「今世紀生まれの若い人も見てみる価値のあるドキュメンタリー映画」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 Jimmyさんの映画レビュー(感想・評価)
今世紀生まれの若い人も見てみる価値のあるドキュメンタリー映画
当方、40代のオヤジ。高校2年生の息子と観に行ったが、新型コロナ禍の影響か、我ら父子を含めて場内の観客は僅か3人。所謂「三島事件」については、文学少女(笑)だった私の母(70代。芥氏とほぼ同年齢か)から何度も聞かされていたが、私にとっては日本文学史における重大事件の一つに過ぎないし、まして私の息子は本作の冒頭から「日本で、しかも東大でこんなことがあったのか!」と衝撃の連続であった。鑑賞後、彼からブランキズムやトロツキズム等について用語解説を求められ、知っている範囲で答えてみたものの、これらの言葉は私の学生時代においてもほぼ死語であったように思われる。まして、息子らの世代にとって東西冷戦は生まれるずっと前に消滅し、社会主義や共産主義も過去の亡霊に過ぎなくなっているのであろう。しかし、リーマンショック以降の就職難に喘ぐ若者の有様からマルクスの造語「産業予備軍」が蘇り、共産主義を封じ込めるために結成されたはずのASEANでベトナム社会主義共和国が今や有力メンバーの位置を占め、中華人民共和国が我が国を差し置いて世界第2位の経済大国となってしまった。20世紀に比して随分変容したにせよ、共産主義・社会主義は滅びたどころか、資本主義陣営にとってより大きな脅威に成長したとも言えよう。若い人々も今更知って損はしない知識と考えるが、どうであろうか。
本題に戻る。強烈な印象を受けた要素を3つ挙げるとすれば、芥氏の女装パフォーマンス、全員過剰喫煙(しかも無フィルターニコチンダイレクトのショートピース。芥氏の幼い娘さん、受動喫煙しまくり)、そして三島氏のユーモアと優しさ。全共闘手製の「近代ゴリラ」ポスターの卑猥なイラストを見ても少しも怒らず、「こんな所にのこのこやって来て、全共闘の諸君にカンパすることになってしまった」と初っ端から笑いを取る。楯の会の元隊士たち(彼らが自分たちでどう呼び合っていたのか私は知らないが、彼らへの敬意を込めてこのように呼称する)の思い出話からも、「先生」がいかに気配りが細かく思いやりのある人物かが窺われ、三島由紀夫と言えば「筆を置けば頑迷な右翼で血気にはやる怖い人」という人物像しか持っていなかった私にとって甚だ新鮮であった。咥え煙草に手ずから火を貰う行為は、煙草吸いでも余程気心が知れていないとできないコミュニケーションであり、「言葉と言葉の殴り合い」という割には随分和やかな雰囲気に見えた。三島氏が最後に「諸君の熱情は理解した」と締め括り、晴れ晴れとした表情で会場を後にするシーンも、左右の方向性は違えど過激派同士通じるものがあったことを示すのか、或いは劇作家として予め設定した構成の一部だったのか、ドキュメンタリーの間の絶妙さとも相まって不思議な余韻があった。
ドキュメンタリー映画の編集は資料映像という大きな元ネタがあるからやり易い、などと思う向きがあるかもしれないが、存外難しいのではなかろうか。近年上映された「ニューヨーク公共図書館」のフレデリック・ワイズマン監督のように、海外でも巨匠級の映画人の手に成ることが多いのがドキュメンタリー映画である。インタビュー挿入のタイミングも、一歩間違えれば作品全体が冗長なものと化してしまうし、ナレーションも強い口調で感情を込めればいいというものではなさそうだ。本作が玄人目にはどう映ったのか知る由もないが、豊島監督も、ナレーターの東出昌大氏も巧みであると、私は思う。
最後に、本作鑑賞を機に息子が東大受験志望の決意を新たにした。闘う男たちのせめぎ合いを見て最高学府に入りたがるとはクレージーにも程があるが、まぁ、頑張れ。念願叶ったらサークルの勧誘もあるだろう。「君、いい体をしているな。楯の会に入らないか?」