三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
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これが伝説?ぬるい。
これが伝説?ぬるい。
燦然と輝くスターと東大でも哲学に長けた子達のテレビ映えするジャレ合い。
結果残るのは難解な哲学論もリードし粋にいなす三島のカッコよさだけ。
これが流行った時代があったと知れば良く、
今をノンポリ腑抜けと卑下するなかれ。
問いには答えが必須
今年の第1トピックでした
皆さんのレビューが面白くて!
この「レビュー欄」は、三島が帰ったあとの興奮冷めやらぬ会場での “参加者たちのディスカッション”のようです。
映画館でぜひ観たいと念じつつも、折り悪く世の中はそのままコロナ閉館の時代に突入。
諦めていたら、なんと再開したシネコンで三島のドキュメンタリーは復活したのです。
この どマイナーな映画が(笑)コロナのおかげて足掛け4ヶ月のロングランとかあり得ないおまけでした。
今年の映画鑑賞の1st.トピックでした。
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900号教室に自分も座っている錯覚。そんな鑑賞でした。
討論会の軍配は、完全に三島に持っていかれてましたね。
あの頃、現役の売れっ子作家にしてファッションモデルでもあった三島は、学生たちの絶叫的アジテーションや文法無視・礼儀無用の粗野な質問に、微笑みを浮かべて温かく、そしてダンディーに答える。
質問下手の若造たちの問いをば、その言葉足らずを補い、瞬時にして連中のプライドを尊重しつつ真意を汲み取ってくれる。
おまけに彼らの緊張をやわらげてやろうとジョークを取り混ぜてもくれようというのだから。
セイガクよ、君たちは何を得意げになっているのだ?
三島の眼前で完敗の立場を悟っていたのはたった一人詰め襟くんだけではないか。
しかしそれにもかかわらず入れ替わり立ち替わり三島に突っかかってみせる若者たちの、三島の目を見ない質問。ああいう喧嘩腰の審問をやっていて若造たちは恥ずかしくならなかったのだろうか?
あの目は闘う前から怖じけ付く負け犬の目だ。
叩き台の本人三島由紀夫がここまで来てくれているのだから、三島に正対して話しかけるべきなのに。
その晩の電話で
「楯の会に入らないか」とまさかの本人に問われたときの詰め襟くんのうろたえが、このドキュメンタリーのクライマックスであったと思う。
自身の政治的姿勢への確証の無さを暴露してまでも、また天皇への信奉を文学者として言葉化出来ない力不足を告白してまでも、一人の人間三島由紀夫が裸になってくれた=咬ませ犬になってくれたあの場、あの真摯さに、うろたえたのは詰め襟くんだけか。
今回のロングラン上映を、彼らもどこかの映画館の薄暗がりできっと観ていたことだろう。
反抗期は終わったかい?
君たちは、“兄”が、“父”が欲しかったのだろう。
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映画の仕上げ方としては
惜しむらくは、900号教室の“アンチ三島の若造”たちだけでなく、楯の会の元メンバーたちが過去を振り返って、今現在あの時をどう総括しているのか、そこも是非、インタビューが見たかったな。
(あと、あの日加藤登紀子はどこに?⇒三島集会の前年にお登紀さんは卒業でした)。
法政大?の写真のみ、女子学生が二人写っていたが、参加者は男子学生ばかりだ。
見事に男だけの世界でした。
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「対話」はソクラテス以来学問の基本だ。
僕は進学先を最終的に決定するとき、対話を放棄して機動隊に学生を売った学校を選らばなかった。対話こそが核であったはずのその学校に失望して、大量の退学者が出た大学だ。
三島は、毒杯をあおったソクラテスに重なってしまって辛いけれど、逃げずに単身、若者たちの招きに応えた。
「もはや立ち去るべき時である。私は死ぬために、あなたたちは生きるために。だが、われわれのどちらがよりよいほうへと向かっているのかは神よりほかに誰にもわからない。」
