21世紀の資本のレビュー・感想・評価
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人類の性(さが)を延々見せつけられる映画
①調子に乗る。人握りの者が富む。
↓
②貧しいものが不満を持つ。
↓
③破壊(戦争・壁崩壊・革命、等)
↓
④反省しながら再建。いい感じ。
↓
※①に戻る
④の段階がずっと続けばいいのだが、どうしても個々人だと「頑張って、より富むこと」をめざしてしまう。 その結果繰り返す。。
「中庸を旨とすべし。」ってやっぱ大事なんだな。 あと個々人ではどうしても厳しいのでこういうときこそ政治の力だ。
今おこっている「コロナ」は③に相当する。
行き過ぎたグローバリズムや旧態依然とした慣習に破壊がおこった。
反省を忘れてすっかり元に戻ってしまうのでなく、この教訓を未来に活かしたい。
※映画としては1800円払ってまで観る価値はないように思う。
映像は早回しが多く、単調だ。(途中寝てしまっていた。。) NHK特集で観るので十分。
☆☆☆★★ 観客2名。簡単に。 オツムが弱くて、映画ぎ伝える内容の...
☆☆☆★★
観客2名。簡単に。
オツムが弱くて、映画ぎ伝える内容の(おそらく)2割程度しか理解出来てはいませんが💦
金持ちの家に生まれた者は、何もしなくても金持ちの生活を満喫出来るのが資本主義の世の中。
…何だがなあ〜(´-`).。oO
貧乏人は、とんでもない奇跡(普通に生活していた場合)が起こらない限りは、一生裕福な生活は送れないのが資本主義の世の中。
…何だがなあ〜(p_-)
本当は、その図式化された世の中で。我々がどうすればその流れを止め、変化させる事が出来るヒントが語られていたのかも知れない。
…のだが!
もうダメ(。-_-。)
何しろこちらには、生来の貧乏人気質が身に深く染み込んでしまっているだけに(-_-;)
精々、残り少なくなりつつある人生。
その少ない時間の中で、なるべく正直であり続け。生まれ変わった際に、《何らかの奇跡が起こらんかなあ〜》…と。金持ちのスキルが上がるのを待つしか無いです_:(´ཀ`」 ∠):
(そんな間違った考えに、神様の怒りの鉄槌が振り降ろされませんように、、、ナンマイダブ!ナンマイダブ!)
2020年6月16日 MOVIX柏の葉/スクリーン5
『タックスヘイブン』と『タックスヘブン』は違うぞ!
先ずは何だこれは?
岸◯総理◯臣の新資◯主義だぜ。
18世紀の哲学者ベンタムが説く功利主義で解決する結論は古過ぎる。
それが淘汰されて出来たのが、コミュニズムで、本来は共産主義とは哲学の用語。いつの間にか経済学に利用されている。従って、完全な共産主義を建国出来た国は一国も無い。何故なら人類の哲学がそこまでに至っていないからだ。あくまでも社会主義であり、社会主義であるから、国家社会主義に姿を変容するのだ。
さて、この著者は40分辺りから戦争を語りだす。
『戦争破壊による資本の消失は、資本家からすれば消失になるが、その崩壊は悪い事だけではない。社会の力関係が一変するからだ』と力説する。続けて
『JAPE(差別用語)が無条件で降伏した』という紙面が映し出され『戦争は死と絶望をもたらす一方、お互いの人間性を認識させてくれる。』さらに調子に乗って『西洋啓蒙思想と合体して平等性を実現するのだ』と言い切る。そして
1時間5分で日系アメリカ人経済学者が出てきて
『民主主義は権力の偏りを生む』と言わせしめ『一票は幾ら?』と言い切る。銃後でフランスの学者が念を押す始末。
さて、この程度のドキュメンタリーだとは思ったが、全部が間違っているわけでは無い。しかし、この程度なら中学3年生の公民まで学習すれば、誰でも知っている。では、どうしたら良い?『富の再分配さ』と結論付けて、法人税の増税に問題を帰着させている。しかし、それは功利主義であり、それが過去に失敗したから、社会主義が生まれている。だから、
