「この映画に真実があるとするなら。」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 此花さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画に真実があるとするなら。
私には討論の内容がさっぱり理解できなかった。それは彼らの使う言葉の意味や内容について、私が共有できなかったからだと思う。しかし三島は学生たちの言葉を理解しようと努力していたし、正対しようと努めていた。
編集してカットされていたのかもしれないが、あのころの学生たちに特有の、嫌味で空疎なヤジはほとんどなく、むしろ両者が対話での緊張感を楽しんでいたように感じた。
途中から赤子を抱いた男子学生が登場して攻撃的に話し始めるのだが、それが私には異様な光景に見えた。今なら紫煙うずまく中に子供を連れて来るなど考えられない行動だが、それ以上に、子供を自分の盾にしているような卑怯なものを感じたからだ。社会的に自立していない学生という弱い立場を、子供を連れてくることで生活感をことさら強調しているように見えたのだ。この場をおぜん立てした全共闘の闘志達は、その後社会にうまく同化していったようだが、この人は古希を過ぎた今でもその反骨精神のようなものを捨てられないようで、私は何かしら無残なものを感じた。東大一の論客といわれたこの人は途中で「つまらない」と退場したが、これは彼自身の敗北であり、それこそ青臭く、失礼でお粗末な態度だなと思うのだ。
私は1988年に新潮社から発売された三島由紀夫の「学生との対話」というカセット・テープを持っている。その中での三島は、今回の映画と同じようにとても紳士的で、やはり学生とのやりとりを楽しんでいたように思う。四十を超えた三島に対して「夭折の美学を説かれた三島さんも長生きされて」と嫌味を言っても笑って応えるところに、三島の包容力と動じない強さとを感じたものだ。テープは昭和43年、早稲田大学でのもの。
今回の映画でも学生たちは虚勢を張って精一杯大きく見せようとしていたが、三島はあくまで正直だったし、堂々としていたし、学生たちの言葉に真摯に耳を傾けていたし、理解しようとしていた。
私は三島由紀夫の作品を読んだことがないのだが、映画やテープでの彼の態度はとても好ましく、もしこの映画に「真実」があるとするなら、ライトアップされた三島のこの誠実な姿勢にあるのではないかと思った。