(『ソクラテスの弁明』42A)
問いには答えが必須だ。
答える相手を失ったいま、
900号教室の残党がいまもこの社会で、あの日の体験を負ってきっと良い働きをしているのだろうと信じたい。
ゆとり世代の感想
三島作品は3作しか読んだことがなく、単純に興味本位で鑑賞。
いち作家という枠には収まりきらないその存在感と影響力を、映像としての三島由紀夫を通じて初めて目の当たりにできた気がする。
いわゆるインテリ達の紡ぎ出す言葉に、鑑賞中は理解が追い付かないことが多々あったが、
論破や打ち負かすことを目的としない三島の姿勢は、懐の深さというか、男としての器の大きさを感じたし、観ていて心地よかった。
そもそも当時の時代背景に対して理解が乏しい中での鑑賞だったが、
このご時世、矛先が曖昧な日本国に対する憂いである必要はないが、熱と敬意と言葉 を大切にしながら生きていきたいと思った。
69年の「熱と敬意と言葉」に思う
二度目の鑑賞、やはり言葉の力は満ちていた。
昔と今、そこを比べ悲観することに慣れては駄目だろう。しかし、あの年代特有な語りの熱量、言葉の緊張感、タバコの煙で曇る講堂… 確かに“この時代が最後だった”と自覚するに足りる、尖った思考の渦で発せられる主張と同調に、やはり憧れを禁じ得ない自分がいた。TBSが保存する、この貴重な映像資料を観たことは何度もあった。しかし、改めて「新しきを知る」真相に満ちた本作は、当事者達の証言が単なる回想に非ず、眼の奥に鋭さも保った声の主が、未だ「三島の思想と言葉」に対し「反論・尊敬・格闘」を繰り返していただろう事を感じさせた。多感な時期に「国運と自身の運命は同様」な死生観を抱いた若者が、あの8.15を境に分離した感覚を、取り戻さんとする思想の納得も禁じ得ない。そして、あの場において高圧的な態度や、語気を荒げる事なく、“まぁ先ずよく聞いてやろう”な理解への心構えが、双方にあった点が見過ごせない。やはり、何処かで“共通の敵”を見出していた、それ故教壇での一服も微笑ましく映っていたのかもしれない。正に愉快な一時を観た。
生の映像は迫力がある
三島由紀夫の名前は知っていますが、どのような方なのか知りたくて、興味本位で観に行きました。
映像だけでは、その人の性格等を判断するのは難しいですが、東大生の言いたい放題な意見を、全て冷静に受け答えるところは、すごいな・・と感じました。
しかし生の映像は、演技とは違う迫力がありますね。
まあ興味のある方は、レンタルして鑑賞して下さい。
(あれ?DVDレンタルしていたかな?)
何を言っているのかわからないけれど…観てよかった映画作品
今日は三連休の中日で夜遅くの上映時間。
そんなに本作を観に来る人はいないはず。
昨今のなんちゃらウィルスのリスクも少ないはず…だったけど、、、、
淡い期待を崩されてしまった感じの席の埋まり方でした。。
なんだ、この作品は注目されてるのか?それとも話題作なのか?
ちょっと驚きましたです、
私は私で三島由紀夫氏にとっても興味があったんです。
太宰治氏や芥川龍之介氏や夏目漱石氏以上に、この方の本は読んだことはないけれど、経歴(割腹自殺・自衛隊入隊・癖のある人物像)等で何故か早く観たい!と思わせる何かがありました。
全体を通して、とても素晴らしいドキュメンタリー映画作品でした。
何を言っているのかわからない(私がおバカなので、笑)中にも、ストーリーに引き込まれてしまうほど、本作の魅力に取り憑かれていってしまいました!
心の中で、何度も"へぇ〜"って言ってました!
三島由紀夫氏の後輩で、元東大全共闘の橋爪大三郎先生のお話はとても素敵で、久しぶりに聞き惚れてしまうくらいの内容でした。
こういう風な映画も教養の一つとして知っておいたほうがよい大切な作品なんだ!
と、思いました。
オススメです!是非御覧ください!
※推してる役者さん、女優さんの観たい映画作品は、昨今のなんちゃらウィルスに戸惑っている間に一度目?の上映が終わってしまいました。
二度目の再上映がもうすぐですので、必ず劇場で観て感想を述べたいと思います☺︎
劇場の幹部の方々も配慮をしてくださっているのでとっても感謝しています!