『じゃ!戦争して価値観を変えろ』と言い出しかねない。
社会主義国家は大国中国を残して崩壊したが、ロシアとウクライナの争いやイスラエルとガザ地区の争いを見ていると、社会主義の方がまともとおもえてしまう。そして『国家資本主義』なるものが新語として登場するが、それを『帝国主義』と教わったが。西洋は産業革命であり、日本は明治維新である。
もう一度見る事はないが、新たな黄禍論の始まりで、2045年にヒトラーが予言したように
『ナチス・ドイツは100年後に復活する』が実現せねば良いが。因みに、ヒトラーは選挙で選ばれたと記憶すべし。日系の経済学者の論拠はそこにある。間違いだけどね。
一言で言えば、労働の変革ではなく、新たな産業革命だと思う。勿論、ITとかではない。やはりエネルギーの産出方法の革命とかを望む。
従来の発電は、何かの化学的変化が電気を生むわけではなく、タービンの運動エネルギーを電気に変えているに過ぎない。つまり、水、風、火力、原子力であっても、タービンがなければ、電気は生まれないのだ。化学的な変化が電気を帯びた物質に変わって発電する方式は確立されていない。月に行く事に産業を見出そうとするなら、そちらの方が先だと思う。
しかし、何故今になって月に行こうとしているのだろう。まさかと思うが、何かの廃棄物を月に捨てようとしているのではと思ってしまう。そして、あの宇宙エレベーター構想は安全に廃棄物を運ぶ為の施設なのではと想像する。これこそ正にサイエンス・フィクションだぜ♥
さて、インドは?
市場原理は万能なのか!?
世界的ベストセラー「21世紀の資本」を映画化。
資本主義は格差拡大を生み、このまま行けば18-19世紀の莫大な格差が復活しかねないと警告する。
格差拡大が起これば、分厚い中間層が破壊され、権力は一部の権力者に集中され、貧困=死という悲惨な運命が待っている。また、政治は不安化しナショナリズムが蔓延り、分断が加速されていくだろう、と。
格差悪化の理解に重要なのは、経済が生み出すお金のうち労働者の取り分が減っているということ。しかし、労働者の支援を充実させる福祉国家を目指せば、グローバル競争の中では、敗者になるしかない。グローバル化を勝ち抜くには、価格を下げるための労働者の取り分を減らす事だ。
資本移動とグローバル化によりより一層資本は虚構と化し、連帯は壊れシステムは脆弱になっている格差増大と永続化をさけるには累進資本課税が必要であると、トマ・ピケティが提唱する。
「自由、平等、○○○セ」
原作はあの分厚さに恐れをなして、見たことある(1ページも読んでない)だけでした。映画化と聞いて、「またまたご冗談を」と思いつつ、劇場公開時はコロナで機会を失い、やっと観られました。とてもわかりやすい。おそらく省かれたところは多々あるのでしょうが、ピケティの主張(結論)とそれに至るまでの論旨の流れがわかりやすく、映画を含めた映像の引用やピケティ以外の経済学者のインタビューなども、それを補強し理解を助けてくれました。
サッチャーがそうだったと知って、驚きました。出てきませんでしたが、ケン・ローチ作品を思い出しました。
さて、これで原作を読む準備は整いました。準備だけですが。
人類に未来はあるのか
フランスの経済学者トマ・ピケティのベストセラーを本人も参画して映画化したもの。
過去300年前から格差社会をわかりやすく説明してくれる。
現在の世界情勢が、第一次世界大戦前に似ていると指摘、平和な発展が可能だと締めくくっている。
絶望感から、無関心になっている自分がいる。
新自由主義万歳!合法的脱税万歳!
