マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”のレビュー・感想・評価
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メディア対応なし。謎のデザイナーの足跡を辿って行き着く先は
亡きカール・ラガーフェルドを筆頭に、自分自身をアピールすることでデザイナーとしてのステイタスと服の価値を高めたクチュリエは多い。そんな中で、かつて一度もショーのラストに顔を出さず、一切メディアにも登場しなかったのが、マルタン・マルジェラだ。本人はその理由を人前に出るのは苦手だし面倒だからだと説明する。あの無愛想な川久保玲ですら、ショーの最後にちょっとだけ挨拶しに出て来ると言うのに。しかし、結果的に彼の引っ込み思案な性格が返って伝説を作り、引退後も注目を浴びる理由なのだとも思う。
そしてこのファッション・ドキュメントでは、ベルギー生まれのマルジェラが、同郷のデザイナーたちと同じく川久保玲の常識を打ち破る服作りに影響され、アシスタントとして働いたジャン=ポール・ゴルチエにその才能を認められた上で、素材をリメイクし、リサイクルした服らしくない"アンチ・ドレス"の数々をどうやって作ったかを詳らかにしていく。彼が最初に注目を浴びた1980年代は装飾美がもてはやされた時代であり、それは今も基本的に変わりないことを考えると、クリエイティブの世界では独創性こそが大事だと改めて痛感する。
それはファッションも映画も同じ。引退した孤高のデザイナーの足跡を紐解く本作は、個性的な秀作を残した巨匠のアーカイブを振り返る作業に似ている。
Looking for a Creative Boost of Energy?
The film reveals that everything cool since the 80's can be traced back to Martin Margiela, an influential artist who worked not for fame but for his own enjoyment in life. His advice is metaphysical and can be applied to any craft. "Sometimes it's the things you don't like at first that become the most interesting." I made a painting while watching this film and I was pleased with the result.
匿名性と引きこもりの 狭間で
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【匿名性と引きこもりの狭間で】
ファッションショーが誰にも配信で観覧できるようになってしまってショーの驚きが無くなってしまった・・
と、マルタンは失意をこぼす。
なるほど、これ、とってもよく分かる。
皆さんにもこの数年間に、思い当たる体験はあったはずだ。
「コロナ禍」で、僕たちは無観客の落語や、空席を前に語る漫才師の収録を、あの頃さんざんラジオで聴いた。
無観客試合もスポーツ界では行われた。
「無味乾燥」とは、まさしくこのこと。
「大工殺すにゃあ刃物は要らぬ雨の三日も降ればよい」だ。
演芸が、そして芸人が殺されていた時代だ。
このドキュメンタリーの冒頭、
マルタンのショーのランウェイの横から、その客席の暗がりから、もう鳴り止まぬ、異常なほどの拍手が続いていて、あの場で観客も踊り、観客も歌い出したそうだ。
小屋が崩れ落ちんばかりの迫力。
あの冒頭のシーン。
あれなのだ、必要なものは。
人に出会って平手打ちを喰らわせられるのが、生の舞台の醍醐味。
人間不在のネット社会で、
そして通販横行の出不精社会で、
気が抜けて引退していくアーティストは、マルタンならずとも、今後も増え続けるのだろうと思う。
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そもそも「ファッションの発現」は何時の時代の事だろう。
食の確保が最優先であったはずの いにしえ。
イノシシの骨で作った鼻ピアスを仲間に見せ、
腰蓑の裾をちょっと工夫して斜めに揃えてみる。そうやってみんなをおどろかせ、羨ましがらせる。鳥の羽や貝殻で帽子や首飾りをこさえる。
そうやって自分だけのランウェイを歩く。
腹を満たす行為ではないが、心が躍って爆発する服飾の工夫は
人類の誕生と同時期だったはずだ。
恋人の身を包み、赤ん坊の体をくるむ布切れに想いを込めない人はいないからだ。
マルタンについて、ファッション史の専門家たちが講評するのが、またいちいち腑に落ちて興味を惹かれる構成だ。彼女ら、彼らの語る言葉のセンスにも驚かされる。
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【図画工作の作品は、残しておきたい】
ひとつひとつ、彼の歩んできた道のりの「白い箱」が、棚からおろされて開かれる。
マルタンの子供時代の「デザインブック」が大変良かった。
彼がスクラップブックに貼り付けたオリジナルデザインのワンピースやドレス。使う端切れのセンスと質感。縁取りに這わせる青いニット糸。
バービー人形のために自分で縫うシャネルテイストのスーツの完成度と言ったらない。
どれも子供の作とは思えない素晴らしさ。
「パリでデザイナーになる」と言う彼を、両親は「何を馬鹿な事を」と押し留めたけれど、
おばあちゃんは孫の裁縫を手伝い、彼のどんな質問にも (間違いもあったが) よく聞いて、なんでも答えてくれたのだと。