ありがとうございます♡
もう若くないさと、君にいいわけをした。
この三島の映像をニュース番組で、
ノーカットでオンエアしていたのは、
80年代後半だっただろうか。
三島は室内に充満する青臭さの臭気に顔色も変えず、
言葉にも出さずに、
「諸君の熱情だけは信用する」
コトバで武装はしているけれど、
一緒に市ヶ谷に行くほどの迫力や覚悟は感じなかったので、
信用するという言葉に留めておいたのだろうか。
信用された人たちひとりひとりへの、
総括のインタビューかと期待していたが全く違った。
そんなわけないよな・・・
髪を切ってもう若くないさと言い訳をしていたであろう、
信用された人たちは、
もう見ないのだろうか?
希望も夢も、探し物も。
それを見ていた少年たちは、
はいつくばって、はいつくばって、
探すのをやめて、
白いMSや、
黒い暗黒面、
ベトナムの闇の奥、
という、
ココデハナイドコカに、
籠城することになったひともいたのかもしれない・・・sun goes down
蛇足
今、旬な話題に乗っかって書いとくと、
9月始業が可能か不可能かが本質ではない。
9月始業に向けて20代から40代の人を中心に社会を回す、
経済に血を通わせる、
制度設計をやり直して、
困難を乗り越えて、
本当の意味での昭和を終わりにして、
子どもたちに明るい未来を見せる。
民に無関心な為政者に引導を渡す。
三島はそれに似た目的の為に、
この学生たちは、共闘する覚悟は、
あるのか、ないのか、
本気なのか、単なるファナティックなノリだったのか、
を探りに来たのでは?
蛇足の蛇足
雨に破れるはずのない、
デジタルのポスター、
君もみるだろうかこの映画を、、、
聞こえるだろうか言霊が、、。
文字通り大人と子供の喧嘩
題名から天皇制の是非などについて両者が丁々発止の舌戦を繰り広げるのかと思っていたが全く違っていた。三島由紀夫は誠意を持って相手の意見に耳を傾けながら「直接民主主義を目指す点で君らと本質は同じ、我々は共闘できるんだ」と自らの政治的主張を明らかにする。一方東大生たちは本で読み齧った事実かどうかも分からない理論を前提に「偽の三段論法』で相手を論破する事が主目的であり、明確な主義主張はほとんど出てこない。論客と言われる学生も含め最後は「お前こんな理論も知らないの。レベルが違いすぎて話にならないね。時間の無駄だからオレ帰る』というような、今でいう「マウントを取る」ために議論があるように見えてしまった。最後は何の結論も出てないが同志感が芽生え、タバコを分け合うといったあたりは20歳過ぎの若者として無邪気で可愛い気もする。三島も「可愛いもんだなお前ら」と言ってそうな……先輩方には失礼ながら、難解な言語を駆使しつつ体制批判の議論を吹っかけ相手を論破するというのがあの頃の壮大なモラトリアムの過ごし方だったのかもしれない。だって後日談に登場する全共闘の人も楯の会も、その後は皆けっこう堅実な人生を生き、話し方もとっても分かりやすくなっているのだもの(芥さんは例外のようだが)。
俺たちの敵は、「曖昧で猥雑な日本国」
正直、なぜ、三島由紀夫が割腹自殺をしたのか、ただの右翼の小説家なのか、名前は知っていても彼のことを全く知らず、興味本位で観に行った。
初めて動く三島を見て、思っていたよりもずっとリベラルで、純粋で、正直な人だと感じた。
彼が1000人の東大全共闘の学生の前で「言葉でしか世の中は変えられない。僕は「言霊」を信じている」と言ったことには、右とか左とかを超えて、人としてお互いをリスペクトする潔さを感じた。
正直、いつ生まれたのかによって、感じることは違うんだと思う。
三島のように1920年代〜30年代に生まれた世代は、戦中に自分の周りの友達や同級生が戦死したことを経験し、生き残った自分に対する思いを抱えて生きていると思う。
全共闘世代の学生は、1950年ごろに生まれた世代で、戦後の日本が、アメリカに振り回されていく恐怖をリアルに言葉に出して戦っていこうとした世代だと思う。
そして、1960年以降に生まれた私を含めるほとんどの人は、過去に起きた戦争で実は何が起きていたのかを知らずにそのまま暮らしているように思う。
今の若い世代の人に この時代に起きていたことが実際に日本で起きていたことと受け止められるだろうか?