昨年、消費税が食料以外10%に上がりましたが、消費税が3%で導入された1989年以降、法人税は下がり出してるんですよね。2008年には、消費税の税収が法人税の税収を上回りました(興味のある方は検索するとグラフが出てくるので、見てみて下さい)。つまり、あれほど社会保障費に使うとかなんとか言ってた消費税は、法人税の穴埋めに過ぎなかったというのが事実のようです。
時を同じくして、小泉元総理や竹中平蔵氏をはじめとしたエリート達が一斉に唱え出した『自己責任論』。『自己責任論』とは、貧困や失業など社会で起きている事象が、個人の努力不足であるというあれです。
つまり、『自己責任論者』の仕事は、
①法人税を減らしますので、庶民の税金が増えますよ。
↓
②企業を儲けやすくする為に、首にしやすくて給料の安い派遣社員という法律を作りますよ。
↓
③あなたが貧乏になっても、それは社会の責任ではなく、自己責任です。
ということを喧伝することだったんですね。
劇中で、税金逃れの為にマーシャル諸島等に会社を設立する企業や金持ちの話がありましたが、これは住民票を年始に日本に置かずに、合法的に前年の税金を払わなかった竹中平蔵氏と全く同じですよね。
こういうの、単純にできない様にする制度や政策を作れば良くない?
だけど、政治家もトップエリートも資産を沢山持っているお金持ちなので、金持ちに不利になる政策を作らないんですよね。庶民には、難しく複雑に説明して煙に巻く。こういう人を煙に巻く話し方、確か東大話法って言うのですっけ?東大って東京大学?
結論として、お金持ちに再分配をして貰いましょう。せめて、合法的な脱税を禁止させましょう。エリート達がお金にひれ伏した現在、どうしたら庶民の生活が良くなるか庶民も勉強をして庶民の為の政策を作ってくれる人を選びましょう。
【近現代史を"資本"の在り方を通して描く。"中産階級の没落"がもたらす格差の拡大に警鐘を鳴らす作品でもある。】
「原作既読」
・物凄く、ザックリ言うと、”資本収益率は経済成長率を上回る・・”。
”このまま、行き過ぎた資本主義を野放しにしていると、18~19世紀のような大格差時代に、逆行してしまうよ・・”という危惧を、当時の定量的なデータが皆無のため、トマ・ピケティが苦労して、纏めた結果あのような分厚い作品になった・・。
・このドキュメンタリーが面白くて秀逸なのは、かの長き経済本の内容を、
「高慢と偏見」「レ・ミゼラブル」「ウォール街」から果ては「エリジウム」(大格差社会の未来を描いたSF映画)の映像や、
面白きアニメーション「ザ・シンプソンズ」を使って、行き過ぎた資本主義が現代社会にもたらしている事象とそれに伴う格差社会の拡大に対する懸念を分かり易く描いているところであろう。
〈民主主義的に資本主義の暴走を抑え、21世紀は、18~19世紀のように1%の資本家が99%の労働者を搾取する世界、人種差別・大格差が蔓延る世界に戻してはならない、というトマ・ピケティの思いを分かり易く描いたドキュメンタリー。
現実的に格差社会、低移動社会が身近になって来ている事、AI社会がもたらすだろう格差に言及しているところも、秀逸だが、恐ろしさを覚える作品でもある。。〉
富のほどよく分配された理想郷を目指して
昨晩あまり寝られなかったので、かつ、午前中に観たので恐れていた睡魔と闘うことになりましたが、なんとか最後まで持ちこたえました。
資本主義社会は、一部の少数経営者に富が集まる~貧富の格差が生じる~格差が激しくなると革命や戦争等破壊が起こる~さらに資本主義が構築される、この繰り返し。
現代も格差が広がっているので、資本をほどよく分配できるようにお金持ちにもっと課税しましょう!と理解しました。合っていればいいですが。
この意味では、中産階級が多いと思える日本はまだ格差が少ない国なのでは?と思えます。みんな、そこそこやっていける生活を送っている人がマジョリティのような気がするので。なぜ日本がそうなっているのか?と言われると明確に答えられないのですが。
たまにはこういう経済の本や映画を観て、政治、経済にももう少しアンテナ張って、今の生活が当たり前ではないと思っておいた方が無難かなと思いました。
貧困
相当、話題となったことから知らない方は少ないと思います。
多くの解説があり、本を読んでも理解できない点が多々ありましたが、何となくわかりました。特に目新しいことを言っているわけではないこともわかります。
本を読むと経済書とも思えるのですが、映画を観ると貧困、格差の画像を並べている感が強く、この類の本を映画化することの難しさを感じます。
Think!