彼の相談をいつも聞いてその手助けをしてくれたおばあちゃんの存在は小さくなかったはずだ。
赤の他人の僕がこんな事言うのはおかしいですが、おばあちゃんこそ最初にして最後のマルタンのオーディエンス。「ありがとう、でかした。おばあちゃん」と僕は伝えたい。
孫のデザイナーとしてのお楽しみに対して、生涯拍手を惜しまなかった祖母。
彼女が、マルタンのショーへの、あの熱狂的アプローズのバックヤードに、ずっと居てくれたのだと思うね。
だから彼の人生はおばあちゃんへのオマージュ。
モードメゾンの記録映画は
これだからやめられない。
星5つ。
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[追記]
蛇足ですが
僕、きりん。
実はコム・デ・ギャルソンの川久保玲の親戚なんですよ。
「えっへん、どんなもんだい!」
と同僚に自慢したら
「他人やないけ!」と怒られました(笑)
元妻の、父親の、姉の、夫の、姪です。
このサイト「映画ドット・コム」でもいろいろ好き勝手に書いているきりんですが、
ペンネームと云うか、匿名と云うか、きりんは引っ込んでいたほうが世の中のためになる、只の無名の雑魚でしたよ。
川久保さんごめんなさい。😆💦
あ、でも元妻のためにはシフォンのワンピースを縫いました。
熱狂的自画自賛。これ大切。😁
貫いてるわ
【自らの姿を一切出さず、インタビューにも応えて来なかったマルタン・マンジェラが、リラックスした口調でファッションに対する想いを語った作品。】
ー 2008年に突然、ファッション業界を去ったベルギー人のファッションデザイナー、マルタン・マルジェラ。
メディアに登場する事を、極端なまでに避けて来たために「透明人間」とまで言われた彼が、顔は映らないが、リラックスした口調で、幼少期にファッションに興味を持った理由や、それ以降の自らのファッション界での活動について、実際の服や、当時の映像を交えて、語るドキュメンタリー作品。ー
◆感想
・ここまで、彼に自由に喋らせたのは、ライナー・ホルツェマー監督との、信頼関係の賜物であろう。
・ジャン=ポール・ゴルチエに、そのセンスを買われ、その後も斬新な発想 ー 足袋ブーツ、古着を再生し、ショーに登場させる手法、ランナウェイを歩くモデルの顔を敢えて隠し、服を見せる拘り。ーで、パリのファッション業界の風雲児になって行ったことを、楽し気に語る。
・代名詞とも言える、4隅を止めた白いタグ。
・エルメスと手を組んだことで、味わった初めての、業界からの冷たい反応。
<彼は言う。
”ファッションショーが、”配信”で観れるようになってしまい、現場で観客が驚きを持って反応する姿から、創造性を得る楽しみがなくなってしまった・・。”
何だか、とても気になる言葉であった・・。>
<2021年11月7日 刈谷日劇にて鑑賞>
ファッションの枠にとらわれない自由な発想。
繊細な人が多いなぁ…。
マルジェラは人の想い模した芸術であることを雄弁に語っている
こんにちは、西田佳宏(アパちゃん)です。
この映画は最高でした!
ご存じの人も多いと思いますが、
YouTubeで有名なMBさんの影響でファッションの勉強をしていました。
そんな中、アパちゃん/西田佳宏はMBさんのメルマガでマルジェラの話が多々あり、
めっちゃ興味を持っていました。
そういう状態でこの映画に出会ったので、とても最高でした。
マルジェラの奥深さ、デザイナーとしての考え方、
なぜマルジェラがここまで有名になったのか?
この映画に出会うまでは、表面しかファッションもマルジェラも見ていませんでした。
ですが、この映画と出会ったおかげで、マルジェラというよりも、
ファッションとは何かをマルジェラは雄弁に映画を通して語っていると感じました。
今日も帰りにマルジェラに行きましたが、いつもと違うマルジェラがそこにありました。
ファッション好きの方、そうではない方、どちらにもお勧めしたい作品です。
あの頃…
【カウンター・カルチャー】
冒頭で、マルタン・マルジェラが言っていたように、初期のマルタン・マルジェラは、とてもシュールリアリスティックだったと思う。
その後、インタビューで、実は、マルタン・マルジェラは一貫してカウンターカルチャーだったのではないかと関係者が話していたが、ファッションのハイ・カルチャーに対して、シュールレアリズムもカウンター・カルチャーと言っても良いだろうから、あの誰にも思いつかないようなデザインやショーは、規制の概念に捉われない自由なアートになったのだろう。
しかし、いざ、ファッションを取り上げると、商業主義から逃れることは出来ず、ハイ・ブランドとタッグを組むことによって、マルタン・マルジェラの個性や自由は奪われていったのではないのか。
それは、何もマルタン・マルジェラだけではなく、フランスのキラー・コンテンツとなった高級ブランドは、いくつかのホールディング・カンパニーが多くの古き良きブランドを次々に買収し、富裕経済都市への出店ノウハウや、事業計画を共有し、効率的な経営環境に転換して、フランス経済の屋台骨を支えている。
ただ、近年は、ファスト・ファッションの台頭で、ブランドに対する見方も変化してるし、また、残酷という理由で、毛皮や皮革を使う機会は減り、搾取が背景にあるとして、新疆コットンの使用を見合わせるブランドも出てきていることから、仮に多少奇抜であっても、マルタン・マルジェラのようなデザインで見せるデザイナーの活躍する場は、多くなってきてもおかしくないように思う。
また、自由なアートのようなファッションが生まれることがあれば良いなと考えたりする。
素晴らしいドキュメンタリー!
孤高のファッションデザイナー
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