ある意味、私は今の日本はものすごく平和だと思う。それは、このような過去に起こったことを全て、自分が知ろうと思えば情報を得ることが出来るからだ。
三島が東大全共闘に言った言葉、「俺たちは、いつでも共闘できる。俺たちの敵は、曖昧で猥雑な日本国だ。」と言ったところに深く共感する。
その曖昧さや猥雑さは、50年経った今でも変わらないのではないかと感じる。
三島由紀夫の功罪
三島由紀夫の作品なんか一作も読んでいない私も三島のカッコよさは体感できた。右である楯の会を率いる三島が極左である東大全共闘が相入れるわけない。しかし三島は全共闘にシンパシーを感じていた。両極でありながらともに共通の理念としては過激派であるということ。実際に三島は全共闘の幹部に対しリクルートまがいの活動をしている。全共闘を完膚なきまで論破するどころか天皇に対しての考え方以外は思いのほか肯定的。普通に考えたら稼ぎのないすねっかじりが偉そうに革命を語るのを認めてしまっている。後に全共闘の一部が連合赤軍に移行しトンデモ事件を起こしてしまっている。左翼の武装闘争を三島が全否定できるわけはないが、武装=正義という構図をこの討論で認めてしまっている三島の功罪は明らかにあるような気がする。
とにかく21世紀の日本の学生にはない熱さと男三島由紀夫のカッコよさを体感できるナイスなドキュメンタリー作品だと思う。
薔薇を背負う男
昭和の文豪である三島由紀夫だが、2作しか読んだことがない。電車の中で「憂国」を読んで気持ち悪くなって以来、拒否反応が…。うーん、「潮騒」からにすれば良かったのだろうか。あと、美術館で少し見た程度だけど、細江英公の写真集「薔薇刑」は知っている。半裸で、様々なポーズを取る三島。なんとも妖しい匂い。この写真集の何年か後に、薔薇族が出たのかな。
こんなイメージしか持ってなくて、ごめん、三島さん。もーほんと頭の回転が早い早い、若者から投げられたボールを返しまくったね。しかも相手の話もきちんと聞く。すごく誠意が感じられた。終始、紳士だった。
左指向の1,000人に、右の人が1人で対する。護衛が秘かに入り込むくらい、危ない状況だろう。でも、赤子を抱いた芥正彦のおかげで、場の雰囲気が丸くなったように思う。もしかして、わざと連れてきてたりして。赤ちゃんが、流血沙汰を防ぐストッパーの役割になると考えてたとしたら…? 何となくそんな気がした。三島と芥のやりとりにも、そこはかとなくユーモアが感じられ、年齢も主義も違う2人だけど、通じ合うものがあるように思えた。
ナレーターは東出昌大。多分、監督の要望通りにしゃべっているんだろうけど、なんか甘いというかセンチメンタルなイメージ。確かに題材は過去の出来事なのだが、ちょっと感傷的に聞こえてしまう。好みの問題だろうか。討論の合間に解説が入るのは、わかりやすくて助かった。
しかし、全共闘とは何だったんだろう。共産主義って、みんな平等のように想像するけど、実際は格差もあるだろうし、全ての人が幸せかどうか…。若いうちは理想に突き進むものなのか。あの熱の正体がわかる日は来るのだろうか。
好きじゃないのに魅力的だと思ってしまうカリスマ性
三島由紀夫に対する思い入れどころか、作品さえも読んだことのない自分がなぜこの映画を観たのだろう。それはもうタイトルに惹かれたからだと思う。なんて刺激的なタイトルなのだろう。
50年前に東大全共闘が主催した三島由紀夫との討論会の映像に、当事者やゆかりのある専門家たちのインタビューを追加したドキュメンタリー。正直、喧々諤々の大激論を想像していたので若干肩透かしにあった気分だった。
映像の三島由紀夫は論理的に話そうと心がけていたし、話し方も紳士的で笑いもとるくらいのユーモアもある。あー、この人は魅力にあふれていると感じた。三島の考え方は好きではないが、好きになる人の気持ちもわかった。
日本の左翼運動・学生運動はなぜ廃れたのか。学生たちがふっかける論点や三島と議論する内容はかなり哲学的で難しい表現であった(時代が違うといえばそれまでだが)。彼らは革命への熱情はあったと思うが、思考遊びが過ぎたのではないか。大衆の支持を失っていった一因はそんなところにあるのかもなんてことを考えてしまった。