『ブルースブラザーズ』でも使われたアレサ・フランクリンの「Think」。もうこれだけで異様に評価が上がってしまいました。映画の使い方も非常によくて、産業革命当時、奴隷制度、第二次世界大戦、公民権運動など、資本主義が主人公の一つのストーリーとしても成り立っていたように思います。
現在も貧富の格差が問題とされていますが、これは18世紀のフランスとそっくり。1%の貴族が7割の財産を保有する構図にしろ、何ら変わっていないのだ。皮肉なことに戦争による破壊によって富の再分配が成功して、日本でも一億総中流階級なる言葉があったように格差は縮小していた時期があったことを再認識。
金持ちか貧乏か。決めるのはただついているかどうか。金持ちは単にラッキーだったからであって、努力の賜物ではないとする論。権力者が言う“トリクルダウン”なんて全て失敗に終わってること。金持ちと権力者は結び付きやすいものだったり、ITで儲けている企業はタックスヘイブンを使って税金を払ってないとか、まるで18世紀における貴族が税金を払ってない状態に戻りつつある現実。どうにかしないと、奴隷制度まで復活してしまいそうな恐ろしさも感じられた。
全体的には欧米諸国での話が基本であり、累進課税や相続税などはピンとこないかもしれませんが、他はどの国にも当てはまる。また、中国は国家資本主義だと言い放っており、これも目からうろこ。そうか、共産主義じゃないんですね。そんな面白い内容をわかりやすく説明してくれて有難かったです。
現在は株価ばかりが上昇して、実質経済はマイナスになっていること。「成長してるじゃないですか!」と誰かが印象操作で国民を騙し続け、働いても働いても豊かにならない現状を理解しておかなければ、やがて世界は狂ってしまい、取り残されることになりそうだ。
難しかった!
難しかった!
戦争のシーンがあるけどかなりリアルだ…
本物を使っているのでかなりぼかしてある
金持ちは楽しそうに遊んでて羨ましいと思った
大して努力もせずに長男てだけで優雅な生活を送る。
自分の地位を守るために政治は金持ち優先
心底羨ましい!
イギリスが戦争に勝って❓
沢山の植民地を手に入れてたのをこの映画で初めて知った
今のイギリスじゃ想像つかないから
歴史は繰り返すって言うけど
戦争の歴史は繰り返さないでほしい
未来の人類と現在の人類の幸せを思った。
コロナ渦の中で
わたしは観光業に従事している。
計画休業を余儀なくされ、賃金もカットされている。
観光産業は、当分は復活できないと感じているが、この映画を見て一つ大切な励みになるであろうことを感じた。
それは、この大困難を乗り越えれば、日本にとって観光産業は間違えなく欠かせないものになるということだ。
このコロナ渦で、観光産業も、働き方や、収益の作り方が、大きく変化でするであろう。
変化を理解しながら、より良いサービスを生み出し、日本の発展に貢献したいと心から感じた。
明日からの仕事を頑張ろうと思えた。
この映画に出会えたことにわたしはとっても感謝をしている。
そこは解ったから解決策を教えてくれ!!
