「立ち向かってこその責任」泣く子はいねぇが kazuyaさんの映画レビュー(感想・評価)
立ち向かってこその責任
【あらすじ】
秋田の伝統行事であるなまはげを通して、その場所で生活する人間のリアリティを描いた作品。主人公の後藤たすくが初めての子どもを授かった場面から始まる。しかし彼は仕事もなく、また今後の展望もなく、妻のことねには離婚を匂わされ、生活の雲行きは怪しい。決定的に崩れたのは、招集されたなまはげ役としての地域行事の参加だった。そこで行事の存続に関わる失態を犯した彼は、自身の地元を追われることのなり、東京での生活を始める。
2年間の東京の生活はなんとなく過ぎていく。そんなある日、秋田の友人である男が訪ねてくると、元妻となったことねの近況を知らせてきた。キャバクラで仕事を得ているということを匂わせる話に、たすくは秋田に戻ることを決める。
彼の実家には母と兄が暮らしている。突然の帰郷に、訝しがりながらも2人は彼を受け入れる。しかし、何故今更戻ってくるのか、という兄の言葉に、家族や地域の彼への憎悪を感じ取る。
ことねに逢いたい彼は友人の手助けを得て見つけることに成功するが、彼女の態度は冷たく、さらには再婚する事実を聞かされる。その言葉に、自分が妻と子どもを養わなければという責任を感じたたすくは、あの手この手でお金を作ろうと努力を始める。しかし、ことねには今後会わないと宣告された上に、忍び込んだ娘のお遊戯会で、再婚相手との仲睦まじい姿を目撃し悲嘆にくれる。
たすくはどうしても娘に会いたかった。なまはげに扮して一人、再婚相手の家を訪ねる。ことねに正体を見破られつつも、中に入るとそこには娘の姿が。たすくは幸せそうな家族の団欒の中で絶叫する。
【感想】
責任というのは、何かに立ち向かって初めて、受け入れる態度として示される。そんな風に考えた。たすくは歳の割には幼く見え、決して人当たりが悪い人間ではない。むしろ、争いを避けようとごめんと謝り、ちょっと誤魔化そうとしてへらへらとした笑いが出てしまう、平和的で愉快な人間。しかしその緊張感のなさは、時と場所によっては受け入れられないものかもしれない。
僕たちは常に正しくありたいと思う。楽しく生きたいと思う。嫌な感情や緊張感のある場面には出くわしたくない。けれど、生きているとそういうものから逃れていきていくことなんて出来ないくらい、そんなことがあまりにも溢れている。だから、つい目を背けて生きてしまう。嫌なものから心の距離を取ってしまうのだ。そうしていくうちに、人生への態度には、真剣味というのが薄れていくのかも知れない。
そうして生きるたすくが映画の最期に得たのは、仮面越しに見る他人に抱かれた娘の姿である。彼は自ら離れた責任を、取り戻すことは出来なかったのである。
子どもができるということは、責任という言葉とよく結び付けられる。地方では、地域社会との関係が密になりやすい分、そもそもその前の結婚という段階で、周囲の目線が物語ってくる。僕自身が地方に住む独身者であるから、たすくの置かれた環境がすごく身近なもので、彼への冷ややかな視線が僕自身にも痛いくらいだった。
映画の中では何度か「他人」という言葉が出てくる。他人のくせに、とか東京はみんな他人だよ、とか。その他人の中で生活するたすくは結局、「忘れられなくて」戻ってきてしまう。これほど言い古されてきた言い方もないくらいの、田舎と都会の関係なんだけれど、それはやはり個人にとっての事実で、しかもそれは身をもって経験しないことには分からないものなのだ。映画だけ見ればなんてことはないストーリーではあるかもしれないのだけど、彼への「いそうな感じ」というのは、なかなかに、今を生きる人間のリアリティを示しているように感じた。実際、今僕は胸が痛い。