不思議なことに、基本的には昔の討論とインタビューを交互に映し出すだけの映画だが、飽きずに観ることができた。昔の映像の加工であったり、全体の構成がよかったんだなと実感。こんなドキュメンタリーならまた観たい。
50年前の討論会なのに古く感じなかった
パワフルな右翼の三島由紀夫が東大生相手に討論するドキュメンタリー。
三島の迫力も凄かったが、赤ん坊を抱いてた学生が負けてなかった。
天皇のくだりは賛否両論有ると思うが、筋は通ってた。
切腹自殺せずに生きててほしかったと思う。
知らなかった事が多すぎて
とても興味深い内容のものでした。
三島由紀夫は大昔に数冊読んで知ってる程度で
詳しい内容などはほとんど憶えておらず、
しかし、おもしろかったです。
あの当時の学生さんは皆ぎらぎらしてましたね。
魅力的なひとがいましたね〜いっぱい。
魅力のある人は、歳を重ねても魅力的な面構えになるんだなぁ、とかつくづく思った。
三島由紀夫、かっこよかったですね。
三島由紀夫の「天皇」
三島が口にする「天皇」とは、我々の歴史・文化・精神を宿す日本そのものである。目指すべき日本を体現すべく自らに常に実践・行動を課している。
東大全共闘にそれに対峙できるだけの内容があったのかわからないが、この映画からそれは全く感じなかった。
題名から対決構図を煽りたいようだが、インタビュー人選と内容がそれに見合っていない。題材・内容良し、監督・編集に難あり。
カリスマ性
三島由紀夫って、ものすご~く魅力的。
正直、討論の内容は平野さんの解りやすいお話で、なんとなく理解できる程度の地頭ですが、
それでも、言葉選びや余裕な感じや、自分にも相手にも正直でいようとする、その佇まいが、とても素敵に思いました。
やはり、東大の皆さんは理詰めなだけで遊びがないから、解らない話が、余計に詰まらなくて…。
赤ちゃん盾に虚勢はってる人も、ぜんぜん魅力ないし…。
ただ、あの時代の若者の熱は、今の時代にはありえなく、そこがとても、羨ましくもあります。
とにかく、三島由紀夫をもっと知りたくなりました。
熱情だけは信じる。
1969年の全共闘学生約1000人と三島由紀夫の討論会を軸に、当時のにおいを伝えるドキュメンタリー。
三島由紀夫の肉声を聞いたのは初めてで、ちょっと高めな声。理路整然と文学的な教養を交えて切り込む言論には引き込まれる。
学生の言論にも耳をかたむけ打ち負かそうすることなくユーモアを交えていなしていく言葉のやりとり。自説の論理を行動で体現することにヒリヒリしたものを感じる。
あれから50年、あの熱情は中和されたかのようにふわっとした空気が包むが、熱情自体が現代に消え去ったわけではないと思う。拡散中和されているだけで、みえない部分できっと人は熱情をもっているはず、そう思う。
三島由紀夫が「熱情だけは信じる」と言っていたが、僕はあの言葉がすがりつける唯一のものだったとして、それは現代でもあると信じる。
現代とは明らかに違う熱量が感じられた
三島氏の思想も全共闘の思想も率直なところわからなかった。
言葉の意味はわかるが、思想を読解することができない。
討論の合間合間に文化人の方や元全共闘、楯の会の方が解説してくださっているので断片的に理解できるところも少しはあった。
感覚的な意見は、三島氏の方が学生より何枚も上手である印象だった。
絶対に揚げ足をとるなどしてくだらいない論争に持ち込まないところが、もしかしたらそれが普通なのかもしれないが、紳士的だった。
50年前の出来事だから学ぶ必要ないとは思えないと改めて思った。
たま、50年前と比べると現在がいかに冷めているかということも感じた。
政治だけではなく生きることに対して熱量があったのだな。
鑑賞して後悔しない作品だった。
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