数年前から経済番組で経済問題が語られるたびに
そこそこのコメテーターがこぞって引用した
ピケティーのベストセラーを
著者本人と、同じ考えの若手経済学者が
解説しているこの映画!!
私はすごく期待して観に行ったのです。
今の貧富の格差は誰の目から見ても明らかで
私自身、今、なんとか職も家もあるけれど
いつ体を壊したり災害にあったりして
何も無くなってしまうか!
その恐ろしさに常に悶々としてる訳です。
要するに貧富の格差は広がるばかりで
資産家の資産は相続によってさらに増えて行くのに
給料を上げてもらえない貧困層は
もっと貧困になってゆくと言うお話。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
そこは、いろんな人が引用してるから解ってる。
その解決策がこの映画の中にあるのではないのか?!
答えは、富裕層からもっと税金を取れ!
ってことで、そんな事は解ってる。
だけど富裕層は有り余るお金を使って
自分たちから税金をぶん取る様な政治家を
潰してしまおうとする。
結局、何も変わらないのか?
いや、選挙権のある国民が
ちゃんと公正に政治を行う政治家を
選ぶしか無いんだよ!
日本だけで無く世界中で
最後は国民がなんとかしないといけない!
アホな政治家を選んだツケは
結局自分に回ってくる訳だ〜〜
@もう一度観るなら?
観てると本当に腹たって来ます。でも観て!!
行き過ぎた資本主義の危険性
資本の所有と格差の拡大について、具体例や映画を引き合いに出しながらわかりやすく解説されていました。
一市民である私たちにできることは何があるんだろう? と考えさせられます。
一方で、同じ説明が言い換えて繰り返される場面が多く、少し冗長に感じたのが残念なところでした。
もう少し説明がスッキリしていれば、若い人にももっとお勧めできるな、と思いました。
(十分におすすめですが、説明がやや長い…)
パラサイト 、バーニング、ジョーカー、万引き家族、アスはたまた山本太郎?全てに繋がる映画
まるで近代から現代にかけての世界史をスタイリッシュに紐退いていくかのような映画であった。
この映画の魅力をパートに分けて紹介していこうと思う。
タイトルの意味は終盤にわかると思う。
終盤は少々のネタバレと私情が溢れ出てしまったのでご考慮願いたい。
1, 映像、音楽、構成のお陰でわかりやすい!!
難解なテーマであるにも関わらず映像と音楽の用い方がポップでスマートで明快なので、誰でもすんなり入り込めると思う。
例えば貧困、戦争、搾取、反乱という悲惨な映像に極めて明るい現代のポップソングを乗せるような対位法を用いていたりするのだが、これが非常に皮肉が効いていて、なんだか上流階級の人間がタワマンから下界を見下ろしながらパーティを楽しんでる、みたいな現代的シニシズム(冷笑主義)を感じるように編集されていたりしてよく凝っている。
こういう対位法ってなんだかおしゃれって感じで海外ドラマなんかでもよく使われているんだけれども、本作の用い方はそういうインスタ的オシャレ感覚を完全に皮肉ってるようでまぁ使い方的に関心した。
スタイリッシュだけれどもそこには風刺なんかもちゃんと効いてる。
映像としてもちゃんとしてるし、資本や経済に関心がある人間以外にも見て欲しい。
というか、社会人として、あとは少しでも自分たちの社会がどのように構成されているのかということについて関心のある若者には見て欲しい。これは学校では教えてくれない、でもどこよりも分かりやすい世界史、現代史の正史なのだから。
ここからネタバレ
2, 資本主義の行き着く先の恐ろしさ!!
