下手すれば事件を捏造さえしかねない存在。
国は黒人の退役軍人に対しては手厚い補償もない。シェルターを作りさえすればホームレス対策も万全だと思ってる節があるのだ。小さな行動ではあるものの、世に訴えることは大きい。日頃から読書に勤しんでいる図書館員も憲法や判例の知識を駆使する楽しさもあるし、意外な結末に驚かされることもたしか。一番好きな質問は「実物大の地球儀はある?」かな・・・残念なのは牧師の市長からの支援物資が届いたのかどうかという点。