まぁ資本というものは我々庶民に初めて富をもたらしてくれた神様であり、それと同時に富を得たものから心を奪い、富のないものには永遠の飢えを与える悪魔であった訳だ。
時代はこの資本経済の楽園と煉獄の狭間を目まぐるしいサイクルで行ったり来たりしながら未だに振り回されて続けている。
更にピケてぃいわく、経済は悪くなる一方でこのままでは、徹底的な貴族と庶民の差があった18世紀や第ニ次世界大戦前にまで後戻りするという最悪の展開が我々の未来には用意されているらしい。
それは「フランス革命」の再来であり、「ナチス」の再来を意味する。
思えば貧困層の増加がナチスを生んだ起因であり、国としての衰弱は狂気的なナショナリズムを強固にすることは明白だ。
そして上流階級の徹底的な貧困層への無関心と搾取、貧困層の恨み辛みがフランス革命であった。
今はリベラルの時代と言われているが果たして本当にそうなのだろうか?
それは中流階級が人口の多くを占めていた時代の余裕ある経済や思想の名残なのではないだろうか?
リベラルは経済に余裕がある時代の潮流であり、余裕がなくなると人々は自分の座席の奪い合いに必死になる。そこで人種差別や他国批判は余裕のなくなった国民にとって格好のターゲットである。
宮台曰く、この座席不足が国粋主義につながる理論はリチャードローティーなる哲学者が昔言っていたことであるらしいが、実際に現代そうなってしまっているではないか。
アメリカでは国粋主義の暴君トランプが大統領になり移民を阻害、移民問題どころか黒人の怒りがブラックマターリブズのように飽和状態になって未だに差別主義が氾濫していることが露呈された。
イギリスはオーウェンジョーンズという作家によれば貧困層への差別が広がり、下流階級が完全に這い上がれないほどに絶望的に貧富の差がひらいているとのことで。
日本でも沢山の問題を抱えている。
若者の貧困率はかなり上がっているし、時間にも心にも余裕がない人間が大量に生まれてしまった。
ネトウヨなる似非右翼が跋扈し明治後期に先祖返りしそうな国粋主義を提唱したり、就職氷河期で日の目を見なかった世代の忘れられた者たちが精神を病んで大量殺人に走ったり、莫大な奨学金をして大学に行って破産する若者、風俗などで働いて返済する女子大生、鬱病の人間も自殺する人間も沢山抱えている。
一方で学歴主義が幅を利かせまくって、IT社長が一番偉くって、金持ちの自己啓発書が売れまくって、容姿端麗で清潔な人間がSNSで支持される。
誰も彼も自分の実力や才能だと思い込んでいる。
生まれ持っての運でしかないのに。
韓国も似たような状況であることは、今年「パラサイト 」で露呈された。「バーニング」でも絶望的な貧富の差について描かれていたし。
アメリカでも「ジョーカー」、「アス」などで貧富の差の広がりは描かれていたし、日本も「万引き家族」という代表作がある。映画は時代の写し鏡でもあるので、
同時多発的な貧困映画の出現はどこもかしこもこんな状況であることを証明しているに等しい。
かつて先進国と呼ばれた国々はそれぞれ内側のよそ者を排除して更によそ者を入れないように壁を作って鎖国しようとしている。
戦争が始まる第一歩のような気がしてならない。
3, ある衝撃の実験結果
上流階級の貧乏人への差別は世界共通であり、
心理学的にどんな人間でもお金を持つようになると無意識にお金のない人間を見下すようになってしまうことが
ある実験によって証明されてしまっていることがわかった。
被験者を二人用意して、最初にコイントスによってお金持ちと貧乏人が決められた状態で人生ゲームをスタートするという実験なのだが、金持ちサイドの人間は必ず貧乏人に上から目線になり、横柄で差別的な態度をとってしまうらしい。
そして自分がお金持ちなのは自分の才能や実力であり、一方が貧乏なのはそいつのせいだと思い込んでしまうらしい。実際はたまたまでしかないのに。
こうして下流階級への偏見と差別、無関心が生まれる。
それは人間の心理構造上そうなるよう設定されているのだ!!これは驚くべき事実であった。
そういえば、オーウェンジョーンズの著作「チャブ」にも、周りの金持ちがみなそのような思考をしていて、いやお前ら全員親の金でそこまで立派になったのになんでそんな偉そうなん?君たちはなんて想像力がないんだ、、、と呆然とするシーンがあった。
これはこの検証結果まんまである。
これと似たような経験は僕もしている。
僕は元上流階級出身で現貧困層のライクアローリングストーン一家で育ってきたのだが、大学では上流階級の友人が複数いたものだ。
彼らの思考もだいたいこんなもんである。
金の使い方も、他人への態度も、恋愛の仕方も。
どこかで人を見下しているし、それを当然のものと思っている。
僕も呆然とした。
勿論善良な人間が圧倒的に多く、リベラルで穏やかな人も多い。だが時々、同じ人間とは思えぬほどの肌の冷たさを感じる。
なんだか彼らまさに人生をゲームとしてしか捉えていないのではないだろうかと感じる。
「パラサイト 」でも「バーニング」でも「ジョーカー」でもそんな場面があった。
その度、ヒリヒリと胸が痛む思いがした。
僕はこの感覚を知っている、と思っていた。
検証結果が、その正体である。
僕が感じてきた違和感の、勿論全貌とはいえないが、明確な形がようやく見えてきた。
金持ちと貧困のハイブリッドである僕が知っているこの感覚を、どちらか一方の人たちは知らない可能性がある。僕が得た視野と想像力も、環境と運の産物である。
上記のような環境と、たまたま映画と本が好きだったという運でしかない。
世界は、人間は、環境と運の産物だ。
これもベストセラー「もっと言ってはいけない」に記載されていた論文で証明されているのだ。
僕がなんども言葉を変えて同じようなことを言っているのは、やはり様々な人たちがそれを手を変え品を変え証明し続けているからだ。
これは資本主義のシステムそのものが孕む怪物である。
だから誰を恨むでとなく、この様々な問題を孕む怪物と向き合う必要がある。
貧困の差はひらきつづていく一方だとピケティほ膨大な資料に基づいて論証した。
それに対する対策案も、本作の最後に明確に提示してくれた。
そんでこれ、選挙前の山本太郎とかどっかの東大の経済学者もこんなこと言ってなかったっけ?
HP見てみると山本太郎の本作推薦VTRがあった。
いろいろと勉強してんのな、と思った。
しかし彼らの言ってることが正しいとはまだ判断できない。これから僕も学んでいかなければ。
世の中変えられないと思っていた。どうしようもないことばかりだと。悲観主義と諦念が僕の心を支配して離れなかった。ただ変えられる物事については、やはり変える努力をしていかなければならない、そう強く感じた。
「神よ、どうか私に変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えられる物事を変える勇気と、その二つを見分ける知恵を授けたまえ」(スローターハウス5)
そう祈るばかりだ。
少し難しかったです。
コロナ自粛明け初映画です。
山本太郎さんのお勧め動画が決め手で見に行きました。
中学校で必ず見せるべきと仰っていたので、子どもたちだったらどんなふうに見るだろうかと、そういう視点で見ることにしました。
知識がないと、とても中学生には難しい映画だと思いました。
観賞後もあまり危機感とか感じなかったのは、まだ自分の中で落とせていないからだと思います。
もう少し噛み砕いて欲しかった。
格差は固定化される
グローバルな経済の話だが、諸外国の実情はよくわからないので、日本の内情を考えてみた。
小泉純一郎が総理大臣だった時代、平成の御用学者である竹中平蔵の主導によってアメリカ式の市場原理主義を導入し、小泉は「構造改革」と称して規制緩和を連発した。おかげで非正規雇用が劇的に増えた。正規雇用者との収入の格差は増大し、それはそのまま生活の格差、教育の格差、文化の格差となった。要するに貧乏人が増えたのだ。同時に、なんでもかんでも自己責任という論調が世に広まった。政治家にとっては自己責任という言葉ほど便利な言葉はない。貧乏も自己責任、病気も自己責任と言っておけば、政治が果たす役割は限りなく小さくて済む。
民主党政権はCIAに鳩山首相が潰され、折から起きた東日本大震災で、構造改革と自己責任はしばらく放っておかれたが、安倍晋三政権によって小泉改革路線が踏襲され、世の中は豊かな人がどんどん減少し、格差は更に広がっていった。悪いことに自己責任論は輪をかけて広まり、時代のパラダイムと化してしまう。ジャーナリストが紛争地域に行ってテロリスト集団から拘束され、あるいは殺されるのも自己責任ということになり、中には殺された後藤さんをSNSで非難する有名人まで現れた。
ジャーナリストが紛争地域に行く理由は簡単である。事実を伝えるためだ。世の人々が正しい判断をするためにはより正確な情報が必要である。しかしすべての情報にはバイアスがかかっている。政府の出す情報には政府に不利な事実は含まれない。場合によっては嘘が混じる。戦前の大本営発表を鑑みれば明らかだ。だからジャーナリストは現場に赴いて自分で見て聞いたことを伝える。勿論ジャーナリストの情報にも個々のジャーナリスト毎のバイアスがかかっているが、政府の出す情報とは確実に違う情報が得られる。権力のバイアスのない情報である。それは人々にとっては例えば選挙での投票先を考えるのに必要な情報なのである。テロリストに拘束されたジャーナリストを自己責任として放置する姿勢は、貧乏人を自己責任として放置する政治家の姿勢、あるいは生活保護の申請をなかなか受けつけない役人の姿勢にも通じる。国民から徴収した税金を自分たちの金と勘違いしているのだ。
国民は自分のレベルに合った政治家しか選べないという。つまりは雇用を流動化させて格差を増大し、貧富の差に平然として弱者も病人も自己責任と一刀両断してハナから救う気がない政治家を選んだのが日本の有権者であり、突き詰めれば日本国民はそれを望んでいるということである。
世界中で似たようなことが起きているとすれば、人間は格差が好きなのである。勝ち組と負け組という意味不明の言葉を作り、勝ち組に入れないのがいけない、つまりは自己責任だという論理になる。貧しい人が総理大臣になることは殆どない。多分田中角栄くらいのものだと思うが、政敵である福田赳夫を大蔵大臣に抜擢したり、自分に諫言する人に金を渡していたことを考えると、自分がたまたま運がよかっただけだと自覚していたのかもしれない。しかしそういう反省の気持ちを持つ人は極めて稀である。
金持ちの子供は塾でも家庭教師でも参考書でも十分に与えられ、東大でもスタンフォードでもケンブリッジでもMITでも行ける。しかし貧乏人の子供がコロンビア大学に入学することはまず不可能だ。国家公務員上級試験に合格することも滅多にないだろう。そうして金持ちによる金持ちのための政治が連綿と続く。格差は固定化されるのだ。
しかし人生の目標は生活レベルの向上だけではない。美人を妻に持ち大きな家に住んで高級車を乗り回すのが夢だった時代、あるいは三高の男と結婚して贅沢な暮らしをするのが夢だった時代はもはや終わった。特に超高齢化社会でしかも低成長、またはマイナス成長という下り坂の国家の最先端である日本に住んでいれば、そういった価値観は過去のものである。前世紀の遺物だ。これからはモノに執着しない精神的な充足が目標になるだろう。
とはいっても「衣食足りて礼節を知る」ということわざもある通り、最低限の生活を営むことができなければ精神的な充足もへったくれもない。貧しくても衛生的で健康な生活を保障するのがこれからの政府の役割だろう。ところが現在の政府はその役割を担おうとしていないように見える。それどころか貧乏人も病人も自己責任で切り捨てている。そして同じことが世界レベルで起きているということを思い知らされたのが本作品である。問題は現代の政治であって、御用学者が本作品を意味不明に論評している「戦間期の悲劇」などではないことをはっきり申し上げておく。
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